こども「家庭」庁の何に失望しているのか --- 松本 光博

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菅政権のレガシーの一つである「こども庁」、当初の創設予定だった2022年度を先送りし、2023年度以降の創設になるという報道が11月にありました。そして12月15日、政府は「家庭」の2文字を加えた「こども家庭庁」とする方針を固めた、という報道がなされました。自民党内の「『こども・若者』輝く未来実現会議」(座長・加藤勝信前官房長官)での決定を受けての方針決定である、ということです。

寝耳に水でした。初報から「自民党内で異論噴出」という情報も入っていましたが、自民党内でも優れた子ども政策を発信していることで注目していた衆議院議員がこども「家庭」庁に賛意を示し、また我が日本維新の会でも、子ども分野に精通していると感じていた議員がこども「家庭」庁に賛成であるという趣旨の発信をしています。私もTwitter上で意見は表明していましたが、この考えに至った経緯と思いを記していきたいと思います。

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「Children Firstの子ども行政のあり方勉強会」の中で、虐待サバイバーの風間暁さんが「家庭という言葉に傷つく」と訴えたことを受け、当初案の「子ども家庭庁」を「こども庁」への変更した議論を重ねてきた経過は、同勉強会の共同事務局を務められている山田太郎参議院議員のブログに詳しく記載されています。

ブログ記事のサムネイルの勉強会(子ども虐待防止対策イベントin東京2020)には私も参加していました。山田議員の目線の方向に座っていました。このイベント終了後に、他の都議や区市議には目もくれず、山田議員にLINE交換を熱烈に迫る風間さんの姿は印象的でした。

同勉強会が今年4月に菅総理宛に申し入れている提言を踏まえると、こども庁の役割は「行政の縦割りを克服し府省庁横断の一貫性を確保するため、総合調整、政策立案、政策遂行の強い権限をもたせる組織を作る。専任の大臣が率いる庁級の組織で、子ども・子育て関係支出の対GDP比を倍増させること」になります。

一例として、保育園は厚生労働省、幼稚園は文部科学省、認定こども園は内閣府の所管であることは夙に知られていますが、子どもに関わる政策が、子どもや家庭に意識されないところで大人の縄張り争いに巻き込まれていて、それゆえ政治が子どものために役割を果たせていない現状がある。だから総合調整をする権利があって、政策の立案と遂行に責任を持てる体制を作ろう、というのがこども庁の設立趣旨だというのが私の理解です。事務局長を務める「子どもの事故予防地方議員連盟」からも、佐藤篤会長が同勉強会に参加をし、期待を込めて議論の経過を見守ってきました。

では具体的に、こども庁設立の問題意識の中で、どのような不具合が起きているのか。厚生労働省は「家庭」を単位として、家庭自体の福祉を増進させることを通じ、子どもを支援する役割を、これまでもこれからも果たしていく。また文部科学省は「学校」という重要な接点を通じて子どもを支援していく。

昨年の一斉休校時に、家庭に困難が存在する子どもの栄養面を支える学校(給食)の役割が注目された通り、厚労省と文科省は、家庭と学校を支援する(またその接点である基礎自治体を支援する)ことによって、十分ではないにせよ相補的にたくさんの子どもの福祉の増進に努めてます。この二者が子どもの福祉増進に果たす役割はこの先も最も重要です。

子ども・子育て関連支出の対GDP比の倍増という野心的な目標が掲げられていますが、大半がこれらの支援に使われていき、家庭と学校がより多くの子ども達の支えになることが、子ども達の「最大多数の最大幸福」につながると私は思っています。

ですが、家庭にも学校にも居場所がない子どもがいる、という現実があります。これは政治家として、なかでも不妊治療の分野に関心を寄せてきた議員として覚悟を持って記しますが、親である資格のない親、親であることを放棄している親というのは現実に存在しています。

