1.ロシアのウクライナ侵攻をどう見るか:プーチンの悪手
2月21日(月)のことであった。経産省時代の経験も踏まえたロシアのウクライナ対応(柔道家プーチンに注目して彼の動きを探る内容)に関する拙稿がサイト(JB Press)にアップされ、ヤフーニュースなどにも引用されて、各種反響にお答していた矢先のことであった。ロシアがウクライナ東部2州を独立国家として承認し、そして、3日後の24日(木)にはウクライナへの軍事侵攻を開始した。
論考は、ロシアの行為そのものは言語道断ながら、軍事的にも経済的にも遥かに強大な欧米を向こうに回しても、ウクライナという欧州におけるロシアの橋頭堡のため、プーチン率いるロシアが死に物狂いで攻撃を仕掛ける可能性の高さについて、柔道家プーチンの目線で書いたものだ。
攻撃前の段階では、米国が「ロシアはやる、ロシアは侵攻する」と連日言い続ける中で、少なくない識者が「ロシアは、軍事的圧力・脅しをかけているだけで、最終的には攻撃しない」と書いていたり、また、当のウクライナ政府自身が「ロシアが攻めてくることはない」と火消しに必死だったりしていたのだが、結果としては、私の悪い予想が的中してしまった。
が、私自身、正直に言えば、まさかここまで大規模に、一気にプーチンが攻撃してくるとは思わなかった。少なくとも攻勢の最初の段階では、東部への侵攻のみとみていたのが正直なところだ。その意味では不明を恥じるしかないが、この大規模侵攻は、私に言わせればプーチンの「悪手」であると思う。詳しくは後述するが、どう理性的に考えても妙手ではない。
そもそも、何故、プーチンはこんな暴挙を働くのか。詳細は先述の拙稿を参照して頂ければと思うが、要点を挙げれば主に以下の3つである。
- ロシアという国家は、長期にわたる独裁的体制の中でプーチンの決断によって動く比重が凄く高まっている。その意味では、ロシアの動きを探るには、欧米的価値観や願望からではなく、プーチンの思考様式を理解する必要がある。
- プーチンの動因には大きく、①サンクトペテルスブルク派としての育ち:血族からのレニングラード攻防戦の伝承などから来る安全保障問題への覚悟や意識の高さ、②シロヴィキとしての経験:KGBの一員、特に旧東独赴任経験などを通じての「防諜」的思考様式から来る敵(NATO)の「拡大」への敏感さ、③そして、プーチンが得意としている柔道:柔道との出会いや彼にとっての意義の大きさ。「柔よく剛を制する」「崩しの理」などの価値と意味から見える国際情勢の彼なりの見方、の3つが大きく影響している。
- ウクライナは、キエフ・ルーシ以来のロシアにとっての歴史的意味や国内の東西分裂問題を抱えており(東部は特にロシア系)、また、ドイツ統一・冷戦終結以来の欧米とロシアとの様々な調整・交渉を経て現在に至る要衝であり、冷戦後の世界の生き字引とも言えるプーチンを代表とするロシアの愛国者たちが、ここを橋頭堡とする正義・理屈がある。柔道的に言えば、中国対応などで余裕がない欧米の「隙」を突いて、何をしてくるか分からない。
そして、実際に独立国家として東部2州を承認したところまでは、ある意味でセオリー通りであった。が、このタイミングで軍事侵攻をしてしまい、しかも、ロシア系住民が多い東部2州の保護だけならともかく、首都キエフや第2の都市ハリコフを含むウクライナ北部や、クリミアからの南部侵攻など、全土にわたって最初から攻撃を加えたのは、痛恨の過ちであろう。
先述のJB Pressの拙稿でも示唆したとおりだが、柔道のメタファーで考えれば、技を仕掛け合う中で、首都制圧、という大技を仕掛けてくることは、状況を見ながらどこかで繰り出してくる可能性はもちろんあったわけだが、いきなりの大規模侵攻は、いわば組み手争いや足払いの応酬を十分に経ることなく、いきなり背負い投げをしてきたような格好になっており、ちょっと考えられない。これは決まれば大きいが、外した場合の犠牲は大きい。ロシアの積年の恨み・怒りに任せた無謀な乱暴な賭けにも思われる。
もちろん、プーチンとしては、欧州(特にEUの大国ドイツ)がエネルギー供給懸念などからロシアに強気に出られないと思われる真冬のタイミングで、ウクライナ問題を根底からロシアに有利にすべくゼレンスキー政権の退陣はもとよりウクライナ全体の非武装化(ロシアの傀儡化)を一気に目指したのであろうが、結果としては、グルジアでの攻防やクリミア占拠など際に感じた戦術眼が確かなプーチンの終わりの始まりとも言うべき過ちだ。
