イタチの言葉遣い

藤原かずえ講座

イタチの言葉遣い

Weasel wording

言い逃れ可能な曖昧な言葉で他者の認識を惑わして事実を歪曲する

<説明>

「イタチの言葉遣い」とは、言い逃れ可能な曖昧な言葉で他者の認識を惑わして事実を歪曲する方法であり、逃げ口上を用意する狡猾さをイタチのイメージで表現した言い回しです。ただし、イタチが現実に狡猾かどうかは人間にはわかりません。なぜなら、後述する理由で私たちはイタチの意図を認識できないためです。

私たち人間は、基本的に私たちが営んでいる生活パターンから言葉や行為の意味を認識しています。また、その意味が正確な認識かどうかについてはいちいち考えません。例えば、「リンゴとは何か?」「ミカンとは何か?」と問われても、研究者でない限り、厳密に答えられる人はいません。加えて、当然のように自分と他者は同じ認識を持っていることを前提にしてコミュニケーションをとっています。「リンゴ」や「ミカン」のように判別が容易な物については認識の差異(言葉の齟齬)は小さいと考えられますが、「ウイルス」「肺炎」となると一気にハードルが上がり、厳密に理解できていないことを互いが知っているつもりになって話すことになります。

このような日常のコミュニケーションをヴィトゲンシュタイン Ludwig Wittgenstein【言語ゲーム language games】と呼び、言葉の意味の認識は【生活形式 form of life】に依存すると主張しました。イタチの生活形式を知らない私たち人間は、イタチの意図を認識できず、イタチが狡猾かどうかを知ることはできないのです。

言葉だけでなく人間の行為についても認識は容易ではありません。「歩く」「話す」「書く」といった行為は現実の世界において実際に時間をかけて営まれる行為であるのに対し、「知る」「わかる」「できる」といった行為は時間をかけずにある時点で営まれる行為です。ヴィトゲンシュタインは前者を【本物の持続 genuine duration】を持つ行為、後者を持たない行為と呼びました。

本物の持続を持たない行為の実在と時間的な継続を証明するには「話す」「書く」などの本物の持続を持つ行為が必要となります。私たちは「動詞」という言葉の文法の観点から行為を理解しがちですが、現実世界への登場の有無という観点から見れば、本物の持続を持つか持たないかで行為の認識は大きく異なります。ここに錯覚が生まれて私たちは騙されてしまうのです。ヴィトゲンシュタインは、前者の文法(言葉の文法)を【表層文法 surface grammar】、後者のコンテクスト(現実世界への登場の有無)を【深層文法 depth grammar】と呼んでいます。私たちが物事の事実を確認する際には、表層文法に錯覚させられることなく、深層文法を意識することが必要なのです。

マニピュレーターは、このような個人による認識の違いが存在することを悪用し、特定の言葉や行為について自分に好都合な認識をするよう他者を誘導することで前提を歪め、自分に好都合な結論を導きます。さらに、他者からその特別な認識が偽であることを指摘された場合には、都合よく別の認識が真であると主張し、論点から逃避します。まさにマニピュレーターは、表層文法で他者を騙し、深層文法で他者から言い逃れをするのです。

誤謬の形式

事実Fが存在する。
Aが言い逃れ可能な曖昧な言葉で他者の認識を操作して事実F’を偽造する。
Aが偽の事実F’を前提にして自説に都合のよい偽の結論C’を導く
偽の事実F’が偽であることが判明すると、真の認識で事実Fを肯定する

<例>

<例1>

外国人ビジネスマン:貴社には失望した。私たちの「最善を尽くす We’ll do our best.」と何度もはっきり言っていた。

日本人ビジネスマン:最善を尽くしましたが、力が及びませんでした。

日本社会で生活形式を持つ日本人は「最善を尽くす」という言葉にはむしろネガティヴな認識を持つことも少なくありませんが、異なる生活形式を持つ一般の外国人は、文字通りポジティヴな認識を持ちます。彼らは「最善を尽くす」という「本物の持続」を持たない行為を「本物の持続」を持つ行為と錯覚するのです。

<例2>

部長:この報告書、今日中に顧客に渡す必要がある。時間もないし適当に仕上げておいてくれ。

部下:わかりました。

(翌日)

部長:昨日君に任せた報告書、顧客からクレームが来た。どういうことだ!

部下:ご指示通り、適当に仕上げておきましたけど。

部長:「適当に」というのは「顧客の要求に適切に当てはまるように」という意味だ。「いい加減に」という意味ではない!

