30年前にカナダに来て以降、日本のビジネスについて様々な人と話す機会がありました。その中でよく覚えているのが「日本では誰が決定権をもった責任者かわからない」と言われたことを今でもよく覚えています。最近、その手の話を聞かなくなったのは決定権者が誰だかわかったのか、追求を諦めたのか、はたまた日本とのビジネスが減って着目されていないか、このあたりのどれかであろうと思います。私はその答えは知りません。
国内の企業で日夜交わされる会話の一つに「おい、この新しいルール、誰が決めたんだい?」があります。これに対して概ね2つの回答が想定できます。「お上からだよ」と「この前の会議で決まったそうだ」です。
お上、つまり社長、会長、CEOに創業者といった会社経営で権力を持った人が「明日からこうする」といえば「ははっ」というのは世の東西を問いません。
2-30年前、このCEOという肩書が日本人には珍しかったらしく時々日本でかわすスタートアップ系の若い起業者の名刺に「CEO」というタイトルをファッションのようにつけているのを見るにつけ、思わず、苦笑いしたのは私だけでしょうか?
CEO、つまりChief Executive Officerは会社の意思決定者とその執行者に分けた中での執行者のトップを指します。これには取締役会で決めたことを社内の業務執行者に委託するという訳ですから既定こそないものの、千人や一万人以上の従業員規模があり、執行役員が多数おり、売り上げも何千億円という規模であることが想起されます。となればCEOと肩書のある会社は最低でも上場会社程度の規模がないと意味がないわけで会社を立ち上げて2-3年の若い起業家さんが「俺、CEOです」と言われるとウーンと思ってしまうのです。
では日本の会議ですが、部内会議もあれば各担当部署が集まるより大規模なもの、更には取締役会や常務会などという会議もあります。会社によっては御前会議などといって極めて大きな判断をする時の会議をそのように称することもあるでしょう。
日本は会議好きともいわれ、少し古いデータでは役員、部長級で一日3時間、課長級で4時間という報告もあります。(コロナもあり、今は大幅に減っていることは確実です。)なぜ、会議をするかといえば日本は歴史的に合議が根付いていたことが挙げられます。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」とは源頼朝の死後、嫡男が若かったことと将軍家に権力集中するのを避けるために13人の合議制を取り入れています。歴史的に天皇や将軍が若い場合、それを補佐する仕組みは歴史の教科書では至る所にみられます。
司馬遼太郎の著書「世に棲む日日」にも着目すべき記述があります。幕末、長州藩が4カ国の戦艦による攻撃で追い込まれた際、第一回目の和平交渉に高杉晋作が来たものの、藩内で高杉や同行した伊藤博文が交渉で踏み込み過ぎたことを嫌う攘夷派は2人を蹴散らします。第二回目の交渉には役に立たない藩の「役人」が交渉にやってきて英国をひどく失望させたというシーンがあります。
これに関して司馬は「『ヤクニン』という日本語はこの当時、『ローニン(攘夷浪士)』という言葉ほどに国際語になっていた」とし、「ちなみに役人というのは…極度にことなかれで何事も自分の責任で決定したがらず、ばくぜんと『上司』という言葉を使い、『上司の命令であるから』といって明快な答えを回避し、あとはヤクニン特有の魚のような無表情になる」と断じています。
司馬は更に「太平洋戦争という日本国の存亡をかけた大戦でさえ、いったい誰が開戦のベルを押した実質的責任者なのかよくわからない」「東条英機という当時の首相は単に『上司』という極めて抽象的な存在にすぎないのである」とあります。
今日の会議でもそれを誰が主導したのか、よくわからないケースは多いのではないでしょうか?起案者がプレゼンをし、それに対してさまざまな利害関係者である他部署の部長や課長が自分の部署の損得を考え、概ね、ネガティブなコメントを発します。「できない、やれない、責任をとれない」であります。これは司馬の「役人」の特徴と一致します。そして各方面からの意見をもとに時としてもとの形がわからないほど修正され、「おい、これは誰が決めたのかね?」と役員から指摘があれば〇〇会議で決まった内容です、と平然と答えるのです。
私はそのような日本の会議には人格があるのだろうと考えています。つまり、部署の課長や部長と同様、会議という人格です。
北米で白人とのやり取りで「これは誰が決めたんだ!」「会議です」との答えに「その職務権限はどれほどにあるのかね?」と尋ねられ「無制限、無規範です」と返すでしょう。「社長権限や役員会は機能しないのか?」との質問には「社長は会議の参加者の一人であり、社長が会議の絶対権者ではありません、なぜなら社長が自分で決められないから会議をするのです」と答えれば100点を頂けるのでしょうか?
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年2月22日の記事より転載させていただきました。