「森のたまご」にみる不器用な事業承継

関谷 信之

スーパーでよく見かける、「森のたまご」や「伊勢の卵」など、少し高めの卵。

これらを製造販売するイセ食品株式会社(以下 イセ食品)とイセ株式会社が、会社更生法を申し立てられました。

機能性卵の先駆けとなった「森のたまご」。約15%を誇る国内鶏卵シェア。質、量とも国内屈指、いや、米国で1984年にトップシェアとなったことを考えると、世界的鶏卵企業と言うべきでしょう。

前会長であり、現在も「実質」経営者といわれる伊勢彦信氏(以下 伊勢氏)のニックネームはエッグキング。

そのキングが、いま苦境に陥っているのです。

コロナによる外食需要減に伴う売上減。飼料価格の高騰による原価増。結果、2期連続の赤字になり、負債額が453億円まで膨れ上がりました。これは、同社の年間売上高の9割超に相当します。

会社更生法を申し立てたのは、債権者であるあおぞら銀行。そして、株主である、伊勢氏の「長男」俊太郎氏です。株主による申立ては珍しく、それが実子となると、異例と言って良いでしょう。

会社更生法を申し立てることができるのは、債権者や株主、そして経営者自身です(※1)。また、同法は、基本的に現経営者に退陣を迫ります(※2)。つまり、会社更生法の申立てとは、

「申立者が、現経営者に『引導を渡す行為』」

とも言えます。今回は、実の息子が親に引導を渡す、といった構図です。

本稿では、イセ食品の事業承継について考察したいと思います。

“偶然”を“計画”に変革した人物

「卵はタンパク質に変わるものの中でコストが一番安い」
「人間は卵で育ってきた」
「戦後日本の成長原動力は卵」

このような思いのもと、鶏卵業を、農業から製造業へ転換した人物。それが、伊勢彦信氏です。

イセ食品が急拡大する以前、1963年ごろの卵流通は、問屋が、百羽ほど飼う養鶏場を回り、卵を集め出荷する。いわば、

「たまたま、その日に生まれた卵を集めて売る」

ものでした。ところが、スーパーが台頭し、同一品質・同一サイズの卵の大量納入が求められるようになります。この需要拡大を見越し対応したのが伊勢氏でした。

温度や光、採卵タイミングなどを細かく定めたマニュアルを作成し、6万羽の大養鶏場を設立。

「計画した日に卵を生ませて売る」

という卵流通へ変革します。

スーパーの拡大に伴いイセ食品の取扱量も順調に増加、1979年には国内トップに躍り出ます。

その後、1982年にアメリカへ進出。マニュアル活用とM&Aにより、4年後、アメリカでもトップシェアを獲得。この反響は大きく、ニューヨークタイムスで大きく取り上げられました。

「The Egg King in U.S:Japanese Entrepreneur」
(アメリカの鶏卵王は日本人起業家)

伊勢彦信氏は故郷で卵王として知られ、アメリカでもその称号が相応しい。ミシシッピ川の東にある100の市場で1400万羽の鶏が産卵しているISEアメリカは、すでにこの国で最大の鶏卵生産者である。

By Kathleen Teltsch, Special To the New York Times July 19, 1986

卵で莫大な利益を得た伊勢氏。その使途は、他の経営者と大きく異なるものでした。

60億円のピカソが欲しくてたまらない

美術品に費やしたのです。伊勢氏は「貪欲」な美術品コレクターでした。

ひとしきりオークションの話を語り終えた伊勢は、実に楽しそうだった。(中略)現在、60億円で売りに出されているピカソがほしくてたまらないという。「でも、お金が足りんがです。年よりは悲しいものでございますね」と、富山弁でつぶやく伊勢は、今度は、心底寂しそうである。

(卵でピカソを買った男  実業之日本社2005年7月)

イセコレクションと呼ばれる伊勢氏所蔵の美術品は、ピカソ、ルノアール、シャガールら巨匠の作品を含む150点以上。

事業承継にあたっても、その貪欲さが垣間見えます。

「息子に『自分でつくった金は全部使って死ぬ』といったら、悲鳴を上げておりました」

「彼には事業を残したらいいと思っています。その代わり、自分(伊勢氏)の稼いだ分は絵を買って、その借金付きという形で…(笑)」

(芸術のある国と暮らし|実業之日本社2008年4月)

「これだけの金は私に(美術品収集に)使わせていただきたい、ということを条件に仕事を継いでいただく」

(卵でピカソを買った男|実業之日本社 2005年7月)

その息子俊太郎氏を

「(過去に引き継いだ、2人の社長と比べると)ましかな、とは思う」

と評していた伊勢氏。

17年経った今、その息子に引導を渡されることになります。

親子の確執

一方、息子である俊太郎氏は、父をどのように思っていたのか。

親子関係について、雑誌「起業家倶楽部」1999年1月号でインタビューに応えています。

年を経るごとに、親父との確執が深くなる場合と、そうでない場合とあるらしいけれど、どちらのタイプです?

俊太郎氏「前者ですね(笑)」

プロがプロに聞く経営の話(雑誌「企業家倶楽部」1999/1月号より転載)

その後も、“親父は何でも口をだすもの、そういう人がいるから助かる”、と諭す聞き手に対し、「そういうふうに、心底思えるように努力します」「いやあ、どうでしょう(笑)」「そうかもしれませんね(笑)」などと、言葉を濁す俊太郎氏。

当時から、親子双方、あまり良い感情は持っていなかったのかもしれません。

次の経営者は誰か

俊太郎氏は、イセ食品で主に販売を担当しました。当該事業を引き継ぐイセデリカ株式会社を1993年に設立し、その後、イセ食品から「独立」。現在は、イセデリカを含めグループ経営を行う、ISEホールディングス株式会社(以下ISEホールディングス)の代表取締役となっています。

「独立」したとはいえ、ISEホールディングスが扱うのはイセ食品の卵です。いまだ、関係性が強く、イセ食品を熟知しています。現経営層が退陣した後、俊太郎氏がイセ食品に戻り、経営を司る可能性は高いはずです。

法制度を「活用」した事業承継

俊太郎氏が行った会社更生法申立てに対し、

「会社の経営は順調で、債務超過になったことはなく、取引先に支払いが遅れたこともない。なぜ会社更生法を申し立てられたのか理解に苦しい」

と、不服申立ての抗告をする、としている伊勢氏。

経営者が強すぎた。親子の確執があった。事業承継が難しくなった。だから、法制度を用いざるを得なかった。

今回の会社更生法申立ては、法制度を「活用」した事業承継劇となるのかもしれません。

【参考・注釈】

※1 申立権者
資本金の10分の1以上の債権を持つ株主、資本金の10分の1以上の議決権を持つ株主、当該株式会社

※2
今回の会社更生法申立てで採用したDIP (Debtor In Possession)型では、
・現経営陣に不正行為等の違法な経営責任がないこと
・主要債権者が現経営陣の経営関与に反対していないこと
などの要件を満たす場合、現経営者が、管財人として事業再建にあたることが可能となる。

イセ食品等の会社更生について(2022年3月11日)

※参考書籍
倒産の前兆 |SBクリエイティブ
卵でピカソを買った男 |実業之日本社(2005年7月)
カンブリア宮殿 村上龍×経済人|日本経済新聞出版社(2008年2月)
対話 芸術のある国と暮らし|実業之日本社 (2008年4月)