国際政治の火花が散る地域は「火薬庫」と称され、かつては第1次大戦前のバルカン半島を指した。が、人類最初の世界大戦から百年を経た今日の「火薬庫」は、一つは極東の台湾海峡であり、もう一つは旧ソビエト連邦と欧州が接する中東欧ではなかろうか。その両方にロシアと中国という共産主義の過去と現在の盟主、さらにリトアニアという北欧の小国が絡んでいる。
人口約280万人(大阪市とほぼ同規模)のリトアニアは、13世紀半ば王国となり14世紀後半からはポーランドと連合していたが、18世紀末の第三次ポーランド分割でロシア領となる。第一次大戦後に独立するが20年後にソ連に再併合され、1991年のソ連崩壊によってバルト三国のラトビア、エストニアと共にようやく独立した。
独立後リトアニアは西側社会入りを目指し、91年に国連とOSCE、92年にIMFと世銀、93年に欧州評議会、01年にWTO、04年にNATOとEUにそれぞれ加盟、15年にはユーロ圏に入り(当初はドル・ペッグ制)、18年には先進37ヵ国(21年時点)で構成されるOECD加盟も果たす。国連重視の外交方針から14~15年には安保理非常任理事国(13年10月に当選)を務めた。
日本との関係は良好で、40年7月にカナウス(ソ連占領下の暫定首都)の日本領事館でユダヤ人に「命のビザ」を発給した杉原千畝領事の美談は今も人口に膾炙する。安倍元総理は地球儀を俯瞰する外交の一環で18年に日本の総理として初訪問、当時のグリボウスカイテ大統領や首相と会談し、19年10月には天皇の即位礼正殿の儀に出席するためナウセーダ大統領が訪日した。
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リトアニアが台湾に関心を向けたのは、19年1月2日に習近平が、中国が台湾に平和統一を呼び掛けた「台湾同胞に告げる書」の40周年演説で、台湾統一の選択肢として軍事力の行使を排除しないと言明したことに反発した欧州議会が2月、親台湾派議員7人を訪台させた辺りからのことと思う。
新型コロナ肺炎が中国武漢市から世界中に蔓延し始めた20年2月、欧州議会は、ウイルス発生源の隠蔽が疑われる中国を擁護したWHOから排除されている台湾への同情から、議員約100人がテドロス事務局長に抗議の書簡を出した。同議会は11月にも再び台湾の参加を求める書簡を発し、人権に篤い欧州の一面を垣間見せた。
中でもロシア占領下の過酷な過去のあるリトアニアは21年3月、経済相や副外相、首都ビリニュス市長、欧州議会議員、大学教員など政界や文化界を中心に、台湾との関係を発展させるための「リトアニア・台湾フォーラム」を設立した。そして6月、台湾に新型コロナのワクチン2万回分の提供を発表、同月下旬には台湾への「リトアニア代表処」の設置計画が明らかになる。
共に地震国である日本と台湾が被害のある度に支援し合うのと同様、リトアニアのワクチン提供に対しても台湾の民間食品会社などから多くの返礼がなされた。加えて蔡政権は21年7月21日、国交のないリトアニアの首都ビリニュスに代表機関「代表処」(事実上の大使館)設置を発表した。筆者には、両国がその過去と未来を相手国に投影し合っているように思える。だが早速、中国外務省は翌月10日、駐リトアニア大使の召還を決定する報復に出る。
11月18日に「代表処」が「台北代表処」ではなく「台湾代表処」の名称で業務を開始すると、猛反発した北京は同21日、「一つの中国」政策に反しており、「リトアニアとの外交関係を築くための政治的基盤が破壊された」として、外交関係を「代理大使級」に引き下げ、リトアニア製品の輸入を全面的に禁止した。前者はウイーン条約、後者はWTOへの違反が疑われ、「法の支配」を無視する北京の本性が透ける。
