日本企業はスペシャリストを育てないからダメなのか?

瀬本 光一

以前から「日本企業はジョブローテーション制度のせいで専門性ある人材が育たない」「ジェネラリストを優遇する日本企業は不合理でダメ」という批判があります。

本当にそうなのでしょうか?

筆者は三菱UFJ銀行に総合職として入社し、支店の営業、システム企画部門、サイバーセキュリティー等、複数の部署を経験した「典型的ジェネラリスト」としてのバックボーンを持っていますが、「ジェネラリストの存在には一定の合理性があり、今後も制度として残っていく」と断言します。

また、ジェネラリストとスペシャリストの是非をめぐる問題については「会社から見るか従業員から見るか」で大きく異なります。

すなわち、会社の側から見れば「ジェネラリストを育てることに合理性がある」一方で、「個人としてはスペシャリストとして専門性を持ったほうが転職・独立などの面で報われやすい」という面もあるでしょう(このようなテーマについても記事の後半で取り上げていきます)。

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欧米企業では「スペシャリストのほうが高く評価される」という誤解

そもそも「欧米ではスペシャリストが評価され、ジェネラリスト的なキャリアを歩んできた人材は無能の烙印を押される」という認識は必ずしも正しいものではありません。

というのも、実は欧米企業においても「管理職に就く人材のバックボーンはジェネラリストであることが多い」という面があるからです。

たとえば、日本にも取得者の多いMBA(経営学修士)は管理職を育てるために設計された欧米発の教育システムですが、実はこのMBAのプログラム、「一つの専門分野を極める」というようなものではありません。

MBAのプログラムは、一般的に「経営戦略・財務会計・マーケティング」といった「企業経営に必要なさまざまな科目を幅広く学ぶ」というカリキュラムとなっています。

このようなカリキュラムは、日本企業でもおなじみの「ジョブローテーションでさまざまな現場を体験させながら視野を広げていく」という人事制度に似ています。

MBAをめぐるこのような事情は、やはり欧米においても「経営に必要なのは一つの専門分野ではなく、基礎的な知識をまんべんなく備えていることである」と考えられていることの表れではないでしょうか?

話を戻しますが、欧米でも「管理職に就く人材はジェネラリストであることが多い」のが実際のところであり、さらに言うと「“管理職(ジェネラリスト)”としての人材と“専門職(スペシャリスト)”としての人材は採用時点で分けられている」という事実があります。

私たち日本人がイメージしがちな「欧米ではビジネスに携わる一人ひとりが皆なにかの専門分野を持っている」というのは、上で紹介した“専門職採用”の人々にのみ当てはまる話であって、“管理職採用”の人々には当てはまりません。

そして通常、この「専門職採用」の人々は出世して「管理職」となることはありません。

ここが「入社したみんなが幹部候補生で、年次を重ねるにつれて誰もが出世していくチャンスがある」という日本の“総合職採用”と大きく異なるポイントだといえるでしょう。

ここまでお話ししてきたように、欧米社会はけっして「スペシャリストのほうが評価される社会」というわけではなく、正しくは「大部分の専門職としての人材と管理職としての人材で入り口が分けられている」社会なのです。

そして、前者の専門職よりもそれらを束ねる管理職のほうが割合的に少数なので、日本人から見れば「欧米は専門性のあるスペシャリストへのリスペクトが厚い社会」だというステレオタイプが生まれてしまったのではないかと思います。

「ジョブローテーション」や「ジェネラリストを出世させる人事制度」は合理的な面も

これまでさんざん「日本経営の旧態依然な弊害」と批判されてきた「ジョブローテーション」や「ジェネラリストを出世させる人事制度」ですが、客観的にみてやはり合理的といえる面もあります。

よく言われる「幅広い業務を経験できる」という利点のほかにも、ジョブローテーションにはあまり知られていない利点があります。

それは「人材交流が生まれることで組織の“タコツボ化”を防げる」ということです。

「タコツボ化」が組織にとって有害となる第一の理由は、「営業部門や生産部門などの部門間の連携が対立してしまうこと」です。

同じ会社の中であるにもかかわらず、生産部門では「営業部門のヤツらはなってない」と言っていたり、一方では営業部門では「生産部門がいいものを作ってくれない」と言っていたり、社内の組織同士で対立してしまっているというのは、あなたも見たことがあるのではないでしょうか?