先に触れた風間さんや同じイベントに登壇した虐待サバイバーの体験談を聞き、また地域などでも直接的に見聞きして、その認識に至っています。そういった親で構成されている家庭は幸いに多数派ではなく、多くの家庭にとって政治の支援は子どもの福祉につながるものだと私は感じていますが、一方で「家庭」をどれだけ支援しても子どもの福祉につながらない家庭が存在しています。

こども「家庭」庁は、そういう現実に目を背けて遮二無二「家庭」を支援していくのではないか、という懸念を覚えています。目を背けられた家庭に居場所のない子ども達が、これまで以上に「家庭という名の地獄」に押し戻されていくのは、Children Firstでも、こどもまんなかでもありません。

冒頭で紹介した私のTwitterの引用元である、NPO法人理事の荻野幸太郎氏が喝破している通り、こども「家庭」庁の問題意識であれば、厚生労働省の強化が正しい筋道だと思っています。

繰り返しになりますが、家庭にも学校にも居場所がない子どもが、子ども全体に占める割合は決して多くありません。遮二無二家庭を支援することで、多くの家庭と子どもの福祉増進が実現されるのは素晴らしいことです。数が多くないからと見てみぬふりを続けることに、失望をしています。

自民党内では「名を捨てて実を取る」という意見が出てきているようですが、設立前から名を捨てられた組織に、ビジョンの持つ力は作用しないでしょう。

杉並区の「子ども家庭部」はこの名称が妥当

最後に、この議論の中で、「子ども関連を所掌する自治体組織に、子ども「家庭」がつく部課は多くあるけど、それには違和感がないのか」という指摘を見かけます。それについて記したいと思います。

私が住む杉並区も「子ども家庭部」が子ども関連の施策を担っています。この部門が行っていることを考えれば、自治体は「家庭」が入っている方が自然だろうと思います。こども庁が追求している(していた、ではないと信じたい)子どもの権利というのは、家庭や地域に縛られるものではありません。シビアな場面では、権利が守られるために家庭から切り離す、また場合によっては地域からも切り離すことが必要となります。

自治体は家庭単位で行う膨大な事業を今持っていることに加え、その存立要件からしても地域には縛られることとなります。地域をまたぐ場面では他自治体との「連携」によってそれを実現しますが、それがいかにうまくいかないかは、2018年の目黒区の結愛ちゃんの虐待死事件で明らかになった通りです。

杉並区も令和8年度の区立児童相談所設置に向け、今後準備を加速していきますが、虐待事案に対して法的権限に基づく介入を行い、区内の一時保護所で保護するという場面が今後想定されます。

現状は東京都の児童相談所が介入による一時保護を行った場合、都内に複数ある一時保護所のどこに児童が保護されているかわからず、これが児童の安全の担保になっていましたが、今後区内の一時保護所での保護となった際に、葛藤の高い親の奪還行動が発生するリスクは(区内一時保護所も場所は非公開のため若干)高まることが懸念され、これは今後の課題の一つと考えています。

このように、自治体は必定地域に縛られるものであり、地域>家庭>子どもというアプローチが自然だろうというのが現時点での私の見解です。だからこそ、子どもの権利の最後の砦として、地域の縛りを受けない国として、家庭の縛りも受けることなく子ども固有の権利にまっすぐ向き合ってほしい。このことを強く願っているものです。

虐待サバイバーの風間さんが、都議や区市議ではなく参議院議員の山田太郎氏にアプローチしていたことを紹介しました。これが当事者の慧眼というものですね。

松本 光博
日本維新の会 杉並区議会議員。早稲田大学法学部卒業後、株式会社リクルートに入社し、不動産情報「SUUMO(スーモ)」で約9年間勤務。その後もITの営業部門に従事し、2019年から杉並区議会議員選挙(1期)。双子の男の子と妻の4人家族。東京維新の会事務局長、東京若手議員の会副代表、子どもの事故予防地方議員連盟事務局長など。