弟アベルはどこにいますか?

ウクライナ東部にロシア軍が侵攻した。ブリンケン米国務長官は、「武力行使が始まった、24日の米ロ外相会談はもはや意味がない」と述べたという。ウクライナ出身のユダヤ人の父親を持つ同国務長官の深刻さが伝わってくる。父親の祖国ウクライナにロシア軍が国際条約に違反して侵略しているのだ。ブリンケン国務長官には米国の国益、西側の共同価値観を守るという大義もあるが、父親の祖国ウクライナの行方への憂慮もある。

アベルを殺すカイン(ピーテル・パウル・ルーベンス画、Wikipediaから)

世界の政治学者、ロシア専門家は、「ロシアはウクライナ侵攻で得るものより、失うものが多い」と異口同音に指摘してきたが、プーチン大統領はその声に耳を貸さず、冒険に乗り出してきた。

プーチン氏は21日、緻密な計算と作戦に基づき、駒を一つ前進させた。習近平中国国家主席の強い要請を受け、「北京冬季五輪開催中」は武力行使を控えてきたが、いよいよ軍事計画が動き出した感じだ。ウクライナ東部の親ロ派勢力の拠点「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」の独立を承認するとともに、ロシア軍を東部に素早く派遣した。それに対し、米国、欧州連合(EU)は対ロシアへの制裁を発表したが、制裁がプーチン氏の野望を抑制する効果があるか否かは甚だ疑わしい。プーチン氏は欧米側の反応を計算に入れているからだ。

興味深い点は、プーチン氏は21日、テレビ演説の中でロシア軍のウクライナ東部派遣の背景について、「ウクライナ東部に住むモスクワ正教会所属の信者たちがウクライナ側から迫害を受けているからだ」と述べていた。正教徒プーチン氏らしい弁明だが、自身の野望を実現するためには全ての持ち駒を利用する。ただ、ロシア正教会最高指導者キリル1世がプーチン氏に支援を要請したというニュースは聞かない。

バチカンニュースが22日、フランシスコ教皇のウクライナ危機への平和アピールを報道していた。同教皇は、「神は創造が終わるたびに、それを見て良しとした」という聖句を挙げ、「神は本来、人間を含む全ての世界を平和のハウスとして創造された。全ては兄弟姉妹であり、他者の為、その幸せの為に生きるように創造された。しかし、現実の世界はそうなっていない。人は自身の利益のために生き、他者を破壊し、権力で支配する世界が生まれてきた。そこでは暴力と分裂、議論と戦争が展開されている」と説明している。

そして、「神はカインに、『あなたの弟アベルはどこですか』と聞く。すると、カインは、『私はアベルの番人でしょうか』と聞き返す場面がある。私たちの状況もそれに似ている。私たちは本来、兄弟姉妹であり、互いに保護者でなければならないが、調和が崩れると、兄弟は敵となる。多くの暴力と紛争が起き、戦争が私たちの歴史の中で展開されていった。そして多くの兄弟姉妹の苦しみを見てきた。あらゆる暴力行為において、あらゆる戦争において、私たちはカインを復活させているのだ」と強調する。すなわち、「私はアベルの保護者ですか」という質問を繰り返し、武器を研ぎ、良心を眠らせているわけだ(「ヤハウェと『カインとアベル』の話」2021年7月4日参考)。

人は誰も幸せを願っている。誰が命の危険が伴う戦地に喜んで行くだろうか。同じ神を抱き、祈る者が武器で撃ち合いたいと思うだろうか。にもかかわらず、私たちは願ってもいない戦争に駆り立てられている。ウクライナ危機はウクライナとロシア間の戦いだが、神は現在生きている全ての人間に対し同じ問いかけをしているように感じる。「弟アベルはどこにいますか」と。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年2月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。