このような「部門間の対立」が起こってしまった時、ジョブローテーションを人事制度として有効活用している会社であれば、営業部門と生産部門の両方を経験した人材などが両者の関係を取り持つことができるのです。

筆者自身も、かつて銀行に勤務していた時、営業店からシステム系の部門へ異動した際にこうした“タコツボ化を目のあたりにした経験があります。

当時私が在籍していたシステム部門内で部署では「営業店での業務で使用するシステム」を作っていたにもかかわらず、設計にあたって“営業店の現場での使いやすさ”を第一に考えずに“業界内でスタンダードとなっている仕様”に強くこだわっていました。

そこで、営業店から異動した私は、“現場で使いやすいシステム”とするために設計を変えるべきだと主張していたのですが、当時のシステム採用のメンバーたちから「瀬本さん(筆者)はシステムにことは素人なんだから口を挟まないでくださいよ」というような反発を食らうことになりました(これはタコツボ化の典型的な例です)。

最終的には、少しずつ時間をかけてシステム部門のメンバーたちを説得し、現場にとって使いやすいシステムとする方向で納得してもらうことになんとか成功しましたが、もしも私の居た組織がジョブローテーション制度のない職場であったら、このような軌道修正はできなかったはずです。

上であげた例のように、ジョブローテーションには「ジェネラリストを育てる上での教育効果」だけではなく、「会社全体のために各部門間の利害を調整する」という役割もあります。

また、会社のトップに立って意思決定を行う経営幹部たちが「一つの分野だけに精通している“専門バカ”」ばかりではやはりダメで(もちろん“専門バカ”の人材も本の少しは必要ではあるのですが)、やはりさまざまな部門の事情を知った上で、全体的な視野に立った意思決定を行える人材がリードしなくてはなりません。

したがって、「会社の意思決定を担う幹部候補」にジェネラリスト的な資質を求める方針というのは、日本だけでなく欧米においても重視されているのです。

「スペシャリスト」を目指すことはキャリアパス上有利に働く

「ジェネラリストを育てる制度は会社にとってメリットがある」という話をしてきました。

ということは、従業員の立場からすれば「将来的に管理層へ出世していくことを目指して、ジェネラリストとしての資質を身につけることを意識したほうがいい」ということでしょうか?

実は、これは非常に難しい問題です。

というのも、「管理層に出世する人材がジェネラリストであることが多い」ことは事実なのですが、「さまざまな部門を経験してきた“ジェネラリスト人材”は管理層に出世することが多いか」となると別の話になってしまうからです。

日本の人事制度においては「専門職採用」よりも「総合職採用」の人材のほうが採用割合が多い分、限られた管理職のポストを狙って熾烈な出世競争を戦うことになります。

ゆえに、「幹部に登りつめる少数の社員」と「その他多くの平社員」とに分かれる結果となります。

この「その他多くの平社員」の側に入ってしまうと、専門職としてスペシャリティを極めた人材たちよりも社内での立場が下になる可能性が高くなります。

裏を返せば、「専門性を極めておけば(大出世とまでは行かずとも)一定の立場は確保しやすい」ということです。

特に日本の人事制度は“管理職採用”と“ジョブ型採用”を明確に区別している欧米と異なり、「専門職採用でも一定の立場までは昇進させる」傾向があるため、専門性を持つことがより有利に働きやすいのです。

さらに、同じ会社に残ることよりも「転職」や「独立」といった選択肢を選ぶ場合には、何らかの分野で専門性を持った人材のほうが圧倒的に有利に働きます。

以上のような背景から、従業員の立場で「ジェネラリストとスペシャリスト、どちらのコースを選ぶか」を選ぶ場合(はじめから会社に「幹部候補生」としての期待をかけられて各種部門を経験させてもらうケースでない限り)、基本的には「何らかの分野で専門性を極めていき、余裕があれば他の分野のことも少し学んで視野を広げておく」という選択が無難かもしれません。

瀬本 光一
経営コンサルタント、広告技術研究家。一橋大学ビジネススクールにてMBAを取得。三菱UFJ銀行に就職後、法人営業やサイバーセキュリティ部門を経て独立。企業を対象にマーケティング分野を中心とした経営コンサルティングを展開。