日本経済新聞の記事によれば、東京大学の文一(文科1類)の合格最低点が、文科2類や文科3類に追い越されてしまったようです。
東京大学の文系は、入学試験は学部で選抜するのではなく、文一から文三の3つのグループに分かれて入学し、2年間の教養学部で専門の学部を決めていく仕組みになっています。
ただし、文一の希望者は全員法学部に、文ニの希望者は全員経済学部に進学できます。文三は、入学後の成績によって文学部や教養学部、教育学部などの志望先に分かれます。
私が学生だった1980年代は、優秀な学生は官僚や司法試験を目指して文一に行くのが当たり前でした。文一と文二は語学のクラスが同じでしたが、公務員試験や司法試験を受験せず、落第しなければ経済学部に進学できる文二は、「法・文・ネコ・経」などと揶揄され、ネコより勉強しないと言われていました(実際そうだったかもしれません)。
今や、文ニや文三の方が合格最低点が高くなってしまう現象が起こっているのは、なぜでしょうか?
理由の一つは、官僚(国家公務員)の人気が凋落し、弁護士などの法曹資格も価値が下がってしまったことが原因です。
今や優秀な東大の文系学生のサクセスストーリーは、コンサルティング会社や外資系金融機関に就職し、数年後に起業することに変わっています。
しかし、そもそも東京大学の中での比較も、意味がなくなってきました。本当に優秀な日本人学生は、もう東京大学にはいかないと思うからです。
もし、私が今高校生であれば、ハーバード、イエールといったアイビーリーグや、MIT、スタンフォードなどのアメリカの名門大学を目指すと思います。
実際、開成高校のような有名進学校の優秀な学生は、東京大学を海外の名門大学受験のスベリ止めにしているようです。
日本人が大多数の均一化した日本の大学で学ぶよりも、グローバルに多様な人材が集まる欧米の学校で切磋琢磨する方が有益です。
何より英語をベースにしたコミニケーション能力を磨かなければ、グローバルに活躍できる人材にはなれません。
東大文一が凋落したことよりも、東京大学や日本の大学全体が没落していくことに、危機感を持つべきだと思います。
編集部より:このブログは「内藤忍の公式ブログ」2021年11月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は内藤忍の公式ブログをご覧ください。