馬淵澄夫氏の旧宮家復帰違憲論は天皇制廃止に繋がる

立憲民主党は1月14日、国会内で、安定的な皇位継承の在り方を議論する党の検討委員会(委員長・野田佳彦元首相)の初会合を開いた。

野田氏がかつて首相として推進した女性宮家という案が軽視されているのを不満であるのが発端らしいが、そもそも、野田氏らが女性皇族と結婚したら庶民の男性が皇族になれるという女性宮家などという考え方を持ちだしたのが、小室事件の原因なのだから、それについて、野田氏は国民に謝罪するのが先だと思うが、その点は、また別の機会に論じたい。

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それより、恐ろしい議論がされていると思うのは、皇統に属する男系男子を養子縁組で皇族にできる案について、馬淵澄夫国対委員長が「憲法で禁じた門地による差別に当たる。問題点をはらんだ提言がなされていることに懸念を持った」と主張したことである。

しかしこの憲法解釈だと、極めて大きな確率で、将来皇位継承が可能な人がいなくなり、天皇制度は廃止というか自然消滅せざるを得なくなる。

そもそも、女性宮家というのは、眞子・佳子・愛子様が結婚したのち、彼女たちを当主とする宮家を設立し、原則としてその夫や子供も皇族とし、その後も、世襲させていくことをいう。

ただし、いろいろバリエーションはある。

理屈からいえば、三笠宮家や高円宮家にも適用されてもおかしくないが、野田内閣にそのつもりはなかったようだ。もともとの意図が、当時の両陛下の子孫に皇位を限定したいという思惑で出てきた話だからそうなっただけで、理屈が通らない話だった。

本人以外は皇族にしないし、一代限りで、世襲させないという選択もあるが、それなら、公務を結婚後も分担できるようにすればいいことだ。

それなら、世襲させるとすると、子どもも皇族でなければおかしいし、夫だけは一般人だとすると、妃殿下は皇族なのに女性宮様の夫はそうでないということの不自然さがある。だから、女性宮家を認めたら、小室圭氏は殿下になれると思ったのだ。

また、世襲は男子だけというのは女性宮家の思想と両立しないが、男子優先なのか長子優先なのかどうかということもあるし、次子以降も新しい宮家を新設するのかも問題だ。

そもそも、今上陛下のあとは、秋篠宮皇嗣殿下、悠仁親王の順に継承が予定されている。ただし、本当に、今上陛下と悠仁親王のあいだに、秋篠宮殿下が入られるかどうかは、悠仁親王が結婚されたのちに議論されるのであろう。皇太子という称号を秋篠宮殿下が避けられたのは、その当たりも念頭にあったのではないかと推定される。

しかし、なかには、悠仁親王を廃嫡して、愛子天皇の皇位継承を策する勢力もあるし、あるいは、悠仁親王はそのままお願いするが、それ以降は長子相続ということをいう人もいる。

そのように、女性宮家を認めると云ってもバラエティがあるのだが、ただ、共通しているのは、平成の両陛下の子孫に男女を問わず、皇位継承の範囲を限定しよう、少なくとも、とりあえずは、考慮に入れないことにしようという思想だった。

だが、私はこの考え方には男系男子に限るということの是非を別にしても、深刻な欠陥があると指摘を続けてきた。というのは、上皇陛下の四人の孫の子孫が女系を含めたとしても永続する保証はどこにもないからである。

そもそも、四人の子孫が何世紀も続くとは限らないのは、数学的にもそうだし、まして、四人が同じような遺伝子をもつのであれば、まったく血縁関係のない四人より、その危険性は遥かに高い。

とくに皇室の場合、近親結婚が多かったこともあるのか、普通よりこどもは少ない。戦後の皇族および結婚して皇族を離脱されたなかで、子どもを持てたのはだいたい半数であって平均より少ない。

それを考慮すれば、たとえば、四人の子、孫、曾孫やそれ以降と言った世代において十分な皇位継承候補がいるかどうか分からないのである。

まさか何世紀後かになって、平成・令和のころに、旧宮家復帰論があったがその子孫はどうされているだろうかと探して皇族になって頂くのは、いま、旧宮家に復帰して頂くよりはるかに難しい。

私はたとえ女系継承をみとめた場合でも、旧宮家を皇位継承の候補から外すのは、天皇制度を自然消滅させかねない暴挙だと主張してきたのである。

そして、さらに、一部の憲法学者や、それに悪乗りした馬淵澄夫国対委員長のように、皇族でないものが皇族に復帰したり、皇位を継承したりするのを門地による差別を禁じた憲法に違反するから認めがたいということになると、上皇陛下の四人の孫の子孫がいなくなれば皇室と天皇制度は自然消滅で終わることになる。

さらに、女性宮家を認めたとしても、常識的には、その子孫を男女を問わず全員、皇族にしようということにはならならず、数家を限度とする宮家を維持しようと云うことになるだろうから、たとえば、佳子様が秋篠宮家をお継ぎになられて二人の子どもができたとして、長男は宮家を継がれたが子どもがなく、皇籍を離脱した次男か長女には子どもがいても、復帰して宮家を継ぐのは憲法違反になってしまう。

つまり、上皇陛下の四人の孫の子孫が存続しない可能性以上に、存続していても天皇制を廃止せざるを得なくなる可能性はかなりあるのである。

そもそも、世襲君主制は、どんなに遠縁でも、皇位継承原則に従って、無限に継承者がいることを前提にした制度であって、現在の君主から遠縁であるから資格なしという議論になじまないのである。

それが許されるのは、いずれ廃止されてもいいという場合で、たとえば、モナコの君主家が断絶したらモナコという国自体がフランスに併合されることになっている場合だけが例外なのである。

その意味で、上皇陛下であろうが、今上陛下であろうが、特定の天皇の子孫に継承資格を限定するのはおかしいし(あまりにも多すぎるので管理しきれないなら別だ。たとえば、イギリスの場合、17世紀のジェイムズ一世の孫娘でハノーバー選帝侯妃ゾフィーの子孫に限定されているが資格者は5000人ほどいる)、皇族の範囲など、さしあたっての皇位継承の予備軍という以上の意味を持たず、足りなくなったら、いったん皇族を離れた系統の人をふっきさせるのが当然なのである。

にもかかわらず、馬淵澄夫氏のような議論をすることは、天皇制度を限られた何人かとその子孫がいなくなったら廃止すればいい。むしろ、戦後天皇制度を存続させたことを、角が立つからいきなり廃止はしないが、将来はなくなるべきものと位置づけたという思想に根ざしたものと云わざるを得ない。

もちろん、馬淵氏がそんなことを考えているのではないだろうが、論理的にはそういうことであり、政治家として極めて軽率だと云わざるを得ないし、速やかに撤回して頂きたいと思う。