衆議院憲法審査会が12月16日に開催された。待ちに待った憲法議論の前進を歓迎する。各党の特色がよくわかる自由討議であったが、とりわけ玉木雄一郎国民民主党代表の言動に注目したい。
報道によれば「日本を取り巻く国際情勢や国内状況が大きく変わる一方、日本国憲法は制定以来、約74年間そのままであり続けてきた」(BSフジLIVE プライムニュースより引用)という。文言に関するならばその通りであろう。
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しかし実態は、日本を繞る環境変化に合わせて解釈を自在に変更することで対応できたので、逆に条文自体は変更しないで済んでいただけである。現状は憲法条文と実態との乖離が大きいため、この状態を国会が放置し続けることには2つの理由から反対である。
理由の一つ目は、「時代と憲法の不適合は最悪の場合国家を破綻に導くから」である。明治憲法の「欠陥」は大日本帝国崩壊に大きな影響を与えた。この経験から日本は、憲法の欠陥の恐ろしさを学習すべきであるが、多くの国民はそこまで考えたことはないだろう。二つ目は、「国会や国会議員は国民の意思を国政に反映すべきだから」である。それぞれ詳述して行く。
理由1:時代と憲法の不適合は国家を破綻に導く
大日本帝国憲法においては、「統帥権」として陸海軍を動かす権限は天皇が直接握っていた。そのため構造上、軍事を司る機能は日本政府から独立しているとも考えられ、政略と戦略の双方が背反する場合、形式上は天皇が国家意思を統合する役割を期待されていた。これは明治憲法が抱える構造上の問題点であったが、明治期にその悪影響が表出しなかったのは、「元老」という軍事も国政も知悉した助言者が天皇を助け、軍人も政治家もよく協力して国政を担っていたからであった。しかし大正・昭和と時代が推移するなかで指導層の識見や資質も激変し、「元老」も組成できなくなっていった。そのためか昭和天皇の時代には内閣首班指名も元老に代わって内大臣が助言するようになった。(東條英機を指名した折の内大臣は侯爵木戸幸一であるが彼は木戸孝允の孫でありいわゆる権力の「世襲」と言えるだろう。)
その「統帥権」の及ぶ範囲をめぐって、軍縮でポストが減ってしまう軍人の一部反対運動に野党とマスメディアが乗じて「統帥権干犯」という横車を押した。これによって国民が煽られたことも、軍による事実上の権力「簒奪」に勢いを与える結果につながっていった。しかし結局国政と軍事が分離していることの悪影響は、対米英戦争を遂行する中で東条英機も痛感したと見られ、首相や陸軍大臣に加え参謀総長も兼務することでその欠陥を解消しようとしたが全く間に合わなかった。
これは時代と憲法の不適合がもたらす最悪のケースであるが、現在は逆の意味で構造上の欠陥(後述)を抱えている。
理由2:国会や国会議員は国民の意思を国政に反映すべき
朝日新聞によれば「衆院選を経て野党の立ち位置も変化した。改憲論議に前向きな維新、国民民主が伸長し、立憲と共産はともに議席を減らした」という。この因果関係の断定には慎重でありたいが、一つの見方ではあろう。
他にも産経新聞社とFNNが11月に実施した合同世論調査によれば「先の衆院選後(中略)首相が意欲を示した憲法改正は55.5%が賛成で反対は33.9%だった。先の衆院選で躍進した日本維新の会が政党支持率を11.7%に伸ばし、野党第一党の立憲民主党(9.0%)を上回った。」という。この調査を信頼するならば、憲法改正は賛成が過半数であり、反対の1.6倍と大差をつけた状態であることから、「民意は憲法改正を是としている」とみなす方が自然だろう。
【産経・FNN合同世論調査】第2次岸田内閣支持率63% 維新、立民上回る11%
