近代日本史に於いて日露戦争の勝利は極めて大きな影響を与えました。幕末に開国を通じて国際社会との関係を再開し始めてから着実に階段を登り、強敵ロシアを倒したことで世界に一目を置かれたと日本国民は自信を持ちました。この自信はその後の日本を間違った方向に走らせた主たる原因だとみる専門家は多く、私もそう思っています。
戦後首相となった幣原喜重郎の自叙伝には日露戦争の勝利から日本は変わったということを明言していますし、司馬遼太郎も全く同様の考え方で「坂の上の雲」から先は下るしかないという意味で歴史小説を書きませんでした。
ではなぜ日露戦争が日本を変えたのか、2つポイントがあると思います。一つは強敵ロシアを駆逐し、アジアで唯一の強大な国家になりえたと国民が勘違いしたこと、もう一つは講和条約の内容が国民期待を大いに裏切ったからであります。特に賠償ゼロだったのは交渉当事者の小村寿太郎の思いとは別に、国民を再度奮い立たせたわけです。
歴史をさかのぼればモンゴル帝国やオスマントルコなど圧倒的領土を戦勝品として勝ち得た時代もありましたが、時代の変遷とともに戦争にはその実施理由が領土拡大から人種間対立、宗教対立といった特定の理由が主因になることも増えてきました。また、第二次世界大戦後は拡大する共産主義というイデオロギーが主因となり、国家の枠組みを超えたテロも横行しました。現代における国家間闘争は権威主義対民主主義といった取り組み方に代わっています。
戦争をするのは非常にコストがかかり、国家の疲弊は急速に進みます。また、以前のような情報統制は取りにくく、SNSの時代となれば国の司令塔が戦意を見せても兵隊や国民が必ずしも意図した形で動きません。アメリカなどは戦後、その罠にかかっているとみてよく、朝鮮戦争で苦労し、ベトナム戦争は泥沼化の上に国内に反戦運動が拡大、イラクでは戦果への疑問がつき、アフガンで底なし沼となりました。ちなみにアフガンは旧ソ連もそれで泥沼化し、ソ連崩壊の一因になったとされます。
個人的には戦争の当事者は得るものはない時代だと考えています。特に100年前と比べ国家にはあらゆるインフラや資産が整備され、多額の民間の資金も投じられ、その価値は莫大なものになっています。それらを破壊し合っている間は双方必死ですが、終わってみれば国家の存続すら危ぶまれるほどの損失を計上しなくてはいけません。
ではそれを外側から支援する国は戦争特需で湧くのか、といえば今回のウクライナの戦争を見れば今のところ、特需で沸いたのはごく一部の業界や産業だけで国家ベースで見ればどこかの国が甘い果実を吸ったという事実には至っていません。もちろん、今後、どういう形でこの戦争が終結するのか、全く予断を許しませんが、双方の国家とも国家としての形を維持できるのか、その原点にまで立ち返らなねばならないことも想定しなくてはいけないでしょう。
また近年は経済制裁という形を変えた戦争的行為も頻繁に使われています。これはルールを変えるだけのやりやすさがあるため、どの国もいとも簡単に踏み込んでしまう手段でありますが、果たしてこれが本当に正しい制裁であるのか、ここにきていろいろな意見も出てきています。
つまり、経済制裁は簡単に踏み込めるがゆえに、使い方を間違えると大変なことになるという訳です。例えば世界経済は二分化するかもしれません。新たなる経済圏の樹立となればグローバル化の後退になります。
争いのない社会の実現は困難であります。が、争う代償がこれほどになるのか、ということを人々はもう一度はっきり見つめなおさねばなりません。今回の戦争は人々の心に深く刻み込むでしょう。もういかなる戦争も不必要です。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年4月11日の記事より転載させていただきました。