新型コロナ時代の「新しい資本主義」の意味

篠田 英朗

岸田文雄首相が打ち出している「新しい資本主義」については、「成長と分配」が注目される傾向があるが、実はより切実なのは「コロナ後の新しい社会の開拓」のほうではないだろうか。

新しい資本主義実現本部/新しい資本主義実現会議|内閣官房ホームページ
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「成長と分配」については、「新自由主義」の対抗軸となるスローガンとして意味があるのだろうが、政策概念としてどこまで真新しいのかは、よくわからない。そもそも「新自由主義」という語を内容不明な形で使い回しながら、とにかく世の中の悪い現象は全て(彼らが言うところの)「新自由主義のせいである」と結論づけて何か言った気になってみせる左翼系評論家の悪弊は、政策論として意味のあるものではなかった。

新しい資本主義実現本部事務局設置にかかる看板掛けをする岸田首相 首相官邸HPより

これに対してコロナ後の経済の行方は、目の前の直近の切実な課題だ。ただ、「コロナ後」、という概念設定は、気になる。「コロナが完全に収束した後に、経済をコロナ前の状態に戻していくには」といったニュアンスがそこに込められているとしたら、それが妥当であるかは怪しい。

昨年初めに新型コロナが流行し始めた頃から、私だけでなく、多くの論者が、言葉の正確な意味で社会が元に戻ることは、少なくとも相当期間にわたっては、想像できない、と書いていた。

現在、日本の新型コロナの感染状況は低水準に入っている。だが根絶が視野に入っているわけではない。そのため人々は、一人で路上を散歩するときですら、マスクをつけたままだ。旅行業界や観光業界はもちろん、飲食業界のビジネスも、近い将来に「コロナ前」に完全に戻ることは、想定できない状態だ。

ちなみに大学では、私費留学生の来日がようやく再開されたが、一日当たりの入国者数の上限が設定されている状態が続いており、2020年入学者の渡航から順次進められていくので、来年4月までに2022年度入学者の渡航が可能となるかは不明な状況だ。キャンパスでマスクをつけていない者はいないし、対面式授業は一部のみで、講義はオンライン授業のままだ。

ワクチン普及率が人口の大半を占めるまでに至っている欧州諸国は、レストラン入店時にワクチン接種証明を示すことを求める規制などを導入して平時に戻すような措置をとったが、規制の度合いが緩かった国から順番に感染が再拡大し始めた。

もっともそれらの欧州諸国でも、相対的に死者数は抑えられているので、ワクチンの効果や社会的対応策の効果はあがってはいると考えるべきだ。ただ、感染者をゼロにすることができないし、緩めれば感染も広がる、という事情を変えられていないだけだ。

われわれは今後もまだ新型コロナ対策が続く社会で生きていかなければならず、社会経済活動もその前提で進めていかなければならないのである。

「新しい資本主義」は、「新型コロナ禍の社会」における最大限の経済活動の円滑な進展、という意味で、考えてみなければならないだろう。

本来の自由主義社会の資本主義経済では、不定期だが頻繁に飲食店が夜8時以降に営業することを禁止されたり、自粛することを求められたりするなどという状態は、想定していなかった。人の移動が数年にわたって大きく制限されるといった事態も、想定していなかった。各国政府が巨額の財政出動を通じた経済刺激策をとり続ける状態も、新型コロナ危機以前では考えれない水準で、全世界的に継続している。

もちろんワクチンの普及と、日常的な対策の浸透を通じて、できる限りロックダウンや緊急事態宣言などの措置を避けようとする努力は、それなりの効果をあげている。感染拡大期になると繁茂してくる「いわゆる専門家」の人々の盲目的で過剰な対策の主張には、引き続き警戒をしていかなければならない。

だがだからこそ、平時からの対策が意味を持つ。期間限定で踏み込んだ対策を取らなければならない時期が訪れる可能性も、常に念頭に置いておかなければならない。

まさに「新しい資本主義」の時代だ。

過激な政策を強権的にとることができる権威主義国家のほうが、民主主義国家よりも新型コロナ対策において優れた成績をあげている、といった評論家めいた感想を吐露していればいい時期は、とっくに過ぎ去っている。

自由主義社会の資本主義は、生き残りをかけて、「新しい資本主義」を追求しなければならないのだ。

岸田政権が、公明党からの要請を受ける形で実施する「ばらまき政策」の評判は芳しくない。ビジョンが感じられないからだろう。「新しい資本主義」には、付け焼刃的ではない、ビジョンが必要だ。

やはり権威主義体制の挑戦を受け止めるものとしての「経済安全保障」とあわせて、岸田政権が厳しい現実をふまえ、長期的かつ体系的なビジョンをもって、「新しい資本主義」を進めていくことを願う。