「ヒットラー」投稿から見える反維新の限界

維新の台頭が「ヒットラーを思い起こす」ならば国会議員として維新を維新たらしめる地方自治体の改革、例えば地方自治法を改正し首長権限の縮小、多選制限、地方議会の権限強化などを提案すべきだろう。

維新は地方自治体を通じて台頭した。大阪府、大阪市という地方自治体あってこその維新である。これを否定する者はおるまい。そして地方自治体を語るうえで欠かせないのが地方自治法である。

「ヒットラーを思い起こす」維新、ナチスと同じ維新を打倒するための地方自治法改正は肯定される。

かつて維新が全国的に注目され始めた2010年前後に阿久根市の竹原信一市長(当時)の行動が大きな批判を浴び、これを受けて首長の専決事項の制限、臨時会の招集権の議長への付与などを認める地方自治法改正が行われた

「問題首長」対策として地方自治法を改正することは全く普通のことである。

地方自治法改正だけではない。思い切って道州制を導入し都道府県、即ち大阪府を廃止するのも良い。大阪府の廃止は維新にとって片翼をもがれるほどの打撃に違いない。「関西州」の導入は維新の政治力の拡散、結束力崩壊に資するだろう。

しかし、管見の限り「維新対策」「日本版ナチス対策」として地方自治法改正、道州制の導入を主張する者はいない。探せばいるのかもしれないが少なくとも主流にはなっていない。

維新の台頭をナチスのそれと同じと評価しながら地方自治法改正や都道府県の廃止も主張できない、想像できない人間とは何者なのだろうか。国会議員でこれらを想像できないのは問題だし、非国会議員でもとてもナチスと闘える実力があるとは思えない。はっきり言って日本のナチス対策の障害である。「ヒットラーを思い起こす」と投稿して何か自分は凄いことを言っていると考える元首相、立憲民主党を始めとした反維新関係者などはナチス打倒の戦力にはならない全く漫画的存在である。

菅直人元首相は政界引退を

今回の騒動では特定個人をヒットラーになぞらえることが問題という主張が多く、筆者もその通りと思うが、本質はそこではない。いい大人がしかも立場ある人間が「あいつらは危険なやつだ」と主張し、その対策としてせいぜい「あいつらに投票するな」程度のことしか言えないレベルの低さこそ問われるべきである。

維新への低次元な批判はここ最近のことではない。橋下徹氏が代表だった頃から氏とファシズムをかけた「ハシズム」といった表現が使用された。しかも「ハシズム」をタイトルにした本まで出版された。

これも10年前のことである。反維新はまるで成長していない。

「ハシズム」と叫んだ反維新は吉村洋文大阪市長(当時)が慰安婦像の設置を巡り米国のサンフランシスコ市との姉妹都市関係を解消したことを受けて維新を歴史修正主義者とも叫び始めた。姉妹都市関係は形式的儀礼的なものだったという話に過ぎないのだが反維新は話をすぐ大きくし議論を混乱させる。とても地方自治に関心があるとは思えない。

維新批判に使用される「ヒットラー」「ナチス」「ハシズム」「歴史修正主義者」「新自由主義」などの言葉は地方自治に全く不要である。

こういう言葉を平然と吐く人間がいるから地域住民の政治参加は停滞するのである。反維新は日本のナチス対策の障害のみならず日本国憲法で要請される地方自治実現の障害でもある。

菅直人元首相がやるべきことは「ヒットラー」発言を撤回・謝罪し政界を引退し支持者に対してこの種の言葉を使用しないよう呼びかけることである。

おそらく維新にとって最大の脅威は「ヒットラー」「ナチス」と罵倒されることではなく政策提案・実現能力が高く、そして何よりも若く活力のある政党だろう。

維新が問題だと思うならば菅直人元首相は政界引退を通じて野党再編の起爆剤となるべきである。

【参考文献】
辻陽「日本の地方議会 都市のジレンマ、消滅危機の町村」中公新書 2019年

菅直人元首相 Wikipediaより