国と家族を引き裂いたウクライナの過剰な民族主義

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ウクライナ問題についての私の基本ポジションについて最初に確認しておきたいが、今回のロシアによるウクライナ侵攻は許されないものであり、日本は西側諸国の一員として欧米と同一歩調で批判し制裁に加わるべきであるし、それは、アジアの問題について欧米に日本の意向を尊重してもらうためにも必要だということである。

ただし、日本の利益に無頓着であるべきでないし、歴史認識については、欧米人とは違う客観性の高いものであるべきで、それを生かして和平の仲介に貢献すべきだと思う。その意味で、過度にウクライナに肩入れしてロシアを排撃するのは間違っているとは思っているが、それはロシアを擁護するわけでもなんでもない。

沖縄少数民族説とウクライナ民族主義の類似性

さて、ゼレンスキーを国会で演説させようと主導権を取ったのは保守派だが、今回の問題を通じて、保守派の人々のかなりは、国防意識や中国への警戒感を高めようとか、先の戦争でのソ連参戦への恨みを晴らしたいということでウクライナを強く支持しようとしている。

しかし多分に天に唾しているのでないかと思う。ひとつは「ウクライナは核兵器を放棄したからこんなことになった」とかいう話を宣伝している人がいるが、それは金正恩に「核兵器を絶対に手放すなと」アドバイスしているようなものだ。北朝鮮の工作員かと疑いたいくらいだ。

もうひとつは、ウクライナの偏狭な民族主義に対するエールは日本の統一を崩そうという人たちを応援していることに等しいということだ。保守派の人が日本人自身が民族派であろうとするのは当然だが、そのついでに、外国や国内の分離派の行き過ぎた「民族主義」を意識的か無意識か奨励するのは日本にとって得策ではないであろうに、その片棒を担いでいる。

沖縄の人々を「先住民族」とし、日本政府に琉球・沖縄の言語や文化、歴史の保護などを求めた国連勧告というのがある。国連といっても末端機関のいうことなどたいした権威はないのだが、不愉快である。

ところが、この構図は、ウクライナ紛争に通じるところがある。つまり、「ウクライナはロシア帝国に抑圧されていたが、古い民族の歴史と文化があるのであるから、ウクライナ語の復興を進め、ロシア語の使用や教育を排斥し、政治的にも独立すべきだ。また、ウクライナは本来的には西欧と繋がりが深いのだから、ロシアの影響を脱してEUやNATOに入るべきだ」というのは、「沖縄は日本に抑圧されていたが、古い民族の歴史と文化があるのであるから、琉球語の復興を進め、ヤマト言葉の使用や教育を排斥し、政治的にも独立すべきだ。また、沖縄は本来的には中国と繋がりが深いのだから、日本の影響を脱して一帯一路や中華軍事同盟に入るべきだ」といいいかえたらことの重大性が分かるだろう。

さいわい、中国がそんなうらやましい国でないからいいようなものだが、いま種まきされていると将来は面倒なことになってくる可能性がある。気をつけておくにこしたことはない。

世界の少数民族の中には、本当に酷い差別と独自の文化の否定を長く受けている所も多いが、それほど問題があるわけでないし、少数の話者しかいない言語では実用性に劣るので、ある程度の大きなまとまりの言語集団になっていくのは自然な成り行きだ。

ところが、世界各地でこのような少数言語の尊重といえば聞こえが良いが、統一言語の破壊が進んでいる。

その結果はおそらく、多言語間でのコミュニケーションの困難さと、英語ないし中国語のみが世界言語として覇を競う世界へ誘導されるだけだ(保守系の人で中国語や韓国語の表示は不愉快だからやめろという人がいるが、そういう人は結局、いわば英語帝国主義に貢献しているに過ぎない)。

地域文化の尊重はけっこうなことだが、暴走するととんでもないことになる。

チャイコフスキー家はウクライナ・ロシア併合の功労者

ソ連時代、ロシア人かウクライナ人かなどほんとど意識されなかった。ゴルバチョフは北コーカサス生まれのロシア人だが母方はウクライナ系、そのライザ夫人はシベリア・アルタイ地方生まれだが父はウクライナ系、母はシベリアのロシア人だった。チャイコフスキーはウクライナがルーツで母方はフランス系だ。