これらの事実、つまり「改憲論議に前向きな政党」が選挙で議席を増加させた事実と、民間ではあるが世論調査で改憲賛成の方が多数を占めた事実は、国政を担う意思のある政党ならば無視すべきではないだろう。例えば立憲民主党の「なぜ急に、憲法審査会だけに焦点を当てて、「毎週開け、開け」と大合唱をするのか。(中略)「憲法審査会だけを動かせ」というのは、国民をだます行為だと思います」(朝日新聞17日記事より引用)という姿勢や、共産党の「私たちは憲法審査会は動かすべきではないという立場で臨む」(朝日新聞9日記事より引用)という考え方のままでは、次の選挙でも支持を落とすだろう。
「憲法審だけ『毎週開け』大合唱は、おかしな話」立憲・泉代表 [立憲]
国民民主の憲法審運営で与党側入り 共産・志位氏「危険な道」 [共産]
なお、賛成反対双方の主張を聞き入れてこそ議論は深まるので、反対政党も「おかしな」や「危険」といった印象付けで情緒に訴えるのではなく、論理的根拠を示しながら反対論を唱えて頂きたい。
現行憲法が抱える構造上の欠陥とは
報道によれば、玉木代表は「緊急事態条項について、与野党ともに危機感が足りない。感染症や大地震で選挙ができない状況において、会期の特例が定められていない。それで国会が、立法府としての行政への監視機能を維持できるのか」と疑問を呈し、さらに「大切なのは緊急事態の定義。国民民主党としては、我が国への外部からの武力攻撃、内乱テロ等による社会秩序の混乱、大規模な自然災害、感染症の大規模な蔓延の4つを挙げています。自民は大規模災害だけを例示していますが、恣意的な運用を避けることも考慮し、ここは変えた方がいいと思います」(前掲、BSフジLIVE プライムニュースより引用)と自説を掲げるが、これらは正鵠を射ていると考える。
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現行憲法が包含する課題は数多く考えられるが、中でも特に昨今の感染症流行で露呈したのは玉木代表も指摘している通り、緊急事態に直面した際に政府や国会に与えられる権能と責任の不明瞭さである。感染症に限定しない一般論として、危機に際しては深い思惟や議論をめぐらせる余裕はなく、法改正をすすめながら適時適切な対応ができるものでもない。
また、武力による国際紛争の解決は、示威も実力行使もともに諸外国が実施しているのが現実の世界である。そのため日本が望まなくともこれに対抗する力を持つことの重要性は議論を要しないだろう。その一方、現行憲法において日本が過度な自縄自縛状態に陥っていないかどうかを真剣に検討するならば、大きな課題があることもまた自明であろう。
国政判断の前提条件である国際情勢が激変しつつもやや落ち着いている現在は、深く議論するための条件が揃っている。想像力を働かせながら議論するには時間も相当必要であろう。現行憲法が最適であるならば、「議論を尽くした結果、一文字も変更する必要がない」という結論もあり得る。要するに、今や議論すること自体を躊躇しているときではない。もし憲法審査会の場でさえ改憲議論が「拙速」になりかねないとするならば、一体どこで議論すればよいというのか。「安部政権下では議論しない」といった姿勢で議論自体を妨害してきた立憲民主党は、代表が代わった今こそ、自らの姿勢を点検すべきではないだろうか。
むすび
憲法審査会で議論がスタートしたことは、なぜかテレビのようなマスメディアでは大きく取り上げられていない。しかし議論を尽くすべき現段階では、むしろ皮相的に騒ぐメディアの注目は邪魔なので、静かなこの環境も好都合である。
日本にとって実質的な改憲議論が進むことの意義は誠に大きく、今回の憲法審査会の開催は極めて重要な意義を持つ一歩である。この動きの背景として民意の存在はもちろんだが、現実にその動きを促進させている人々の努力を称えたい。
改憲の重要性を雄弁に語る政治家や論者は多いが、現実的に推進させている人物は意外に少ない。少なくとも現行憲法を検証することの必要性を感じている国民であれば、現実的な議論の推移には今後とも注目したい。
本稿を簡略にまとめるならば、代表も筆者もいい大人であれば正面から褒めるのも恥ずかしく、せめて有力な言論プラットフォームである「アゴラ」の片隅で論考の形式をとらせて頂いた次第である。