この措置を1月6日の米メディアAXIOSは、「現在、北京は欧州企業に対し、サプライチェーンにおけるリトアニア製品の使用を停止するよう圧力をかけているとの報道もあり、国際貿易ルールに違反する可能性のある前例のない介入だ」とし、「台湾政府は不買運動前に中国向けだったリトアニア産ラム酒2万本を購入し、国民にラム酒のカクテルを提案」と報じた。
同紙は併せて、目下の台湾とリトアニアは「リップサービスに留まっているEU」が踏み込めないところに来ており、「北京の更なる敵対を警戒するEU加盟国の賛同が必要だ」としつつも、「いくつかの加盟国だけでなく、自国の大統領もリトアニアの台湾問題への対応に深い不満を抱いている」とする。
それはナウセーダ大統領が4日、「台湾代表処」の名称を認めたのは「過ちだった。私は関与しなかった」と述べ、ランズベルギス外相が「すべて大統領と共に決めた」と反論した内輪揉めを指す。リトアニア銀行(中央銀行)の金融政策部門長や民間のSEB銀行のチーフエコノミストを務めたナウセーダが、中国との経済摩擦を懸念してのことだろう。
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リトアニアに不満を抱くEU加盟国の代表格はドイツだ。AXIOSが引用するGMF*シニアフェロー、ノア・バーキンの「Watching China in Europe」には、「米国がリトアニアに台湾という名称の使用を承認するよう働きかけたという噂がドイツで流れているが、これは米中冷戦に引きずり込まれるというベルリンの懸念によって彩られているかも知れぬ」とある(*The German Marshall Fund of the United States:72年にマーシャルプランによって設立)。
バーキンは、メルケルの去った独連立政権の発足後数週間にショルツ新首相が発した中国に関するシグナルは「音色も内容も驚くほどソフト」で、彼は「連立政権の青写真に掲げられていた中国政策に関する主要なメッセージを短期間のうちに弱体化させることに成功した」と述べている。
背景として独企業のトップ、例えばWVのヘルベルト・ディースが「中国での協力とプレゼンスはもっと必要だ、減らすな!」と投稿し、シーメンスのローランド・ブッシュがドイツ紙で「中国は尊敬に値する、新疆からの製品禁輸はドイツのグリーン転換を危うくする」と発言したことを挙げる。
他方でバーキンは、ブリンケン国務長官がここ数週間、EU諸国との電話会談でこの問題を取り上げてリトアニア支援を明言しているとし、記者会見で独新外相アナレナ・バーボックの隣に立つブリンケンが「これはリトアニアだけの問題ではなく、世界の全ての国がこの種の強制から自由に自国の外交政策を決定できるようになるべきだ」と述べたと書く。
要はリトアニアで活動するか、或いはリトアニア製品を調達する欧州企業の輸入を阻止することでこの問題を「欧州に広げる」北京の決定を、EUは単一市場に対する直接的な攻撃と見做すべきで、これに対する強力で統一された対応を要するということだ。
ここ1年店晒しの中国の投資に関する包括協定(CAI)協定をという駒がEUにはある。新疆ウイグル自治区での人権侵害で中国の関係者を制裁したEUへの報復で、北京が欧州議員を制裁したのが事の発端だ。その解決がないにも拘らずショルツは、習近平との会談でCAIが「早期」に実施されることに期待を表明した。ショルツら欧州の指導者は沈黙でなく、リーダーシップを発揮する必要があるとバーキンは述べる。
バーキンは米NSC幹部が最近、独政府関係者に「11月の米中間選挙までに中国問題で協力する用意があるという明確なシグナルを出さなければ、米国の単独主義が再びむき出しになるとのメッセージを伝えた」とし、独外交官は「東欧の人々は米国のこの地域へのコミットメントを真剣に懸念しており、中国はそのためのチップ」で、「これは中国についてではなく、米国とロシアの問題だと聞いた」と述べていたと書いて記事を結んでいる。
紙幅が尽きたので「東部EU」と中露のことは後編で。