橋下徹氏(元・大阪府知事)のウクライナ問題に関する発言が賛否両論を呼んでいる。同氏の意見に賛成できるものもあるのだが(例えば、非戦闘員・住民の避難についての意見)、それは「違うのではないか」と首を傾げざるを得ないものもある。その一つが「英米 ウクライナ大統領の脱出準備」とのニュースに接した橋下氏がツイッターで呟いた言葉だ。
それは「ゼレンスキー大統領は脱出を拒否するものと確信している。戦争指導者の脱出やその準備は絶対にダメだ。命が助かる立場だと政治的妥結の判断が狂う。日本にいる戦え一択の勇ましい者たちと同じになってしまう」(3月8日)というもの。
更には「戦争指導者は死ぬか妥結かの判断を迫られる立場でなければ冷厳な判断はできない。自分の命だけは必ず助かる可能性があると、勇ましさが優越し、非戦闘員の不合理な被害が拡大する。そういう極限の立場が戦争指導者である。命が助かる立場なら勇ましいことはいくらでも言える」との一文も同日残している。
ちなみに、橋下氏は「戦う一択だけの指導者は危険」だとして、例えば、高市早苗氏(自民党・国会議員)を批判している(高市氏が戦う一択だけの指導者でないことは、拙稿『高市早苗氏は橋下徹氏がいう「戦う一択」の危険な指導者ではない!』Daily WiLL Onlineを参照ありたい)。
ところが、橋下氏はゼレンスキー大統領が「キエフにとどまる」と宣言したことに「凄まじい立場。敬意を表します」(3月8日)と賛意を示したのだ。
ゼレンスキー大統領は「われわれは後に引かない」「隠れはしない。どんな相手も恐れてはいない」と語るまさに「戦う姿勢」を示す指導者。「戦う一択」がダメだというなら、橋下氏は、ゼレンスキー大統領の言葉や態度こそ、直後に猛烈に批判するべきではないのか?
さて、橋下氏が言う「戦争指導者の脱出は絶対ダメ」論について見てみよう。近現代史を振り返ると、祖国を脱出(亡命)して戦後、大統領になった人物もいる。フランスの軍人・政治家のドゴールがその代表例だろう。ナチス・ドイツの侵攻によりフランスが降伏すると、ドゴールはイギリスに亡命して自由フランス運動の指導者となり、祖国の解放に尽力。戦後、大統領にまでなった。
第二次世界大戦下においては、フランスだけではなく、ポーランド、ユーゴスラビア、チェコスロバキア、、ベルギー、オランダ、ギリシア等が、ロンドンに亡命政権を樹立している。チベット動乱に対する中国政府の弾圧から逃れ、亡命したダライ・ラマ十四世のチベット亡命政府も存在する。祖国が危機に陥った時、国外に亡命して、再起をはかるというのは、歴史を振りかえると数多あることだ。
それらは駄目なことなのであろうか?戦争指導者の脱出だ駄目だというならば、ゼレンスキー大統領は最悪の場合、ロシア軍により殺害されてしまうだろう。亡命して祖国のために尽くすこともできるのだ。そうであるのに「戦争指導者の脱出は絶対ダメ」と、平和な国・日本から、我々日本人が偉そうに言う権利がどこにあるだろうか?