ソ連が解体した直後に、ウクライナ系のロシアの国会議員と丸一日行動を共にしたことがある。そのとき、「ウクライナに戻る気はないの?」と聞いたら、「チャンスがあれば。ロシアで活躍できればここにいるし、故郷でいい話があれば行く」といっていた。当時はふたつの国にかかわっているソ連人にとって当たり前の感覚だった。

それがウクライナが独立して、ロシア語の使用や教育を抑圧した結果、ロシア系ウクライナ人でも子どもはウクライナ語で教育を受けたりしている。

そもそもウクライナの歴史的独自性は、東京に対する沖縄というより鹿児島くらいだと思う。ウクライナとロシアの歴史はこれまでにも書いたことがあるので、本日は、チャイコフスキーを例にとって説明してみよう。

曾祖父のヒョードル・チャイカはサポロージエ・コサックである。ポーランド・リトアニアでは、モンゴルから奪ったドニエプル川中流域にサポロージエ・コサックといわれる、満洲の馬賊のような集団があり、15世紀あたりから、一種の自治を認められていた。

それが17世紀になって待遇に不満を持ち、1648年にフメリニツキーの乱で、ロシアの庇護下に入った(1654年)。ところが、ピョートル大帝のときの大北方戦争(1709年)でマゼッパという首領がスウェーデンに寝返ってロシアと戦ったが、ロシア側にたったコサックも多かった。とくに、ポルタヴァの戦いが関ケ原になったが、このときに、ロシア側で戦功を上げたのが曽祖父のフュードル・チャイカである。

祖父のピョートル・フョードロヴィチは軍で軍医の助手をし、のちにウドムルト共和国(ウゴル・フィン系が多い)のグラゾフで市長。父親のイリヤは軍の中佐で鉱山技師。母のアレクサンドリアはフランスに出自を持つ。

チャイコフスキーの交響曲第二番「小ロシア(ウクライナ)」はウクライナのカムヤンカの妹の別荘に滞在中書かれたもので、ウクライナの民謡が使われている。そのチャイコフスキーの代表作のひとつがナポレオン戦争でのロシアの勝利を描いた「大序曲1812年」だ。

プロコイエフもウクライナ生まれだが、その代表作にはロシア建国の英雄を描いた「アレクサンドル・ネフスキー」とかナポレオン戦争を描いた「戦争と平和」がある。そんな彼らが、現在の分裂を聞いたら歓迎しないと思う。

ソ連時代の民族融和を懐かしむ人も

もともと別の民族でも国民でもなかったものがこんな風になるのは痛ましいことだ。そして意識の上でも、行き来についても困難になった家族がロシアにもウクライナにも無数にいる。

それをもたらしたのは、さまざまな野望に踊らされた人々の、過剰な民族主義・分離主義、少数派に転落した元の多数派への差別と抑圧である。

日本をはじめどこの国でも、特定地域の人を別民族に仕立て上げる動きがあると、こういうことだってありうるのである。民族主義の問題は、だいたいどちらかが100%正しいということは希だ。ほとんどの人はどちらかの応援団になるが、そのこと事態が不幸を生んでいる。どちらかが全面的に正しいということにはなりえない問題なのだ。

プーチンのように、ウクライナの民族主義をナチス呼ばわりするのは、これも行き過ぎで困る。しかし、過度の民族主義・国粋主義を批判する、あるいは危惧することは何も間違っていないと思う。これを放置すると世界に不幸を撒き散らしかねない。

そういう意味で、社会主義のもっていた国際性を懐かしむ人もいる。社会主義というのはすっかり評判が悪くなったが、国際性という面についていうと、良い意味で多くの民族が互いを尊重しつつ前へ向いて進もうという先進性を持っていたと思う。

あんまり馬鹿で偏狭なナショナリズムのぶつかり合いをしていると、自由世界の論理が本当にいいのかという疑問も出てくる。

どこかの記事に「世界の人口トップ10で、今回の欧米主導の経済制裁に加わっているのは、アメリカだけだ」という話が出ていた。それはひとつには、国家統一を危うくするような論理とは組めないという思いもあろう。

EUの進歩的な人もスペインにおけるカタルーニャ分離運動にたいするスペイン政府の強硬姿勢についてはダブルスタンダードになる人も多いし、米国南北戦争は連邦は分離不能という論理で戦われた。

しょせんはご都合主義だ。