現代の日本において「適当に」と言われたら「いい加減でもいいから」の意味と認識するのが普通かと思いますが(笑)、発言者からそのような認識ではないと主張されれば、それに対する反論は不可能です。言語ゲームにおける表層文法では、部長が主張する意味も存在し、部長の認識の内容を他者である部下が証明することは不可能であるからです。マニピュレーターはこのようにして責任を回避するのです。

<事例1>「ある種」を連発するコメンテーター

<事例1a>TBSテレビ『サンデーモーニング』2017/02/26

青木理氏:相模原障害者殺傷事件が今なぜ起きたのか。弱者や少数者に対してヘイトスピーチを含めてひどいことをしている社会、ある種、政治がそれを追認しているのではないか。

青木氏は、社会が「ヘイトスピーチを含めてひどいことをしている」という個人の認識を根拠にして、「政治が殺人事件を追認している」と主張しています。人間社会においては、残念ながら争いが絶えることはなく、過去から現在までの間に、ヘイトスピーチや殺人事件は定常的に発生してきました。当然のことながら、政治には殺人事件の発生を完全に抑止する能力がないのは自明で、このことを根拠に「政治が殺人事件を追認している」という行為を立証することはできません。

このような状況において、青木氏は、「ある種」という言葉を使って自らの主張に対する立証責任を回避し、あたかも政治が殺人事件を追認しているかのような認識を視聴者に与えているのです。このとき青木氏は、たとえ当事者から「殺人事件を追認などしていない」と抗議されたとしても、「『ある種、殺人事件を追認した』と言ったのであって『殺人事件を追認した』とは言っていない」と責任を回避することが可能です。

ここで一つのトライアルとして、私も「ある種」という責任回避の言葉を使って、青木氏の当該発言に関連する批判を行ってみたいと思います。

「ある種」という言葉は、ある種の人権侵害を堂々と行うことができる、ある種の極めて狡猾な逃げ口上として悪用できる言葉と言えます。このようなある種の「イタチの言葉遣い」を使うコメンテーターを公然と番組に起用し続けるTBSテレビは、ある種の人権侵害を追認しているといわれても反論できないはずです。

このように、ネガティヴな言葉の前に「ある種」をつければ、いくらでも責任回避可能なのです。ちなみに、上述の批判に先立って用いた「一つのトライアルとして」という言葉も、責任を回避する「イタチの言葉遣い」に他なりません。

<事例1b>TBSテレビ『サンデーモーニング』 2017/10/29

青木理氏ある種、有権者は正直で「今回の選挙何なんだ」とよくわからないまま投票に行かなかった選挙でこういう形(自民圧勝)が出た。

青木氏は、2017年衆院選で有権者が正直で選挙に行かなかったため、自民が圧勝したという認識を示しました。「有権者が正直であったため選挙に行かなかった」というのは、意味不明な主張ですが、「ある種」というマジック・ワードで言語ゲームを展開すれば、意味不明な主張ももっともらしく聞こえてしまうのです。

なお、当然のことながら、国民の参政権が完全に保証される日本で、投票しなかった人は、選挙結果に対して異議を唱えることはできません。

<事例1c>TBSテレビ『サンデーモーニング』 2018/09/16

青木理氏:<自民総裁選>異論とか反論とか少数者の考えというのを、ある種の強権でねじ伏せ、封じて、聴こうとしない政権の体質が、結果として公文書の改竄とか、国会での虚偽答弁とか、果ては職員の自殺まで起こした。

安倍政権が、異論・反論・少数者の考えを「強権でねじ伏せた」というのは、青木氏の個人的な認識に過ぎません。青木氏はこの行為を精緻に立証することなく、「ある種の強権」という意味不明の言葉で安倍政権を非難しています。これも、言語ゲームを展開すれば意味不明な主張ももっともらしく聞こえてしまうという事例です。

<事例1d>TBSテレビ『サンデーモーニング』 2019/07/21

青木理氏:今日はまさに選挙だ。辺野古の埋め立ては2兆数千億かかる。2兆数千億は我々の税金だ。このような膨大な金を使って、沖縄をある種、押し付けて、やっていいのか。大きな争点だということを考えながら僕もこれから投票に行く。

参議院選挙の当日、政府をテレビ放送を使って公然と非難した上で視聴者に投票を呼び掛ける青木氏です。政府は沖縄に基地を押し付けているわけではなく、逆に基地の軽減策の一つとして、既設の基地であるキャンプシュワブ(辺野古)の敷地内に飛行場を移設しようとするものです。青木氏は、これを「ある種、押し付ける」と表現することで、言語ゲームを展開しています。

<事例1e>TBSテレビ『サンデーモーニング』 2019/07/21

青木理氏:あいちトリエンナーレの展示中止は極めて残念だ。気になったのは政治家とか政府の高官がけしからん的なことを言っていて、これは、ある種、芸術への政治の介入だ。政府に批判的な芸術に公的資金を入れるのはどうかという議論もあるが、これは別に政府の金ではない。税金だ。独裁国家でもあるまいし、そういう議論も気になる。ある種、日本社会全体で今の日本の表現に対する不自由展を展示室を超えて演じてしまった

表現の自由に抵触しない『表現の不自由展・その後』を私的に開催する場合には、公権力はもとより誰であろうともその開催を制限することはできません。しかしながら、この展示会を公的な資金で開催する場合には、憲法89条で規定された「公金支出の制限」に違反する可能性が高いと言えます。

