18日は「イースター・マンデー」(聖月曜日)だ。マグダラのマリアがイエスの墓を訪ねたところ、墓は空だったので泣いていると、復活したイエスが、「何故泣いているのか、誰を探しているのか」と声をかける。驚いたマリアはイエスが復活したことをイエスの弟子たちに伝えたという話が新約聖書「ヨハネによる福音書」の中に記述されている。「イースター・マンデー」はその日に当たるわけだ。
ところで、このコラム欄で前日、ローマのコロッセオで2000年前のイエスの十字架の受難を再現した式典「十字架の道行き」について書いた。そこでローマに住むウクライナ人とロシア人の2人の女性が十字架をもって共に行進しながら、ウクライナ戦争の終結をアピールしたが、ロシア軍の侵攻で多くの民間人が犠牲となっているウクライナ側から、「ロシア軍が戦争犯罪行為を繰り返している時、ロシアとの和解、連帯を演出することは良くない」といった声があった、と報告した。
カトリック教会の聖職者や信者の中には、「ロシアのプーチン大統領のためにも祈るべきか」でちょっとした議論が湧いている。全ての人間は罪人であると教会は教えている。親鸞が歎異抄の中で、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや罪人をや」と語っているように、キリスト教会では神の前に全て罪人と教えている。その意味で高潔な聖職者も戦争犯罪人と非難されるプーチン氏も同じ罪人という点で変わらない。とすれば、プーチン氏のためにも祈るのは当然という結論になるが、ウクライナのマリウポリやブチャの虐殺を主導するプーチン氏のために祈ることに抵抗感を持つ信者や神父たちがいるのだ。
オーストリア放送の番組で、ウィーンのウクライナ教会に従事する1人の聖職者が、「あなたはプーチンのために祈れるか」という質問を受けた。神父は躊躇いながら、「私の祈りのリストには多くの信者や関係者の名前があるので、祈る時は先ず彼らの名前を挙げる。そしてひょっとしたら祈りの最後にプーチンの名前を挙げるかもしれないが…」と答えている。
「祈る」といえば、キリスト信者たちの専売特許ではない。イスラム教徒は金曜日を特別祈祷の日として寺院で祈る。ユダヤ教徒も同じだ。オーストリア教会の最高指導者、シェーンボルン枢機卿は、「祈りは魂の呼吸だから、魂は祈祷室に入らなくても常に祈っている」と述べていた。日本人も祈る。入学試験で合格するために祈り、家人の健やかな日々のために、そして病にある家人や友人のために祈る。宗派や民族の壁を超え、人間は祈らざるを得ない存在だ。
その祈りのリストにプーチン氏の名前を入れるか、ロシア軍の攻勢を受けるウクライナのキリスト信者たちにとって、簡単に「祈る」とは言えないわけだ。
1人の宗教人の証を紹介する。600万人のユダヤ人を虐殺したヒトラーを許せるかという問いに対し、「神はヒトラーを許したい。しかし、許せないのだ。神が許せないのではない。ヒトラーによって殺害されたユダヤ人たちがヒトラーを許さないからだ。ヒトラーによって殺された人間が許すというまでは、ヒトラーを許せないのだ」という。「許す」という行為は被害を受けた側の権利だからだ。被害を受けていない人間が加害者に対し、「あなたの罪は許された」と言える権利はない、というのだ。
ウクライナでは多数の民間人、女性、子供たちがロシア軍の攻撃で殺された。殺された人々は自分たちを理由なく殺し、家人を奪ったロシア軍兵士を許せるだろうか、祈れるだろうか、という問いだ。殺されたウクライナの人々がロシア兵の蛮行を許すというまでは許せないのかもしれない。もちろん、ウクライナ政府軍によって殺された若いロシア兵とその家族にも言えることだろう。
シェーンボルン枢機卿は、「私はプーチン氏の改心のために祈る」と述べている。正教徒を自称するプーチン氏を改心できるか否かは別問題だが、彼の安全のためには祈れないだろう。戦争はそれだけ恨みと憎悪を双方に生み出しているわけだ。
イスラエルの歴史学者ユバル・ノア・ハラリ氏は、「戦争は憎悪を植えている。早急に戦いを止めなければ取り返しのつかないことになる。憎悪は次の世代へ伝わっていく」と述べている。
ウクライナ国民がロシア人のために祈れるためには、殺されたウクライナ人の「許す」というプロセスがない限り不可能なのかもしれない。突如、人生を断ち切られた死者が、殺した人間を許すのは、生きている人間が加害者を許す以上に難しいのだ。
プーチン氏は早急に戦争を中止すべきだ。さもなければ、生きている時は誰からも「祈られず」、死んだ後は殺害した人々から永遠に恨まれ、許されることはない世界に陥ってしまうからだ。これほど恐ろしいことはない。
なお、ローマ教皇フランシスコは17日、復活祭の記念メッセージの中でウクライナ戦争に言及し、「世界は平和を実現する責任がある」と述べている。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年4月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。