市民が被害に!巻き込み型自死志願者は何想う

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自分の人生に見切りをつけたい方が、善良な市民を巻き込んで自死を試みる…。恐ろしいことですが、こんな事件が続いています。

一部では拡大自殺や劇場型自殺という言葉も使われているようですが、私は勝手にその方々を「巻き込み型自死志願者」と呼んでいます。

そこに巻き込まれて命を奪われた方々のご冥福をお祈りするとともに、ご遺族、サヴァイヴァーとなった被害者のみなさま、ご親族、および身近な方々の苦悩をお察しいたします。

事件抑止の鍵は人か?環境か?

さて、このような事件がなぜ続くのでしょうか? 今後も続くのでしょうか? だとしたら怖いことです。私たちはどうしたら次の事件を止められるのでしょうか?

犯罪の抑止に向けては犯罪を起こせない環境作りが良いとされることがあります。疑わしき犯罪予備群をあぶり出す労力はエンドレスです。また、下手すると中世の魔女狩りのような悲劇にもなりかねません。そこで、犯罪を起こせない環境づくりが合理的とされるのです。

しかし、これは捕まらないことを前提にした常習犯を想定してのこと。後述するように捕まっても良い(逆に捉まりたい?)自死志願者は環境を問わず凶行に及びます。

電車の車中、病院、大学の門前、焼肉屋…あまりにも日常的な場すぎます。あなたもその周辺にいることは割とよくあるのではありませんか?

「ここは危ない」と避け続けていると、私たちの暮らしが障害されそうです。行かざるを得ない場が凶行の場になるのです。

そこで、ここでは事件の背景にある心の闇を明らかにすることで未然に防ぐ手がかりを探りましょう。彼らは一体、何を見て、何を思い、何を求めて、事に及んだのでしょうか? 筆者とご一緒に、2回に渡って脳心理科学的に考えてみましょう。

巻き込み型自殺志願者らの事件簿

どの事件を最初とするかは見解が分かれると思いますが、2021年8月の小田急線の事件は大きなインパクトを社会に与えました。刃物と放火…という凶行ツールもその後の事件に引き継がれているので、この事件からと言えるかと思われます。

大阪と代々木の事件では刃物はなかったようですが、大きなニュースになったものとしては今のところ(2022年1月19日現在)は次の順番かと思います。

  • 2021年8月小田急線切りつけ放火未遂事件
  • 2021年11月京王線切りつけ放火事件
  • 2021年12月大阪精神科放火大量死事件
  • 2022年1月代々木焼肉店立てこもり事件(フェイクの刃物と爆弾)
  • 2022年1月東大前切りつけ事件

内容としては小田急線の事件では大変身勝手な理由で罪のない女性らが重傷を負いました。放火は未遂におわりましたが、続く京王線の事件では小田急線の事件の失敗を参考にガソリンで放火するという恐ろしい事態になりました。

更に恐ろしいのは大阪の精神科の事件です。死亡した犯人と目される被疑者は25人もの命を道連れに目的を達成してしまいました。

代々木の焼肉屋事件では深刻な負傷者がいなかったことで「ほっと」したのもつかの間、今度はその数日の間に17歳の少年が東大の前で大学共通試験の受験生と一般男性を斬りつけるという事件が起こりました。少年は火炎瓶を用意しており、あたりを火の海にすることを目論んでいたようです。ボヤ騒ぎで収まったのが不幸中の幸いでした。

彼らの共通項は「自死志願」

年齢も生い立ちも異なる彼ら「巻き込み型自死志願者」には何か共通点はないのでしょうか?まず、真っ先に挙げられるとしたら、「自死を願っていた」ということが挙げられるでしょう。

ただ、自死への思いの濃淡はさまざまだったようです。「その現場で…」と願う場合も、「捕まって死刑に…」と受動的な自死を願っていた場合もあったようです。あるいは「現場で…」と意識的には思いながらも、無意識的には「生きたい」と思っていた場合もあったかもしれません。ですが、一時的であったとしても「自死」を望む気持ちで心が占められたのは共通していたようです。

自死を望む心はどうして生まれる?

では、なぜ彼ら「巻き込み型自死志願者」は自死で心が占められることになったのでしょうか?あらゆる生き物は本能的に生き残り子孫を残すことを求めています。進化論だけで考えればそのために生まれてきたと言っても過言ではありません。それなのに、なぜ、自死を求めてしまうのでしょう?

その答えは人生への絶望です。大阪の被疑者は“恐らく”という状況証拠からの推測になりますが、これらの事件の巻き込み型自死志願者は、揃って自分の人生への絶望と諦めを口にしています。

彼らがここまで追い詰められた背景は次回考えたいと思いますが、絶望、つまり何の希望も持てない人生を生き続ける…。おそらく、巻き込み型自死志願者は社会も、世間も、何の希望もない自分には冷たいように映っていたことでしょう。

あなただったらいかがでしょうか? そんな日々を生き抜けられるでしょうか?

私だったら、「自分」を生きることが嫌になりそうです。「もう自分(という人生)を止めたい」と願うことでしょう。

そんなとき、その願いを叶える手段はどこにあるでしょうか? 決して死にたいわけではなくても、私だったら死ぬことしか願いを叶える手段を思いつきません。手段が他にないとしたら…死ぬしかありませんよね。

自死志願の背景には「絶望」。では巻き込みの背景は?

このように自死志願の背景には、彼らの底しれぬ絶望があったことが読み取れます。では、なぜ彼らは社会も世間も自分に冷たく感じ、深い深絶望に陥ってしまったのか、そしてなぜ何の罪もない善良な市民を巻き込んでしまったのでしょうか?

この答えはまた次回の投稿で考えてみたいと思いますが、現在社会では次の巻き込み型自死志願者になり得る予備群がまだまだたくさんいるかも知れないというリスクを考慮する必要があるのかもしれません。

筆者は、リスクが高まった背景にはコロナ禍がもたらした何かが影響していると考えていますが、これについても、また次の投稿で考えてみたいと思います。

杉山 崇(脳心理科学者・神奈川大学教授)
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