武蔵野市が外国人に対して住民投票への門戸を開ける議論が進み、市議会の総務委員会で決議が行われ、2対2で割れた中、最後、委員長が賛成票を投じて通過しました。この後、21日の本会議で採決されます。
本件は外国人でも同市に3か月以上住んだことのある人なら滞在のステータスに関わりなく住民投票が認められることから憲法との比較論も含め、様々な意見が乱立し、武蔵野市だけではなく、その影響が他の市町村にも及ぶ可能性を含め、高い注目となっています。仮に可決されれば反対派は法廷に訴えると予想され、更に大きな議論となるでしょう。
松下玲子市長の主張は住民投票は参政権を与えるものではなく、住民として地域の問題について広く意見を集めることに留まるので憲法違反ではないとしています。つまり、市長の言い分は住民投票が直接的な選挙に関与するわけではなく、市政に関し重要な案件について住民の声を投票という形で聴取するだけで法的拘束力はないのだから問題はない、という立場です。
私はまず、この住民投票が具体的にどのような案件を言っているのか、不明瞭だと思います。住民から意見を求めるだけではなく、法的拘束力がないけれど投票で白黒をつける案件は何を想定しているのでしょうか?つまり、今回の議論は手順の問題なのですが、その前に何を目的とし、何を前提にした議論なのか、明瞭にすべきではないでしょうか?
総務省のウェブに市町村の住民投票の2010年時点での資料があります。それによると過去467件の住民投票があり、うち市町村合併にかかる案件が445件となっています。残りの議案例は産廃処理場設置案、原発プルサーマル受け入れ案、ヘリポート設置、牧場誘致…といった具合で市町村合併にかかる案件以外は住民投票はほとんどないという状況です。
言い換えれば住民が参加して重大な議案の意見を求めるのはその市町村の存続や住環境が激変する可能性を前提にした議論であって当然、街をよく知る住民の意見が尊重される傾向は強まると思います。3か月間しか居住実績がない人が声高に何かを言ってもその説得力は低いでしょう。これは外国人に限らず、日本人の居住者が増えた場合でも同じです。
では外国人なり新規居住者が市政を変えるほどになることはあり得るのでしょうか?例えば湾岸地区の不動産開発が進む江東区の場合、1997年の総人口は37万人、うち外国人は8200人したが今年1月の時点で53万人で外国人が3万人となっています。つまり、人口の43%増大に対して外国人は3.7倍に増えています。人口減の日本に於いて人造的な不動産開発に基づく人口増は外国人に頼らざるを得ないことは私が住む移民国家カナダでも当然の話であり、将来、否が応でも外国人の影響力は大きくなるのです。
ではカナダでそんな権利を私のような移民に与えてくれるかといえばありません。私が権利を主張できることは義務を履行していることに限られます。例えばビジネス上では会社はカナダの会社で納税もするし、会社としての義務を全うしているので他の会社同様、意見できます。私が住むコンドミニアムの管理組合では一所有者として意見できます。つまり常にギブアントテイクの関係がそこに存在し、義務を履行しない限り権利は与えられないという明確な仕切り線があります。
武蔵野市の発想は住民登録をしただけで権利がもらえることになりますが、これは私から見ればやりすぎです。付録やおまけではないので居住すればもれなくついてくるという話ではありません。少なくとも住民税を払うとか、住民としての義務を果たすとか、一時滞在ではなく長期的な居住目的でそこに居住の実体があることなどを要件とすべきでしょう。例えば外国人で1年後には母国に帰るという人に将来を託す意見表明にどれだけの重みがあるでしょうか?それは長く住む住民に対して失礼ではないでしょうか?
それと松下市長は法的拘束力を持たない住民投票だといいます。この言葉の意味がそもそも破綻しています。投票行為は数字で明白な結果を導き、最終的に議会などでの判断材料になるベースです。住民投票が直接/間接に議会での判断材料にならないならば住民の意思を無視したわけで住民投票をする意味がそもそもないわけです。外国人や新規居住者への門戸は陳情や公聴会での意見陳述で十分です。カナダでは市町村の議会は公聴できるし、意見を述べるルートもあります。これは住民なら誰でもできます。
議員は誰の代弁者でしょうか?投票権ある市民のはずです。投票権のない外国人の声にも耳を傾けることは大事ですが、最終的には議員は投票権ある人の代弁者としての責務を果たしていただかないと意味がありません。
想像ですが武蔵野市はとても住環境がよく学校も多く、リベラルな空気をもっているのだと思います。その価値観は重要ですが、一定の枠組みは守るべきではないかというのが移民国家で移民ステータスで30年も暮らす者の一意見であります。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年12月14日の記事より転載させていただきました。