憲法89条:公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

一般論で言えば、ソウルの日本大使館員を威嚇する「平和の少女像」、国民統合の象徴である天皇の人権を蹂躙する「遠近を抱えて」、さらに、復興を目指す震災の被災地を揶揄していると受け取られかねない「気合い100連発 」といった他者の基本的人権(特定の個人に対する社会権)を害する可能性が高い展示は公共の福祉に反します。公共の福祉に反する事業は「公の支配に属しない教育事業」と認定されることになり、この事業に公金を支出することは憲法違反となります。

このような国民の社会権を脅かす事業に対する公金支出の可否について議論することは、国民の代表の当然の用務であり、けっして表現の自由に対する介入ではありません。これを「芸術への政治の介入」とするのは完全に論点がずれていますが、青木氏はこれを「ある種、芸術への政治の介入」とすることで、言語ゲームを展開しています。

「日本社会全体が表現に対する不自由展を演じた」というのも意味不明な表現ですが、「ある種」という言葉をつけることで、視聴者はこれを難解なメタファーと勘違いし、必死に意味を理解しようと努めることになります。この段階で、視聴者は既に騙されているのです。

<事例2>「可能性がある」を連発するコロナ議論

<事例2>テレビ朝日『羽鳥慎一モーニングショー』 2020/12/25

羽鳥慎一氏:イギリスで確認されている変異種が日本でも8人感染が判明しました。この8人のうち5人はイギリスからの帰国者で空港で感染が判明しました。

玉川徹氏:今回わかったのは症状が出て検査したからわかったんですね。もし症状が出てなかったら検査もしていないのでこのままになっているんですよ。無症状のままで感染が拡がった可能性もあったわけです。僕は既に相当入っている可能性があると思っていて…

羽鳥慎一氏ありえますね

玉川徹氏:イギリスで変異ウイルスの最初の検出は9月ですよね。その頃は変異ウイルスがあるで終わっていた話だと思うのですが、11月に入って物凄く増えてきたので、このウイルスは危ないのではないかという話になったということです。最初に入ってから2か月くらいで相当の広がりを見せたことになるんですけれども、そうすると今まで相当数入ってきていると、だって1日に150人イギリスから12月も入ってきていますからね。その中から無症状の人は全然検査をしないままでそのまま日本にいらっしゃっていると思うので、そうすると相当入っていると考えないと。危機管理全てそうなんですけど、また煽っているとか言われるかもしれないけれど、危機管理の基本というのは、最悪の仮説を立てて仮説に対して対策を打って、もしも空振りがあっても、それはコストとして考えない。こういう状況になればまさに最悪の状況、つまり相当日本に入ってきていると思って対処しなければいけないと思うんですよ。

「可能性がある」という言葉を「可能性が高い」と混同させる[可能性に訴える論証]も「イタチの言葉遣い」の一つです。

この例で、玉川氏は「可能性がある」ことを「既に相当入っている」として対処しなければいけないと主張しました。これは「可能性がある」という本物の持続を持たない行為の実在と時間的な継続である「既に相当入っている」を証明するには、「データを分析する」という本物の持続を持つ行為が必要となりますが、玉川氏はそれを完全にすっ飛ばして「既に相当入っている」を事実であるかのように認識させたのです。

なお、国立感染研のゲノム解析結果によれば、この時「既に相当入っている」という状況は認められず、玉川氏の行動は危機管理の俗説を流した上で無責任に不安を煽って社会を混乱させるものでした。

<事例3>東スポの小さな「か」

<事例3a>東京スポーツ 2014/11/24

東スポ:UFOの存在を信じますか?

安倍首相:えっ、UFO…UFOの存在ね。東京スポーツでよく「宇宙人が見つかった!」とやっていますね(爆笑)。東スポを読むとねぇ、「宇宙人は見つかったんだなー」と驚いたことはありますよ。でも、なかなかねぇ、総理大臣としてUFOの存在を信じているとは言えませんよぉ~(笑い)。でもね、この広い宇宙でね、生きているのは私たちだけじゃないと思う夢があっていいと思います。

東京スポーツ(東スポ)のビジネスを支えているのが、UFO(未確認飛行物体)やUMA(未確認動物)といった罪のない仰天ネタを見出しに躍らせるというものですが、この見出しをよく見ると、しばしば小さな「か」がついていることを確認できます。

<事例3b>東京スポーツ 2014/12/09

ツチノコミイラ発見

これは、読者の認識を惑わす典型的な「イタチの言葉遣い」に他なりません(笑)。東スポの「イタチの言葉遣い」は、裁判の場において「記事内容が真実であるかどうかを検討するまでもない」という理由で名誉棄損の訴えを免れるほど信頼性が極めて低い東スポであるからこそ容認されることですので、絶対にマネをしないのが賢明です。ただ、非常にわかりやすいので、実際の事例をいくつか紹介した記事をリンクしておきます。

[東スポの小さい文字の傾向と対策]

情報操作と詭弁論点の誤謬論点歪曲イタチの言葉遣い

☆★☆★☆★☆★
公式サイト:藤原かずえのメディア・リテラシー