現に、軍事侵攻前はウクライナからの軍事支援要請に対してヘルメット5000個供与という木で鼻をくくった対応をしていたドイツも、ついに本格的軍事支援に転じ、電撃的にキエフ等を占拠する予定であったロシア軍は、ウクライナ軍の善戦に食い止められている状態だ。大義を感じにくいロシア兵には厭戦気分もあり、犠牲者も少なくないとの報道もある。
28日(月)の現地時間午後にも、隣国ベラルーシで、ロシアとウクライナとで協議が行われるという情報もあるが、仮にうまくまとまらない場合、いずれは、兵力差・実力差でロシアが首都などを制圧する日が来るであろうが、しばし、泥沼のゲリラ戦を闘わなければならない可能性も高い。
軍事侵攻はそれ自体がモラル的には言語道断ながら、ロシア系住民保護を目的としての東部侵攻だけでとどめておけば、まだしも、これまでの経緯(冷戦終結・ドイツ統一からの、ロシアから見れば欧米の裏切りとも見えるNATOの東方拡大の経緯や、ウクライナとロシアとの各種やり取りや関係)を良く知る人たちの間では一定の理解も得られた可能性がある。ただ、現状では、元々欧州に近いウクライナ西部の人たちの反感はもとより、国際社会からの強い反発を受けて、即座にSWIFTからの除外という国際的に一番苛烈な経済制裁を受けることになってしまった。
何より、国際世論を基本的にすべて敵に回してしまい、世界の報道やSNS上では、本件に関する言説は、ロシア軍の軍事侵攻がはじまってから、ほぼウクライナ側支持一色である。今や、かなり情報統制をしているはずのロシアの国内ですら反戦デモが頻発するという状態を招いてしまったことは、ボディブローとしてプーチン政権に効いてくることは疑いない。
日本人的に見れば、満州事変から日中戦争への流れを想起せざるを得ない。首謀者の石原莞爾などは、居留民の殺害などに憤りを感じていた世論も背景に、主に元の女真族などの故地である満州への電撃的侵攻だけでとどめておく意図であったが(満州事変≒今回で言えばウクライナ東部のみの侵攻)、後進たちが、約4年続いた満州事変後の塘沽停戦協定を無視してしまい、漢民族が歴史的に支配している地域への侵攻、すなわち、日中戦争(≒今回で言えばウクライナ全面侵攻)の泥沼に入って行ってしまった。結果、国際的な反発の中で体力を奪われて行った日本軍の戦術的失敗を彷彿とさせるわけだ。
いずれにしても、28日現在、世界はウクライナの現状に怒り、悲しみ、嘆きつつ、時に主体的に、或いは、単に固唾を飲んで戦闘の行方を見守っているわけだが、確実に言えることは、これはロシアにとってかなりの悪手だということだと思う。いわば「大東亜共栄圏」ならぬ「大ロシア共栄圏」を唱えて(参照:昨年夏のプーチン論文)、勝手に他国に介入して、却って当該国の反露感情を目覚めさせてしまったばかりか、国際的に強大かつ強力なロシアへの反発を誘発してしまったわけで、戦略的・戦術的には、ロシアの国益を中長期的に却って大きく損なってしまっていることは疑いないように思う。
そのことを確実にするためにも、これまた柔道のメタファーで言えば、欧米諸国やわが国側の「返し技」が大事になってくる。一致団結して「隙」を見せないことはもちろん、厳然とした措置、圧力が重要であろう。私たち一人一人の態度・対応も重要だ。19世紀~20世紀前半的な世界観であれば、情報統制や検閲・拘留などで人民の反発は容易に抑え込めるわけだが、高度にコミュニケーションやトランスポーテーションの技術が発達している現在、ゲームは大きく変わっている。プーチン・ロシアとして、世界の人たち一人一人の意識や感情を軽んじるべきではない。
2.今後の世界とあるべき日本外交:ロシアへの抱擁と握手
さて、今回のプーチンのロシアのウクライナ侵攻が世界に与える「衝撃」の中身は、一体何であろうか。特に日本に与える意味、影響は何であろうか。私見では大きく二つある。一つは、抽象レベルの話、もう一つは具体レベルの話だ。
まず、抽象レベルで言えば、リアリズムの世の中がやってくる、ということだ。国際関係論でいうところのいわゆるリベラリズム(人間の理性に基づく仕組みや状況づくりで平和は実現されるという考え)への期待はともかく、現実には、今回のロシア軍の侵攻は、リアリズム(軍事力を典型とする力の行使・保持によって世界は形成されるとの考え)への回帰が、世界各地で見られる端緒となるであろう。
大まかに言って、これまでの冷戦後の世界は、圧倒的なアメリカ一強状態とも相まって、リベラリズム的世界への希求とある程度の実現が世界を覆ってきたと言って過言ではない。良い時代と言えばいい時代であった。
