「11月のウィーン」の2枚の写真

ウィーンから2枚の写真を紹介する。1枚目はウィーン市庁舎前広場のクリスマス市場の風景、もう1枚はオーストリア国立銀行前の広場に設置されたナチス・ドイツ政権下で虐殺された約6万4400人の名前が刻み込まれた壁の写真だ。前者は12日午後、撮影、後者はオーストリア政府が提供したものだ。

ウィーン市庁舎前広場のクリスマス市場風景(2021年11月12日、撮影)

ユダヤ人犠牲者名が刻み込まれた壁とそこを訪ねたシャレンベルク首相(2021年11月9日、オーストリア政府提供)

もうそんな季節となったのか、といわれるかもしれない。11月に入れば、キリスト教社会の欧州では来月のクリスマスの日に向かってクリスマス一色となる。ただ、新型コロナウイルスの感染が猛威を振るっている欧州ではどこでも厳しい感染規制が行われているから、クリスマスムードも100%全開とはいかない。

市庁舎前には数十メートルの高さの松の木のクリスマス・ツリーが立っている。ツリーに飾られた数百個のイルミネーションは13日、点灯される。そして広場には100軒を超えるさまざまな店舗がオープンし、市場を訪れる市民や観光客を誘う。ツリーを飾る置物、鈴、油で揚げたランゴシュ、そしてクリスマス市場では欠かせられないプンシュ(ワインやラム酒に砂糖やシナモンを混ぜて温めた飲み物)スタンドからはシナモンの香りが漂う。

昨年は感染者の急増を受け、各地のクリスマス市場は閉鎖された。ローマ・カトリック教会の最高指導者ローマ教皇フランシスコはサンピエトロ広場での礼拝で、「パンデミックはクリスマスの光を消すことは出来ない」と強調した(バチカン・ニュース昨年12月6日)。今年は昨年以上に感染者数が増加しているが、ワクチンの接種が可能となったことを受け、厳しいコロナ規制下のもとオープンされた。

クリスマス市場を訪ねた市民は入口でワクチン接種証明書か回復証明書(2G)のいずれかの証明書を提示しなければならない。ワクチンを接種していない市民はクリスマス市場に入るためのハードルをクリアしなければならない。市場入口近くにあるワクチン接種所で接種を受け、コロナ検査のテストで陰性の場合だけ市場に入れる。クリスマス市場初日(12日)、接種場所前では長い列ができていた。

そこまでしてクリスマス市場を見たいのかと思われる読者もおられるだろう。家族が集まり、大晦日に除夜の鐘を聞き元旦に神社へ初詣に行かなければ新年を迎えられない日本人と同様、熱心なキリスト信者か否かは別として、オーストリアの国民はクリスマスを家族、友人と祝い、ニューイヤーを迎えるのが伝統となっているのだ。

2枚目の写真は、ショア・ウォール・オブ・ネームズ・メモリアルと呼ばれる壁の写真で、オーストリア政府から提供されたものだ。ウィーンで9日午後、ナチス・ヒトラー政権で犠牲となった6万4400人以上のユダヤ人の名前を刻んだ壁がオープンされた。初日にはシャレンベルク首相が訪ねた。写真のその時のものだ。

カロリーネ・エッズシュタドラー欧州・憲法担当相は、「わが国は犠牲者名を刻み込んだ壁を設置する形でその蛮行の責任をシンボル的に表現した。犠牲者の名前は、160の壁に消えないように刻まれている。そうすることで、少なくとも部分的には彼らの尊厳を彼らに返すことを望んでいる」と述べ、オーストリア国民の壁設置への思いを吐露している。

1938年11月9日夜、ドイツ、オーストリア、チェコスロバキア(当時)でユダヤ人が経営する7000軒以上の店舗や約250のシナゴーグ(ユダヤ教会堂)が燃やされ、ユダヤ人の墓や学校は破壊された。多数のユダヤ人は虐殺された。歴史家は「Novemberpogrome」(11月のポグロム)と呼び、路上の飛び散ったガラスが夜の明かりを受けて水晶のように光っていたことから、帝国の「水晶の夜」(クリスタルナハト)とも表現している。

オーストリアでは1938年の初めまで約21万人のユダヤ人が住んでいた。当時の国の人口の3%を占めていた。そのうち、約6万5000人はナチス・ドイツ軍が支配する欧州大陸から逃げることができず、多くはダッハウ収容所とブーヘンヴァルト収容所に送られ、そこで亡くなった。

クリスマス市場の写真とユダヤ人犠牲者名が刻み込まれた壁の写真を同時に掲載するのはどうかと思ったが、11月中旬を迎えたウィーンのさまざまな顔を読者に伝えるために、2枚の写真をあえて一緒に掲載した。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年11月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。