追悼ドン・ウィルソン:ベンチャーズ最後の一人が逝く

エレキバンドの草分け、ザ・ベンチャーズの共同創立者で、主要メンバー4人中ただ一人存命していたドン・ウィルソンが1月22日、ワシントン州タコマで亡くなった。33年2月10日生まれの88歳11ヵ月、子供たち4人に看取られての安らかな死だったと内外各紙は報じている。

中でも23日の英紙「デイリーメール」が、創成期のベンチャーズと晩年のドンの写真を数枚載せている。記事に依れば、リズムギターのドンとリードギター(後にベースギター)のボブ・ボーグル(34年1月-09年6月)の二人が50年代後半、シアトルでベンチャーズを結成した。

直後にノーキー・エドワーズ(35年5月-18年3月)がベース(後にリード)で加わった。ドラムは筆者が知った64年頃はメル・テイラー(33年9月-96年8月)だったが、彼の没後は息子リオン・テイラーが務め、45周年日本公演にも来た。ドラマーについては興味深い話があり、後述する。

ベンチャーズは60年代にエレキギターの普及に大きな役割を果たし、「他の千のバンドを生んだバンド」として知られている。特にビーチ・ボーイズなどに影響を与えたサーフ・サウンドの創造に貢献したとされるが、それは例の「テケテケ」(波の打ち寄せる様)のことを指している。

少しマニヤックで恐縮だが、「テケテケ」は「グリッサンド」とか「グリス」とか言われる奏法。6弦(6本のうち最も太い)をネックの手元から先(糸巻側)まで一気にトレモロで弾き下ろすのだが、ベンチャーズのそれは当時の他のバンド(シャンティーズなど)と違ってかなり独特だ。

コツは右手に持ったピックでトレモロする時、ブリッジに右掌の膨らみを当てて消音(ミュート)しながら、左手は手元からゆっくりずらして弾くこと。こうすると、ピックと弦の擦れる音が加わり、かつ前半で溜を作ってから弾き下ろすのでスピード感がある。勿論、ドン・ウィルソンの工夫だ。

日本にもベンチャーズのコピーバンドが、「千」とは言わぬが各県に数組ずつはある。総じて演奏は上手で、しかも長続きしている様だ。理由は単純で、ベンチャーズの曲だけを繰り返し弾いていれば良いからだ。つまり、次から次への新曲をマスターする必要がないので、必然的に上達する。

私事に亘るが、筆者が初めてベンチャーズを耳にした確か中学1年、曲は「Walk don’t run」(「急がば回れ」)だった。印象的なイントロのコードを、兄の見まねで覚えた同級生が弾いた途端、それまで冴えない方だった彼に後光が差した。以来半世紀余り、ギターの師弟関係だけは当時のままだ。

そのイントロのコードは「Am→G→F→E7」という、「霧のカレリア」などと同じ定番進行なのだが、Am(短調)が実はA(長調)だったと後年に知る。ベンチャーズのヒット曲はこれ以外にも「パイプライン」や「十番街の殺人」など、他バンド曲やスタンダードのアレンジ曲が多いのも特徴の一つだ。

アレンジ曲といえば、三味線の「津軽じょんがら節」やベートーベンの交響曲第五番「運命」などをエレキで弾き、「エレキの神様」といわれた寺内タケシ(39年1月生)も昨年6月に亡くなった。彼が頭角を現す契機は、65年12月に封切られた加山雄三主演の「エレキの若大将」だった。

蕎麦屋の出前役の寺内が、エレキを弾く加山の部屋を覗き、「入って来いよ」といわれるや手にしたエレキを弾きこなす様は、加山が「君のために作って来た」とギター片手に歌い出す「君といつまでも」を、いつの間にか恋人も一緒に歌い出すシーン共々、そのリアリティーのなさが逆に受けたものだった。

日本でのエレキ普及にはベンチャーズと、加山と寺内のこの映画の貢献大だが、同じ頃世界中で旋風を起こしたビートルズの長髪の影響もあり、当時エレキを弾く若者は一律に不良と見做された。ところが、筆者の出た高校は67年11月の文化祭でエレキバンドの演奏を認める粋な校風だった。

1年4組バンド
左から筆者、Y君、S君

図書館を喫茶店に見立て、文化祭の3日間バンド演奏を許した。さすが総理大臣(小泉純一郎)と五輪金メダル(猪熊功)とノーベル賞受賞者(小柴昌俊)を輩出した唯一の高校だけのことはある。出演は上級生のビートルズバンドとベンチャーズバンド、そして我が「1年4組バンド」だ。

かつて同級生に一緒にギターを教わったS君が同じクラスになり、腕に覚えがあるか、または楽器を持っているのを二人で募ると、ギターが4人とベースとドラムが集まった。そして、弾けないけれどもギターを持つのが滅法上手いミック・ジャガー好きのY君をボーカルに入れた。

ギターのない筆者は親を泣き落とし、今はない「クレジットの緑屋」で25000円のグヤトーンの「テルスター」を10回払いで手に入れた。当時、水曜日の夜TV放映していた「勝ち抜きエレキ合戦」のチャンピョンバンド「ザ・フィンガーズ」の成毛茂が使っていた24フレットのエレキだ。

演奏する筆者

アンプは知り合いから拝借し、曲は勿論、ベンチャーズと加山雄三とGSだ。楽譜などない時代だから、45回転のレコードを擦り減るほど繰り返し聴いて、耳でコードをコピーし、難しい部分は適当にそれらしくアレンジ(というよりは誤魔化)して、三日間おおいに楽しんだ。

半世紀経った15年11月、今や歯科医になったS君経営のライブハウスで「1年4組バンド」が復活した。同級生や親類縁者ら約90人が参集し、半年余り猛練習して昔やったベンチャーズや加山やGSを演奏した。が、1年後、Y君が大腸癌で惜しくも他界、復活バンドはそれきりになった。

そして寺内タケシも、ベンチャーズの4人も逝ってしまった。エレキブームは団塊の世代が創った印象がある。が、気付けば彼らは皆1930年代の生まれで、エルビス・プレスリーも同年(35年1月生)、ビートルズも40~43年生まれだ。GSは団塊の世代だが、すでに物故した方が少なくない。

初期にはNHK紅白歌合戦に出られなかった日本のGSやエレキバンドだが、今やその紅白の視聴率が30%台の前半に落ち込む時代になった。そういえば筆者もここ10年以上、紅白を見たことがない。今どきの若い人の歌はリズムもメロディーも複雑で、聴くのも覚えるのも高齢者にはかなり苦痛。

が、不思議なことに昔のシンプルな曲は忘れない。ベンチャーズの楽曲や演奏も未来永劫に残るだろう。彼らの作品も広義の芸術だが、芸術の良いところはそこにある。筆者の本欄の拙稿も、YouTubeにアップしたLIVE動画も一定期間は残るかも知れぬ。そう思うと仇や疎かにはできない。

最後にベンチャーズのドラマーの話。偶さかネットで、退役した米空軍大将ジョージ・ハビット元空軍資材司令官(42年6月生)が10代の頃、ベンチャーズでドラムを叩いていたという、98年の7分余りのニュース動画を目にしたのだ。

隆とした軍服姿で登場したハビットは、ドンとボブ、そしてジェリー・マギー(リード)にドラムで加わり「Walk don’t run」を演奏した。同曲のヒットで、ナイトクラブなどで演奏するようになり、未成年だった彼は抜けざるを得なかったそうだ。が、どちらが米国にとって幸いだったかは判らない。