政策提言委員・経済安全保障マネジメント支援機構上席研究員 藤谷 昌敏
ロシア軍によるウクライナ侵攻(2月24日)の前、既にドンバス地方をはじめとしたウクライナ東部地域ではロシアの情報機関と特殊部隊が密かに活動を続けてきた徴候があった。関与しているのはFSB(連邦保安庁)、SVR(対外情報庁)、GRU(軍参謀本部情報総局)などの情報機関及び特殊部隊、民間軍事会社などである。
中でもFSBの特殊部隊「ヴィンペル」にはイゴール・エゴロフ大佐を指揮官とする秘密工作専門チームがあり、ウクライナでも数々の工作に関与してきた。また、GRUにも、破壊工作を専門とするデニス・セルゲイエフ少将率いる「29155部隊」や「99450部隊」など複数の特殊部隊があり、2014年のクリミア併合では裏で暗躍していたとされる。
ウクライナ危機において、注目されるのは正規軍の動きだけではなく、こうした情報機関、特殊部隊、民間軍事企業をロシアや米英などが投入していることであり、水面下におけるハイブリッド戦が戦争全体の帰趨に大きく影響することが明らかになった。
例えば、民間軍事会社「ワグネル・グループ」は、ウクライナに限らず、リビア、スーダン、シリアなどでロシア政府の意を受けて破壊工作や親露派への支援、警備活動などを行っていた。
ウクライナに潜入したワグネル・グループ
報道によるとゼレンスキー大統領ら幹部の暗殺やクーデターを謀るため、ロシア民間軍事会社の戦闘員400名がウクライナに潜入したようだ。派遣された部隊はロシアの民間軍事会社「ワグネル・グループ」だ。ワグネル・グループはGRUのスペツナズ隊員だったドミトリー・ウトキン元中佐が2014年に創設した民間軍事会社だ。ウトキンは、ナチス信奉者と言われ、名称の「ワグネル」もヒットラーが愛した作曲家リヒャルト・ワグネルに由来したものだとされる。
ワグネル・グループは、2015年、シリアに派遣され、シリアの油田とパイプラインをイスラム国から守る任務についた。ワグネルは、アサド政権を支援するロシアに代わり、シリアの国営石油会社ゼネラル・ペトロリアム・コーポレーションと契約して、油田施設を警備した。ワグネルは、当初、元警察官や軍人からなる1,000名程度の組織だったが、2017年には6,000名に拡大した。このうち、戦闘員は2,000名から3,000名程度とみられる。シリアには2,500名ほどのワグネル社員が駐留し、イスラム国との戦闘で400名以上が死亡している。
このワグネル創設に資金援助したのが、「プーチンの料理長」との異名を持つロシアの実業家エブゲニー・プリゴジンだ。エフゲニー・プリゴジンは、プーチンと密接なつながりを持ち、自営のレストランでプーチンやその賓客の接待を行っていた。ブリゴジンのもう一つの顔は、「オリギノのトロール工場」と言われる「インターネット・リサーチ・エージェンシー」(略称:IRA)の経営者だ。IRAは、米国の大統領選挙などに介入するため、高額な給与で社員を雇い、フェイクニュースを積極的に流すように奨励していた。
GRUによる訓練を受け、熟練のスペツナズ、軍人、警察官で構成されるワグネルが未だにゼレンスキー大統領ら幹部の暗殺に成功したという話を聞かない。そればかりか、ウクライナ軍はロシアの指揮官クラス7名以上の殺害に成功している。これはウクライナの情報機関や特殊部隊などが極めて効率的で緻密なインテリジェンス・ネットワークや防衛システムを機能させているからと言わざるを得ない。
そうした背景には、2014年以降の米国、英国などの情報機関などの強力な支援があったことがうかがえる。
米国、英国など情報機関の強力な支援
① 米国、英国、ウクライナ情報機関との連携強化
情報機関は、友好国の情報機関とギブアンドテイクで情報協力を行うことがある。情報機関は、自国の情報機関の情報の分析の信頼度を上げるために情報協力によって得られた他国の情報機関の情報を活用する。また情報協力によって得られた情報を共有して、自国の劣った情報分野を充実させることがある。
今回、米国や英国、ウクライナの情報機関が連携して綿密で正確な情報収集に成功しているということがうかがわれる。特に英国は、1909年、世界初の情報機関SIS(Secret Intelligence Service、通称MI6)を創設した国であり、長年、ロシアのKGBと血みどろの情報戦を展開してきた。情報機関にとって重要なのは、分析能力の高さだけではなく、情報戦の経験と敵対組織の手口や弱点を熟知していることだ。
② 情報機関のバックチャンネル
情報機関は、同盟国同士の情報機関だけではなく、敵国の情報機関ともつながっている場合がある。それは緊急時の平和維持や水面下での交渉に欠かせないからである。
例えば、東西冷戦時代には全面核戦争の危機回避のため、ソ連KGBとNATOが水面下で交渉を行い、お互いに核攻撃の意思がないことを確認しあって危機を回避できた。また、イスラエルとイランは敵国同士だが、両国の情報機関は定期的に情勢報告や情報交換をおこなっていた。当時のイラクに敵対するという意味では両国は盟友だったからだ。
今回、FSBの内通により、ロシアの暗殺計画が事前に漏れていると言われ、FSBの「内部告発」文書がインターネット上に流出していることなどを見ても、米英のバックチャンネルを活かした工作活動がかなり成功しているものと思われる。
③ 米国など西側軍事顧問団の支援
2014年のクリミア危機において、ウクライナ軍は貧弱で武器も不足し、ロシアに対抗できなかった。そのため、ほとんど無血でロシアはクリミア併合を成功させてしまった。その後、危機感を抱いたウクライナ政府の要望に応えて、米国、英国、カナダ、ポーランドが軍事顧問団を派遣して、ウクライナ軍の支援・訓練などを行った。西側諸国の軍事顧問団の役割は、軍事訓練とアドバイス、兵器の取り扱いや運用・保守の指導、軍用装備の調達・配備、情報収集と分析など多岐に渡っていた。
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現代のハイブリッド戦においては、敵対国の強力な特殊部隊や民間軍事会社を封じ込めることは容易なことではない。今のところ、西側諸国とウクライナの軍・情報機関の協力体制と兵器・物資の莫大な支援がロシアの侵攻を見事に防いでおり、ロシア側は機能不全に陥っているのではないだろうか。
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藤谷 昌敏
1954年、北海道生まれ。学習院大学法学部法学科、北陸先端科学技術大学院大学先端科学技術研究科修士課程修了。法務省公安調査庁入庁(北朝鮮、中国、ロシア、国際テロ部門歴任)。同庁金沢公安調査事務所長で退官。現在、JFSS政策提言委員、合同会社OFFICE TOYA代表、TOYA未来情報研究所代表、一般社団法人経済安全保障マネジメント支援機構上席研究員。
編集部より:この記事は一般社団法人 日本戦略研究フォーラム 2022年3月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は 日本戦略研究フォーラム公式サイトをご覧ください。