北米生活30年に思うこと。日本人はもっと国際人になれ

私は学生の時から思い続けている信念があります。それは「国際人になる、そして世界で活躍する」です。大学の4年間で幸いにして海外に7回行きました。その渡航先はほぼ全て欧米とソ連東欧でした。意識はしていませんでしたが、私自身、明治維新の頃、欧米に遊学した日本人と同じ気持ちだったのかもしれません。授業でも経済学部なのに一番楽しかったのは国際関係論や社会学でした。外交官になりたいと思い続けたのも当時でした。

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結局、役人にはなれませんでしたが、民間企業の就活ではとにかく海外に行ける会社を見境なく選択して面接を受けていきました。ロシア(当時のソ連)向け輸出に強いある建機メーカーの最終社長面接でソ連に大変興味がある、と言ったらゼミの教授に「彼はアカですか?」と確認の電話が入り、教授は笑い飛ばしたので内定が出たという逸話もあります。

入社することになった準ゼネコンの最終面接はカリスマ創業家の社長を含む役員面接で学生は6人の集団面接。残り5人は全員早稲田、慶応で人事部からはグループごとに一人ずつしか合格しないと事前に聞かされていました。私は横一列6人の真ん中あたりの好位置で社長と対峙する席です。型通りの面接が終わった後、「質問はあるか」との司会の声に私は一番にまっすぐ高く手を上げて「御社のブラジルの事業についてもう少しお聞かせいただけますか?」と聞き、社長が嬉しそうに答えたのを今でもよく覚えています。そして縁とは恐ろしいものでこのカリスマ社長の秘書となり、そのブラジルにも行く幸運を得ました。

なぜ、そこまで海外志向だったのでしょうか?私が初めて行った英国ケンブリッジでの2か月ほどの生活であまりにも強いカルチャーショックを覚えたことがきっかけでした。明治時代の人が海外に出た時も同じような衝撃を受けたのだろうと察します。そして私は英国の伝統や風習の奥深さに対する社会学的興味を持ち勉強しました。次にアメリカのニュージャージー州に行きます。ここは英国とは正反対の人間性とアメリカ人のおおらかな優しさや下手な英語でも聞いてくれる姿勢に感動して別の意味でのカルチャーショックでした。

国内だけじゃつまらない、もっと面白い世界がある、これが私の原動力です。私は1月19日に北米生活30年を迎えます。そしてその間、日本人のメンタリティを維持しながら海外で悪戦苦闘をしました。北米には日本人を忘れた人、アメリカやカナダ人になってしまった人も数多くいます。パスポートではありません。精神論です。

福沢諭吉は「脱亜」(入欧とは言っていない)と言い、日本はアジアの欧米支配からの植民地解放闘争という名のもとに戦争に打って出ました。戦後は繊維、鉄鋼、自動車などを怒涛の如く輸出し、アメリカから厳しい糾弾がありました。私から見れば戦前も戦後のどちらのケースも歯止めが効かなくて「やりすぎ」だったと考えています。ではなぜ、欧米とうまく調整が出来なかったのか、それは利害関係を交渉する場が外交使節団だけという双方の理解度の低さも理由の一つではないかと考えています。

私がここバンクーバーでこれだけの長きにわたり、私なりに着実な成長が出来たのは現地との融和、そして出しゃばり過ぎず、一方で言うべきことは論理立てて説得する、そして力づくではなく、相手に「なるほど」と思わせることに徹してきたからかもしれません。私は典型的な遅咲き型なのですが、学生時代の努力がずいぶん経ってから実ってきたと思っています。

先日、当地UBCに交換留学にきている母校の現役生と食事をしました。「卒業後は?」と聞けば「できれば国連に行きたい、少なくとも海外」と。英語があまりにも上手なのでなぜ、と聞けば7歳から10歳までアメリカ、帰国後も英語だけは磨きをかける努力を怠らなかった、と。素晴らしい学生時代を歩んでいると思います。

今、海外で求められること。それは日本流を押し付けず、海外における日本人同士のビジネスからローカル向けに売り込むマインドチェンジです。日本の食文化を海外で紹介し、流行したケースは確かに多いのですが、廃れるのも早くなりました。いくら日本の有名店であっても飽きられます。このところ何故か、天丼屋が当地では増えたのですが、ヘルシー志向の北米人が脂っぽいてんぷらはもう食べないし、どんぶりに入った白米という炭水化物は魅力的には映りません。

私の知り合いはカツサンドで成功しています。しかし、このカツは豚ではなく牛なのです。何故か、といえば宗教的に豚がダメな人が多い、ベストはチキンカツだけど豚も鶏も脂っこいところにカツだと重すぎます。その点、牛カツは案外盲点だったかもしれません。

こういうことは現地にきて、住んで、融和してみないわからないものです。日本人が海外にきても日本人という鎧をまとっているから本当の理解ができないのでしょう。裸になって自分の常識観をすべて捨て去って人間と人間という観点で付き合うと全く違う世界が見えてくると思います。私は過去30年ずっと学ば差せてもらっています。そして今でもどんどん吸収しています。

北米30年、人生の半分を日本、半分が海外という理想の形で国際人としてもっと磨きをかけねばならぬと帯を締めているところです。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年1月16日の記事より転載させていただきました。