ただ、アメリカ自身の社会の歪み(極端な格差などによる余裕の無さ)や、国際社会における相対的な力の低下(特に中国の台頭や、イラクやアフガンが典型だが特にイスラム地域での混乱を治められない状況)により、今回のロシアのウクライナ侵攻が大きな象徴であるが、局所的に、アメリカの目をかいくぐっての力の誇示や行使によって、現状を変更しようという試みが後を絶たなくなってきている。
いわば平和ボケとも言われる状態、私に言わせれば「ダチョウの平和」(砂場に首を突っ込んで、都合が悪い状況を見ない「仮想の平和」状態)とも言うべき状況に陥っているわが国であるが、グローバルに発生しつつあるこのリアリズム的世界への残念な回帰をきちんと見つめ、自分のことは、自分の力をベースにして守るという体制づくりが急がれる。
そしてもう一つの具体レベルの話についてだが、これは、中国の台湾侵攻や北朝鮮によるミサイル発射(誤射も含め)を現実的危機として真剣に考え、具体的に対処する必要があるということだ。国連安保理でのロシア非難決議案への中国の棄権(ちなみに、もう一つの人口大国のインドも棄権)や、同じく中国の王毅外相などによるロシアへの理解を示す発言、同時期の北朝鮮の弾道ミサイル発射などが典型だが、現状のアメリカの覇権状態への挑戦を含め、東アジアでも今後、様々な望ましくない動きが更に頻発してくることは明らかだ。
現在国会で議論されている経済安保関連法案のみならず、いわゆる敵地攻撃能力(敵基地に止まらない)なども本格的検討が必要であることは論を待たない。昨今の中国の動きや今回のロシア世論などを見るに、各国の民主化によるリベラリズム世界の現出には、大きな期待はできない中、「力には力で対抗」できる体制の構築が大切になる。
我が国が同盟相手として頼りにしているアメリカは、特に「自分で自分を守らない者は守らない」ことで有名だ。まあ、アメリカならずとも、普通はそうであろう。今回のウクライナへの共感も、まず、自分たちで闘うという姿勢に世界から好感が寄せられていることは間違いない。現実的には、増大化する中国に、日本一国で対抗していくのは国力的に困難になる中、米国との同盟関係を維持発展させるためにも、自らの力を保持・革新していくことが大切だ。
まずは手始めとして、今回のロシアのウクライナ侵攻に対して、日本国・日本国民として厳然たる反対の意思表示を、政府としても国民としても示していくことが大切であろう。既に世界各地で発生しているが、寄付などによりウクライナへの連帯を示し(楽天創業者の三木谷氏が巨額の寄付を表明したことは興味深い)、ロシア製品ボイコットしていくことなど、国民個人として出来ることも少なくないはずだ。
最後に、日本外交についても私見を述べておきたい。一言で言って、岸田政権の対応には、個人としては失望した。日本こそ、総理や少なくとも外相が全面に立って、ウクライナとロシアの仲介に汗をかくべきであったが、ほとんど存在感を感じなかった。
①ウクライナ東部二州の高度な自治権の付与(ロシア系住民への配慮)と、②NATOへの当面のウクライナの加盟見送りをベースにすれば、私見では、結構、ロシアとの交渉の余地はあったようにも思う。そして、欧州やロシア西部に直接の利害関係をほとんど持たない日本だからこそ、割と中立的に仲介できる余地があったような気がしてならない。
日本は、今後、経済力もそれに伴って軍事力(自衛力)も、相対的に国際社会において低下していかざるを得ない中、「名誉ある地位を占める」べく、いわゆるソフト・パワー(≒この文脈では国際的評判)を維持して行かざるを得ないし、私は、それが実は最高の「国防力」だと考えている。いわば、「仲介する国家」としての「名誉」こそが、わが国が国際社会で大きく評価される、人類全体に貢献する道である。
経済的途上国から一気に先進国の仲間入りをし、東洋の一国でありながらいち早く西洋の価値観を理解して取り入れた経験を持つ国として、日本は、様々な国の立場が分かるという位置づけを示しやすく「仲介」向きであるのは明らかだ。
今回のウクライナを巡る動きは、歴史的には根が深い話で、それこそ独ソ戦やブレストリトフスク条約、極端な場合、キエフ・ルーシにまでさかのぼることが出来るわけだが、最近だけで考えても、ドイツ統一と冷戦の終焉、すなわち1990年代からの経緯のある話である。当時のNATO不拡大についての米国の口頭でのコミット(外交文書上はないが、定説)、94年のブダペスト合意、その後のバルト三国のNATO加盟や2008年のブカレスト首脳会議でのロシアの反発、2014-5年のミンスク合意など、長い経緯があっての話だ。
