プーチン氏が「聖書」を引用する時

プーチン大統領は18日、モスクワのルジ二キ競技場でウクライナのクリミア半島併合8年目の関連イベントに参加し、集まった国民の前でウクライナへのロシア軍の侵攻を「軍事作戦」と呼び、ウクライナ内の親ロシア系住民をジェノサイド(集団虐殺)から解放するためだと説明し、新約聖書「ヨハネによる福音書」第15章13節から、「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」という聖句を引用したという。

群衆を前に聖書を引用するプーチン大統領(2022年3月18日、バチカンニュースから)

プーチン大統領は先月24日、ロシア軍のウクライナ侵攻を表明したが、その際「ウクライナはファシストによって支配され、ネオナチが彷徨している。ウクライナ東部の親ロ派が住むドネツクとルガンスク両“人民共和国”ではナチスたちによるジェノサイドが行われているから、ロシア軍を派遣して救済しなければならない」と述べている。プーチン氏にとって、ウクライナ侵攻は「ウクライナの非武装化と非ナチ化」を意味していた。

ソ連時代からロシアではナチス・ドイツ軍との戦いの勝利が国家の栄光であり、ファシズムへの戦いは聖戦のように受け取られてきた。プーチン氏はウクライナ侵攻を正当化するためにネオナチ、ファシズム、ジェノサイドといった書割を持ち出したわけだ、ロシアの社会学者レフ・グドコフ氏は、「ヒトラー政権に対するソビエト連邦の闘争と勝利ほど深く記憶を形作った歴史的出来事は他にない」と説明している。

ここで看過できない変化は、プーチン氏は当初、自身の主張が政治プロパガンダだと理解していたが、時間の経過と共に、自身のプロパガンダを信じ出してきた兆候がみえるのだ。ナチスの宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスは、「嘘も100回言えば真実となる」といったが、プチーン氏は自身のプロパガンダを繰り返していくうちにそれを真実と思い始めたのでないか。

プーチン氏はルジ二キ競技場に集まった群衆をみて、心否応なしに高まり、聖書の聖句が飛び出した。ジェノサイドから同胞を救済する騎士になったような高揚した気分があったのだろう。ただ、プーチン氏の演説を放映していたロシア国営テレビの中継が突然、途切れるといったハプニングが生じた(ペスコフ大統領報道官は技術的理由を挙げているが、内部のサボタージュ説もある)。

バチカンニュースは、「プーチン氏が聖書を引用する時」という見出しで大きく報道していた。ロシア軍がウクライナに侵攻し、無差別爆弾で多くの民間人、女性、子供たちを殺害させ、18日には極超音速ミサイル「キンジャール」をウクライナ西部に投下するなど、激しい攻撃を繰り返している最中、プーチン氏は「愛の福音書」と呼ばれる「ヨハネによる福音書」から先述した聖句を引用したのだ。あたかも野外ミサをする伝道師のようにだ。

「ヨハネによる福音書」第15章13節の意味するところは、ウクライナでジェノサイトの危機にある同胞のロシア人を救済するために闘い、命を落としたロシア兵士に向けられている(ウクライナ当局によると、7000人以上のロシア兵士が既に戦闘で犠牲となった)。プーチン氏の視点からは「聖戦の犠牲者」を意味する。

ところで、プーチン氏が引用した「ヨハネによる福音書」第15章を少し厳密にみると、第15章12節(13節の前)には、「私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」という聖句がある。同胞のウクライナ人を殺害している手前もあって、さすがのプーチン氏も「互いに愛し合いなさい」という聖句は引用できなかったのだろう。

プーチン氏の聖書の引用を更に深読みすると、「ヨハネによる福音書」第15章14節、すなわち、13節の次には、「あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である」と記述されている。プーチン氏はその14節まで言及していない。プーチン氏は「ヨハネによる福音書」第15章13節だけを引用し、その前後の12節と14節をあえて無視したわけだ。

プーチン大統領は16日の政府会議で、「ロシア国民は真の愛国者と裏切り者を見分けることができ、たまたま口に入ってきた虫のように簡単に(裏切り者を)吐き出すことができる」(時事通信)と発言したという。プーチン氏にとって、「わたしの友ではない者」は「裏切者」を意味し、処罰しなければならない。プーチン氏は実際、ロシア軍のウクライナ侵攻を「戦争」と呼ぶメディア、ジャーナリストを罰する法改正を実施し、自身の軍事活動を支持しない軍幹部、情報機関幹部たちを処罰している

プーチン氏は5歳の時、洗礼を受けたれっきとした正教徒だ。彼が集会などで聖書を引用したとしても、取り立てて不思議ではない。ただ、ウクライナに武力侵入し、多くの民間人を殺害している時、「愛の福音書」と呼ばれる「ヨハネによる福音書」の聖句を引用することは神への侮辱ともなる。プーチン氏がそれを知って引用したのだろうか。

イエスは悪魔から3つの誘惑を受けたが、その際、悪魔は自身の言葉ではなく、神の言葉をもってイエスを誘惑した。悪魔は自身の言動を弁明する際も、聖書の聖句を巧みに引用する。プーチン氏は悪魔ではないが、自身の政治プロパガンダ、ファンタジーの虜になっているのだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年3月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。