3月15日(火)の山形新聞で大きく特集されていた『死にたかった発達障がい児の僕が自己変革できた理由』(西川幹之佑著、時事通信社)を拝読。
子どものころは、得意・不得意の差が大きく、注意欠陥多動性障がい(ADHD)で、アスペルガー症候群(ASD)の傾向もあり、興味関心がたくさんあり、気が散りやすく、自己没頭すると周りが目に入らなかったという著者。
小学校の頃は特別支援学級の先生に赤ちゃん扱いされることがどうにも我慢ならず毎日教室を飛び出していたというが、麹町中学校では「自己変革」ができたという。
この本は、著者が麹町中学校を体験し、分析した本で、名著「学校の当たり前をやめた」の続編ともいえる。
著者から見た工藤校長や麹町中学校の最もすごいところは、「目標や目的がぶれない」ことだという。
「自律 尊重 創造」を教育の最上位目標に掲げて、校長自ら何度も大型スクリーンの前でプレゼン。特に、一人ひとりが当事者意識をもち、対立やうまくいかないことにぶつかって、どうしたらその問題を解決することができるかを考え、他者と協力しつつ解決できる「自律した生徒」を重視する。そして、著者も「自律した生徒」を目指し、自分自身の人生の最上位目標を考えていく。
「低いハードルをたくさん超えて自信をつけましょう」とよく言われるが、「発達障がい児こそ、高い最上位目標を設定すべき」だという。なぜなら、ADHDの特性は常に刺激を求め、ワクワクしていないと落ち着けない。刺激があると落ち着かないのではなく、刺激がないと落ち着かない。ADHDの子供たちは、ワクワクが、夢が大きいほど頑張れるのだという。
一方で、何のためにやるのか、何を目指すのか、いつまでやるのか分からなかったソーシャルスキルをつけるための療育が苦痛でしかなかったという。
また、海外の教科書やノートに頼らない双方向性型の授業スタイルにくらべると、日本の教育はどの科目も板書やノートをとることに重きを置いており、協調運動が苦手な子供たちには非常に不利だと思う、などADHDだからこそ気づくことがある。
そうした著者に自己変革のきっかけを与えたのが工藤校長や麹町中学校だ。論理の飛躍が激しく、周りを困惑させまくっていた著者の質問に対して、工藤校長は「これって、こういうことかな。」と著者の言いたいことを「通訳」し、確認してくれたのが、例えようもないくらいうれしかったという。
麹町中学校の修学旅行は、決められたところに行くものではなく、「自ら企画する」もの。グループごとにオリジナルの「京都ツアー旅行」を企画し、その企画に沿って京都で旅行と取材をおこない、旅行から戻るとパンフレットやパワーポイントなどで資料を作成し、行内のプレゼン大会で発表する。このときも、生徒たちの自由行動に委ねられ、信頼される喜びを感じたという。
保健委員になりたいといったときの担任や保健師の対応も著者や家族に勇気を与える。このエピソードからも、「自律 尊重 創造」のという学校の理念が、先生一人ひとりにも共有されていることがよく伝わる。
小学校のとき、著者が学校の先生から言われて一番嫌いなのは「みんな仲良くしましょう」という言葉だったとのこと。こちらから距離を置こうとしているのに、わざと挑発する人、からかってくる人が必ずいて、「人と仲良くできない僕は存価値のない存在」とまで考えるようになったという。
麹町中学校では、「何かを決めるときに、意見の対立が起こるのは当然」「みんなと仲良くすることや強調することは決して目的ではないんだよ」と繰り返しアドバイスされるが、そのことによって、気分が楽になり、他人を許すことができるようになったという。
麹町中学校の取組は、まさにインクルーシブだということがよく分かる。
発達障がい児のクオリティオブライフを上げるための生活術も満載。この本の文字も、読み書き障がいのある生徒や弱視の生徒が使いやすいように研究・開発されたモリサワのUD(ユニバーサルデザイン)デジタル教科書体というこだわりだ。
「学校の当たり前をやめた」と併せて読むことでより理解が深まるのではないだろうか。
編集部より:この記事は、井上貴至氏のブログ 2022年4月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は井上氏のブログ『井上貴至の地域づくりは楽しい』をご覧ください。