こんにちは、音喜多駿(日本維新の会 参議院議員 / 東京都選出)です。
昨日3月2日の日経新聞朝刊の文化面(裏一面)の「交遊抄」に寄稿した文章が掲載されました。
夢を応援する人 音喜多駿
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO58660930R00C22A3BC8000/
新聞の力・伝統コラムの反響というのは凄まじいものがあり、今日一日でかなり多くの方から「見たよ!」という連絡を個別にいただきました。
マスコミ関係者の先輩からは「それ、記念に額装しておいた方がいいよ」と言われるほど、業界内では名誉あるコラムということで、当選一回の国会議員である私に白羽の矢を立てていただいてありがたい限りです。
確かに「交遊抄」で検索すると、有名企業が出した「弊社の社長が『交遊抄』に掲載されました」的なプレスリリースがめっちゃ出てくる…!
ちなみに私は自分で原稿を書いて送ったのですが、ほとんどの場合は記者が取材して「聞き書き」することが多いらしく、担当の方には「自分が担当している範囲では、自分で原稿を書いて送って下さった人は初めてです」とのことでした(笑)。
上記のリンク先は無料登録でも全文が読めますので、よろしければご一読ください。
■
私が紹介したのは私が新卒で就職したLVMH(モエヘネシー・ルイヴィトン)グループの、「第二の母」と慕う人事担当者とのエピソード。
何度か過去ブログでもネタにしていますが、大学で抜きん出た中二病をいかんなく発症し、ブイブイ(死語)言わせながら入社してきた新入社員は、当然のことながら様々な問題を巻き起こし。
当時からブロガーとして日々のくだらない出来事をウェブ上にコツコツと書いていた私は、何を血迷ったかブランド会社に勤務しているのに
「ウチの会社の冷蔵庫には、賞味期限が切れた牛乳がたくさん入っているんです!」
という謎の内容をわざわざ赤裸々にブログにアップして、「ブランドイメージを毀損するので削除してください!!」と血相を変えた先輩に怒られたことなどは、なんとも味わい深い想い出の一戦である。
ちなみにその注意をされた先輩(今でも仲良し)というのは、アイン・ランドの翻訳者として界隈では有名な方でして、私の当時の奇行をウェブ上に残して下さっているのである。
けっこう面白いので、大半を引用させていただこうかな。↓
—
おときた駿元都議と「あたらしい党」(2019年4月20日)
https://aynrandjapan.org/column/424/
(前略)一方で、彼の素顔や政治信条は、案外、知られていないように思う。
音喜多駿は、若くて未経験かもしれないけれど、礼儀正しく情に厚い熱血漢。ということを、彼が政治家になる前から私は知っている。職場が同じだったので。
そこは半蔵門の古いビルのなかの小さなブランドの四十人ばかりのオフィスだったのだけれど、「おはようございまーす」「いってきまーす」と大きな声で出入りしていたのは彼だけでした。
だからなんだという話かもしれないけど、答える人もなく、ほかに大きな声で挨拶する人もいない女性ばかりの、しーんとして香水のかおりだけが強いオフィスでめげずに一人でそれを続けていた彼を、私は「なんだかメンタル強い人」と認識した。
年月が経ち、多少は雑談もするようになったころ、東日本大震災。危機管理室が設けられ、皆が自宅待機を命じられた。
私たちのブランドは、仙台に1店舗あっただけなのだけど会社の方針も決まらず、日本中が右往左往していたなか、とりあえず仙台担当のレップの自宅にかけつけた。私は、地元の仙台と連絡もつかないレップが心配で文字通り駆けつけただけだったが、オートバイで軽やかに現れた彼は、丁寧に筆で表書きのされたお見舞いを差し出した。かなりの金額だったと後で知った。あの震災直後の爽やかさは、ちょっと感動的でした。
数ヶ月もすると、私は再び日常に忙殺されており、一方で、音喜多さんは仕事の傍ら、被災地の子供達にカステラを焼くという「ぐりとぐら」のボランティアを続けていた。
フットワークが軽いというか、エネルギーレベルの高い人なのである。
政治については、ランチのときだったか「みんなの党」っていいねという話をしたのだけど、いつのまにか、東京の支部で後援会やイベントを仕切っていたりした。これどうぞと貸してもらった本は堺屋太一氏の『大阪都構想』。橋下徹市長の全盛期だった。
とはいえ、そんなやりとりをしていたのが奇跡のようなノンポリの女子校的な企業文化だったから、政治意識も高く、大きな仕事や使命に飢えていた彼には物足りなかったかもしれない。いちど私のオフィスに来て「派閥作りましょうよ」と言われたのは笑い話。なんの派閥だ!?
彼は、「内閣総理大臣になる」とか、大丈夫? といわれるようなことを公言してしまっているので政治的野心しかない日和見主義者のようにみられることもあるけれど、あのころと政治信条が変わっていないなら、かれはいま日本に存在しない「財政保守・文化リベラル」であり、彼がたちあげた「あたらしい党」は、そういう政党になるはず。
今回の選挙の結果はともかくとして、いろんな無茶なチャレンジを通じて、政治家音喜多駿が発信を続け、派閥というよりは、財政保守で文化リベラル(そう、リバタリアン寄り)な政党と、なによりそんな政治文化を作ってくれるとよいなあと思う。
いまとなっては笑い話、もうひとつ。
同じ職場のとき、私はそのブランドのコントローラーだったので、彼が個人的に書いていたブログの内容について、ブランドのイメージを毀損するので削除してください、と言ったことがある。いまだに、「あれはめちゃムカついた」といわれる事件。
そのブログの内容とは、社員がランチをする休憩室の冷蔵庫を、彼が月一くらいで点検、クリーニングする、なぜならお姉様方は飲みかけの牛乳を放置して、持ち主不明の牛乳が腐っていくから、というものでした。
今思えば、彼は誰にも頼まれず、地味に冷蔵庫の掃除をしていたんだなあと、褒めてあげたい。そのときは、コントローラーとしての気負いもあったのか、注意した自分の行為も謎ですが。
もちろん職場では、アイン・ランドの話などしませんでしたが、ずーっとあとになって、「ランドの翻訳者ってもしや?」と言ってきたことがあり驚いた。最近、仕事の合間に『肩をすくめるアトラス』を読んでくれたようだけど、たしか一週間くらいで読み終えていた。多読の人でもあります。
とりとめのない思い出話になってしまいましたが、北区在住の有権者で、いま迷っているどなたかの参考になれば幸いです。
※ おときた候補は日本アイン・ランド協会とは関係ありません。念のため。
—
私がまだ地域政党「あたらしい党」で奮戦していたときの話で恐縮ながら、民間人時代から堺屋太一さんの都構想本を布教していたエピソードも入っているので、維新の皆さまもご容赦ください。。
ほんと、企業文化も先輩も同僚も、大好きだったな。良い会社だったな。
生まれ変わってももう一度就職したいと思える企業にいれたことは、私の人生の奇跡&幸運の一つ。そこへの道を開いてくれた、人事の恩師には大感謝。
そんなことを思い出しながら書いたコラムが、大新聞に掲載されたのも光栄なことです・コロナ禍が終わったら、会いたい人たちにきちんと会いに行こうと改めて思ったのでした。
本日はそんな雑談にて。それでは、また明日。
編集部より:この記事は、参議院議員、音喜多駿氏(東京選挙区、日本維新の会)のブログ2022年3月2日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は音喜多駿ブログをご覧ください。