人生でやめてよかった5つの習慣

黒坂岳央(くろさか たけを)です。

世の中はとかく「成功者はこれをやっている!」「自分を高める習慣とは?」といった「新しく価値のあることをやりたい!」という風潮がある。その考えは間違いだとは思わない。新たなる習慣で人生が切り開かれることはあるだろう。

だが、それと同じくらい「捨てるべき習慣」もあると思っている。今回は筆者の独断と偏見で選ぶ「これをやめることで人生がよくなった」ということを自己体験的に取り上げてみたい。もしも、あなたの人生から少しでも生きづらさがなくなるヒントになれば幸いだ。

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1. 察してもらおうとすること

筆者はかつて、とても面倒くさい性分であった。何も言わず、相手が気を回して自分のことを理解してほしいと 願っていた。20歳そこそこでは、一回り以上年上の人間に囲まれて仕事をして、周囲の人たちから若いという理由だけでかわいがられていたことで、その面倒な性分が強く醸成されてしまったと内観する。

朝から不機嫌な表情をしていれば、周囲の人は気を使ってお菓子をくれたり、猫なで声で話しかけてくれた。いつしかそれが当たり前だと思うようになり、自分の感情を口に出さずとも表情で訴えることで周囲に行動を促すことをしていたりした。

周囲が自分を見て察してくれ、温かい対応をしてくれていたのは相手が単に自分より大人だからであり、相手の人の良さを狡猾に利用していただけに過ぎないのだと後ほど悟った。そのことを理解したのは、自分が年上の立場になることが増えた環境に身をおいてからである。

察してもらうことをやめると、察してもらえない相手にイライラすることはなくなり、人生は楽になった。

2. 憧れの人物を作ること

「日本人は無宗教だ」と、当の日本人である我々は考えがちだ。実際、日本には仏教の割合が多いわけだが、個人的には「憧れの人物」に対してまさしく宗教に近い感覚を持つ人が多いと感じる。インフルエンサーや、ライバー、YouTuber、ブロガーなど、影響力のある人を追いかけ、彼ら/彼女らを崇拝し、応援する人はよく見る。お布施のように投げ銭をする人もいる。

筆者もかつてはそうだった。ビジネスの有力者を追いかけ、「あの人はすごい方なんだぞ」と自分が追いかけている有力なビジネスマンを積極的に周囲に吹聴するという「熱心な布教活動」をしていた時期もあった。だがやめた。もう自分には教祖が必要なくなったからだ。

自分では心細いので、人生の進むべき指針を誰かに示してほしい。人生の難しい決断を委ねたい。憧れの対象に求めるのはそうした事が多いのではないだろうか。だが、自分の足で人生を歩き、その必要性がなくなった時から、憧れの人物は自分の前からいなくなった。スキルやビジネスなどの実力に対しては今でも「すごいな」「学びを得たいな」という賞賛の気持ちはあるが、過剰に人的崇拝をしたり人生の大事な決定事項を相手に委ねたりすることは、もうない。

3. 愛するより愛されたい

勝手な想像だが、愛するより愛されることを目指す人の割合は半数以上いるのではないだろうか。そうありたい気持ちは分からなくもない。誰かから愛されれば、「自分は必要とされている」という自己愛が満たされ、不安から開放されるだろう。

だが、愛されたい意欲が高すぎると不幸になる。なぜなら人の価値観はあまりにも多様であり、多くの場合は自分には無関心だから。また、一部の人からは必ず嫌われてしまう。また、最大公約数的な愛されキャラを目指しすぎると、カドが取れて自分自身のテイストが出しづらくなり、これが生きづらさを生み出す。さらに、相手から愛される受け身の姿勢でいることは、自分ではどうにも出来ないことも多く、それはとても歯がゆい感覚になる。

今では、愛する方が幸福度が高くなると感じるようになった。愛したい対象を見つけ、愛を注ぎ、信頼関係という実を成就する過程はとても心地よい。そうすることで、愛する相手から今度は愛されるという返報が得られることもある。この逆は難しいからこそ、自分は愛する立場を選びたい。

4. 他人との比較

人生で瞬間的に不幸になる方法は、他人と比較することである。そしていかなる分野においても、世界には自分より優れた人物や結果は存在している以上、これをやり始めると永遠に幸福にはたどり着くことができなくなる。よしんば、現時点で世界最高の記録を持っていても、いつかは後世世代に抜かれてしまう。

もちろん、優れた力量やスキル、意見などを目の当たりにすれば素直にすごいなと尊敬の念が生まれるし、そこから自身を高めるための着想を得たいと思うことはある。だが、自分との比較は絶対にやらない。自分が幸福になる上で、他者比較はまったく必要ないからだ。

たとえば自分が無人島に暮らしていれば、今日魚が何匹取れた?どのくらい効率的に漁が出来た?ということは一切気にならないはずだ。なぜなら無人島には、比較の対象が存在しないからである。だが、取れた魚がおいしければ満足するだろう。つまり相対的な幸福に対して、絶対的な幸福を追求する方が人生は良くなると思うからだ。

5. お金を追いすぎること

SNSなどでは、景気の良い話があちこちで展開されている。特に昨年年末までの投資界隈では「ヒトケタ億円到達!」というくらいでは「投資家としてはまだジュニア級」というイメージで「資産は10億円を超えてからがスタートライン」のような雰囲気すら感じることもあった。

だが、お金を追いすぎると不幸の始まりだ。なんせ、お金は数値化でき、これほどまでにわかりやすく比較が起きやすいファクターはないからだ。また、お金はどれだけあっても保管場所に困らない、という機能性からも追求することをやめられない人は少なくない。

しかし、あの世にはお金は持っていけない。よほどお金の使い方が上手なビジネスマンを除き、ほとんどの人にとっては余剰資産があっても、日常的に使える金額は限られる。そもそも、高額なお金は使うのに時間がかかる…たとえば高級レストランで食事をするには移動や正装、食事のサーブなどを含めるとお金だけでなく時間がかかってしまうし、そもそも贅沢が日常になれば必ず飽きる(限界効用逓減の法則)という機能性を人は有している。

筆者は死ぬ前に「たくさんお金があって良い人生だった」と思うよりも、「たくさんの経験や愛情に包まれて良い人生だった」と思いたい。だからお金より愛を優先させたいと思っている(そう言えるのは、ある程度経済的不安から開放されている強者の論理だと反論がありそうだが…)。チャップリンは「愛と勇気とサムマネー」という言葉を残した。これはお金についての本質を突いている。確かに豊かに生きる上でお金は必要だが、some money(必要なだけ)で良いと思うのである。間違ってもお金を追う代わりに、時間や人生の幸福の多くを差し出すことがあってはならないと思うのだ。

やめてよかった習慣は他にもいくつかあるが、この5つに比べればどれも些末なものだと思う。

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ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。