東フィルの第九は12/23のオペラシティ公演を聴いた。指揮は角田鋼亮さん。ソプラノ迫田美帆さん、アルト中島郁子さん、テノール清水徹太郎さん、バリトン伊藤貴之さん。新国立劇場合唱団。コンサートマスター三浦章宏さん。
前半の『フィデリオ』序曲から角田さんと東フィルの「士気」に圧倒された。角田さんが在京オケを振る演奏会は去年から聴く機会が増えたが、今年はさらに充実した内容のものが多かった。非常に謙虚な人というイメージを抱いていたが、音楽には無尽蔵のパワーを感じる。
クラシックの世界もショウビズと考えるのなら、角田さんのような派手さを前面に出さないタイプは大変なのではないかと勝手に思っていたが、杞憂であった。今年の最後に内容充実のベートーヴェンを聴かせてくれたのが嬉しい。
第九はやはり、ストーリーが大事なのではないか。フィナーレの合唱も、急に出て来る感じの指揮もあるが、歌心の火種のようなものが冒頭から渦巻いていて、それがついに堪えられない臨界点に達して、歓喜の歌が爆発するような流れが欲しい。
東フィルは1楽章から集中度が素晴らしく、クレシェンドが緻密にコントロールされていて、立体的。バスの音がよく響き、「運命の星雲」のようなものが容赦なく近づいてくるような切迫感があった。濃密なドラマと、宇宙的なスケールのランドスケープが幻視された。
オケの各パートがお互いの音をよく聴き、最善の合奏を成就させ、音符と音符の間に白けた隙間などひとつもなかった。音符と音符の隙間を埋めるのは、指揮者の想念に他ならない。「これは単に書かれた作品で、全体を俯瞰して音符の面白い仕組みや分数を響かせよう」というアプローチは、あってもいいと思うが、2021年の12月にはあまりふさわしくない。
角田さんはベートーヴェンを通じて、指揮者の世界に対する愛と哲学を見せてくれた。
3楽章の美しさは言葉に尽くしがたく、ホルンの大変なソロも立派だった。角田さんは指揮棒を置いて宇宙遊泳するような全身の動きで清冽な響きを引き出した。
今年も本当にこのオーケストラにはお世話になった。定期演奏会だけでなく、オペラ、バレエ、指揮コンクールの予選でも誠実な演奏をしてくれた。
ピットに入っているときも、ステージに乗っているときも、東フィルの演奏が「よくない」と思ったことは実は一度もない。むしろ、いつも新しい発見がある。
私が在京オケの取材を始めた頃、東フィルはオーケストラファンに過小評価されていたと思う。そうしたファンともすっかり交流がなくなった。
オケに色々な切り札があるというのも強いが、音楽の成り立ち方が成熟していると毎回思う。響きに温かさがあり、包み込むような寛大さもある。
ベートーヴェンは第九を書いたとき、難聴がかなり進んでいたはずだが、そのことで音楽には非常に強い「内観」があらわれている(よく言われていることかも知れない)。
タロットカードで「吊るし人」というカードがあるが、神秘家の松村潔さんによると、吊るされている男は聖なる人で、逆さ吊りになることで思想を煮詰め、「イカの塩辛のように」発酵させているのだという。逆境にあって、物凄く強くなる人は「聖人」である。ベートーヴェンは逆境の中で「人間」を越え、別次元につながろうとしていたのではないか。
新国立劇場合唱団がとにかく衝撃的に素晴らしかった。前日にサントリーホールで読響と共演したのとは別のチームのようだが、今まで聴いたことのない「鋭さ」があり、特に男声合唱のドラマティックな表現は驚異的だった。
おかしなことを言うようだが…バルコニーに並ぶ男性たちは、前世はドイツやイタリアやスペインにいた人々なのではないかと思った。気配が、日本的ではない(日本的なのが悪いというのではないが)。厳しい戦いを経て帰還してきた高貴な兵士たちに見えたのだ。
バリトンの伊藤貴之さんはオペラでもいい演技をされるが、第一声の迫力は第九でも健在。雷神のようなインパクトだった。テノール清水さん、ソプラノ迫田さん、アルト中島さんも生き生きとした声を聴かせてくれた。
フィナーレ楽章の旋律線のシンプルさに改めて驚く。ラスト近くの合唱のユニゾンは西洋音楽を越えて、東洋の祝詞のようにも聞こえるし、メロディが歯止めなく単純さを究めることによって、人と人との間の対話だけでない、人と神との対話が浮き彫りになる。
「人の世界で褒められたり羨望されたりということが、どれほどのことか」と作曲家は言っているようだった。確かにベートーヴェンは名誉を求め、貴族をパトロンにした。第九ではもはやそうした「世間」はどうでもいいことになっている。
この曲の普遍性が、時代を越えてこんなふうに生きていることの意味を考えた。
角田さんは2022年もますます活躍されることだろう。東フィルがこんなにも夢中になって若いマエストロについていったこと、コンマス三浦さんの人間力の凄さ、全員の騎士道精神に感銘を受け、逆境の中でどんどん進化していく人類の精神を清々しく思った。
第九の芯にあるものは、道徳性だ。冬至を越えて、わずかに光が増していく12月の末に相応しい演奏を聴いた。万感の思い。
編集部より:この記事は「小田島久恵のクラシック鑑賞日記」2021年12月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は「小田島久恵のクラシック鑑賞日記」をご覧ください。