ある意味、そうした経緯をきちんと理解していた主要国首脳が、長きにわたってドイツ首相を務めていたメルケル氏と、2000年の森内閣時やその後の小泉政権時から官房副長官として外交に携わっていた安倍氏だったわけだが、ずっと実権を握り続けて交渉当事者であり続けたプーチンを残し、彼ら/彼女らが首脳が相次いで表舞台を去ったことと、今回の残念な状態も無縁ではないような気がする。
裏を返せば、わが国はG7の一国として、ずっと本件を見つめて来た立場であり、こうした議論を国際会議の当事者としてずっと追いかけてきている優秀な外務官僚も多々いる。プーチン氏と近いと言われる森喜朗氏や安倍晋三氏という「外交資産」を持つ立場として、もっと真剣に仲介に乗り出すべきであった。
仮に仲介がうまく行かず、結局は今回の軍事侵攻という事態を招いてしまったとしても、日本の努力は国際社会で評価されたことは間違いないだろうし、何より、ロシア国民に訴えかけることでインパクトを残せた余地は大きかったように思う。
これもJB Pressの論考にて具体的なデータも引用して強調したことであるが、ロシア国民の日本国民への信頼や親日度は、日本国民のロシア国民に対するそれを遥かに凌駕しており、信頼度の割合が割と均衡することが多い二国間関係において日露関係は珍しい「片思い」関係にある。日本のメディアでは、ロシアのフィギュアスケート選手の親日ぶりが強調される程度だが、プーチン氏の柔道好きを含め、そうした「強み」はもっと活かされて良い。
日本の総理が、日本のアニメその他の文化も援用しつつ、ロシアとこれまた親日国とされるウクライナの仲介に乗り出し、国際的な紛争を食い止めるべく尽力する。それが、国際世論はもちろん、ロシア国民に対して強烈なメッセージとなって伝わり、プーチン氏へのブレーキとなる。こうした一見日本から遠い異国での紛争を防ぐために汗をかくことこそが、実は「仲介国家日本」というブランディングになり、何にも勝る国益になると信じて疑わない。
ロシアの今回の軍事侵攻は、何度も繰り返しているとおり言語道断であるが、ロシアのそもそもの主張(ウクライナのNATO加盟阻止やウクライナ東部2州のロシア系住民の権利の保護)については、歴史的に見れば、理解できるところもある。さらに巨視的に見れば、ロシアと言う国は、ナポレオンによるロシア遠征(祖国戦争)、ナチスドイツによるロシア侵攻(大祖国戦争)などに苦しめられてきた国であり、実はとても被害意識が強い。NATOの拡大による恐怖も分からないではない。
そもそも、ドイツ統一や冷戦終了時に、旧ソ連圏側の相互安保体制だったワルシャワ条約機構を解体したのは、大きな「欧州の家」を作るべく、NATOも解体して、ロシアも含めて大きな平和的まとまりを作ることが企図されていたからだとも聞く(当時のソ連のトップだったゴルバチョフ氏の思惑)。
シベリア抑留やサハリン・北方領土の強奪などに苦しんできた我が国の歴史を紐解くまでもなく、ロシアに煮え湯を飲まされてきた国々や人々も世界には多いことは間違いないが、同時に、ロシア側にも上記のように対欧州などへの恐怖心・猜疑心が渦巻いている。
叩き上げのリアリストとも言うべき戦闘員プーチンが統治している間は難しいかもしれないが、ロシア国民一般には気のいい人たちも少なくない。そうした将来も見据えて、ロシアに握手の手を差し伸べていくこと。これもまた、日本だからこそ希求出来る立場なのではないかとも思う。
今回のロシアへの日本の「及び腰外交」(アメリカの陰に隠れて、そこからロシアに石を投げる感じ?)への理由として、北方領土の件を出す人も少なくないが、実は北方領土の返還自体も、そうした互いへの「愛」の延長線上から考えていくほか、現実的には実現が無理な気もしている。人間は愛よりも恐怖で動くと喝破したのはマキャベリであるが、恐怖から来る破滅を救えるのは愛しかないようにも思える。
上記の仲介外交もそうだが、目の前の利害を超えた人間的外交こそが、今後の日本外交に求められるスタンスであり、世界に貢献し、自国の安保にも役立つ日本の道である。そして、これは、官僚経験者だからこそ言えるが、積み上げ的前例にしばられる役人ではなく、政治家にしか出来ない芸当だと感じている。その意味で、日本の「政治家力」に期待したいところだ。