ウクライナへの侵攻はなぜダメかを考えてみた --- 田中 奏歌

ロシアの侵攻に対してウクライナがかなり健闘している。私はこの侵攻はロシアに完全に非があると思っている。ただ、一般に言われるような、プーチンが間違っている、とかウクライナが一方的に攻められたから、とか虐殺が発生しているから、という善悪が理由ではない。

ゼレンスキー大統領Fbより

ウクライナ・ロシアの双方に言い分はあるし、真偽のわからない言説も多い。西欧のマスコミが必ずしも事実を報道しているわけではないことは、戦時中の日本の悪行とされるプロパガンダを見るまでもなく、現在のミャンマーの報道やアメリカの大統領選挙から充分に想像でき、ましてや日本のマスコミの偏向度合いはさらにひどいので、現在、日本で報道されている内容を頭から信じられるわけではない。

それでも私が、今回の侵攻はロシアが悪いと考えている、というのは、どっちが正しいとか悪いではなく、大国が武力で領土の現状変更をしようとしたという1点に尽きる。これを善悪という個人の価値判断で語るからおかしくなるのだと思う。価値判断で考えれば、過去の欧米の悪逆非道な話はロシアに負けず劣らず尽きない。(※ 大国がどこを指すのかはいろいろあるが、常任理事国だけでなく国際的に力の強い国と考えてもらって結構です)

理由はどうあれ、「大国の武力による現状変更、これはあかんだろう」とシンプルに考えることが大事だと思う。大国であれば武力以外の方法をもっともっと使うべきであった、仮に今、ロシアが武力以外の方法でアメリカや欧州に負けていたとしても、である。

第2次大戦の終了後もしばらくはまだ大国による領土の獲得の試みは続いていた。しかし、インドシナが独立を果たし、イスラエルができた頃には、領土についての第2次大戦の戦勝国による線引きはほぼおわり、帝国主義的な政策は時代に合わなくなったといえるのではないだろうか。

もちろん、ハンガリー動乱やチェコ動乱、朝鮮戦争や、ベトナム戦争、米ロによるアフガニスタン侵攻やイラク侵攻、コソボの紛争などはあるが、大国自らの領土拡大策から、イデオロギーや利権をもとにした代理戦争に変わってきたことは事実である。小国の紛争や代理戦争がいいというわけではなく、それはそれで問題とすべきであるし、そっちについては中露並みにアメリカや欧州も批判すべきだが、ここはあえてこれと区別し、領土獲得のための大国による現状変更行為について話をしている。

残念ながら、中印、中越の小競り合いや、南シナ海の基地建設、ロシアによるジョージア、クリミアの占領などという例外があるが、この中露2か国の行為以外は、大国は領土獲得のための侵略はしないというのが、現在の国際社会の安全保障の合意になっていると考えたいし、そうすべきである。(※ 今回のウクライナの件については、領土ではなく2自治区の独立支援だという言い訳もあるが、やはり領土であろう)

大国による領土獲得戦争が減った代わりに、小国の紛争や制裁という名目の戦争はあるし、代理戦争が起こり、また、サイバー戦や経済制裁という戦争も多く起こっているのであるが、再度いうが、小国の紛争に大国が加担することなどはあっても、大国による領土の現状変更のための直接侵攻はほとんどなくなっており、中国とロシアによる世界地図の塗り替えの試み以外は、大国による武力による国境線の現状変更は抑制されてきている。逆に言えばこの2カ国の行為を止めれば、大国による領土についての世界の安全保障はそれなりの体制を保てる。

お花畑と言われるかもしれないが、現代社会にあっては、少なくとも領土について大国は現状を力で変えるべきではなく、そうしないと、ここしばらく続いてきた世界の体制を続けることができなくなる。したがって、現状変更は戦争という武力以外の手段で行うべきである、という考え方を大国は身をもって徹底すべきと思う(国連という国際機関は残念ながら頼りにならないので簡単なことではないが、交渉ですまない場合でも、直接の侵攻ではなく、なんとか国際機関が機能するようにすべきだし、ここでは述べないが、武力ではない、アメリカや中国が得意のもっといやらしい手段のほうが武力による侵攻よりマシである)。

話は少しそれるが、アカデミー賞授与式でのウィル・スミスの司会者殴打について、日本では擁護論が多いようだが、欧米で批判のほうが多いのは、善悪ではなく「やはり暴力はいかんだろう」という点であろう。どなたかがアゴラに書いておられたが、様々な考え方・人種のいる欧米では、特に暴力だけはダメというのが平穏な市民生活を守るための最低限の生活のルールであり、よって、どんなことがあっても暴力をふるってはいけなかったという批判になったようである。

これは、全世界で見た場合も同様で、武力による直接侵攻を許さないという姿勢は、様々な人種・宗教などの混在する世界においては重要な規範にすべきである。(役に立たない機関かもしれないが、国連という機関の憲章にもいちおう国際紛争について同じようなことが書いてある)

領土については、日本の北方領土や竹島のように占領されたままになっているような部分も世界には多く、単なる連合国という戦勝国の力関係によるによる線引きであり、過去の野蛮な大国の領土獲得争いの結果が今の多くの国境線でもあり、ひどい線引きも多い、しかし、一応現時点でほぼ固定されている領土については、少なくとも大国は紛争があっても簡単に武力に走らないということを、国際社会の安全保障についての普遍的な合意にしないといけないし、それが大国の矜持であろう。

確かに占領されたままでは取り返せないという各国の不満は大いにあるだろうが、大国による領土獲得の侵攻を国際社会が許せば、大国は何でもできることになり台湾侵略や尖閣諸島侵略もOKとなり、竹島奪還や北方領土奪還もやっていい、ということになる。でも武力でそれをやらない、やらせないのが現在の文明国であるはず。世界を第2次大戦前のような野蛮な国々に戻さないために、大国による武力による領土獲得は何としても阻止したい。

本来は、ジョージアやクリミア、南シナ海の時にもこれを許すべきではなかったのであろうが、ぶり返しても仕方がない。少なくとも今回のウクライナ侵攻については、2度とそういうことをしようと思わなくなるまで、国際社会は直接的な武力行為以外の手段で徹底的に戦うべきである。役に立たない国連でもその憲章に書いてることが成就されるよう努力すべきであろう。

もちろん、人の命がかかっているのでウクライナ自身が降伏することは十分にありうるし、それを止める権利はないし、早く紛争は終結してほしいとは思うので、どうするかについてはウクライナの判断である。しかし、仮に停戦が決まっても、国際社会は、善悪にかかわらず侵略をすることはその侵略国にとって割に合わない結果になる、ということをロシアに十分に認識させるまで、制裁を続けるべきである。そうすることによって、領土獲得のための侵攻はやるだけ損という認識を、領土への野心を持つその他の国にも認識させ、自重させることができる。

短期的には制裁した側も不利益になるが、長期的視野で見ればウクライナの停戦の有無にかかわらず、経済や貿易を中心とした制裁を続けることで国際社会の平安が少しでも保てると考えるがどうだろう。もちろん今回の相手はロシアなのだから、日本だけが制裁しても意味がなく、無理でも中国・インドを巻き込む努力を続けるとともに、特にドイツなどをはじめとする国際社会に働きかけ、一緒にやらないと意味はなくなるが。

余談ではあるが、今話題になっている橋下氏のいう大国との政治的な妥結(もっともどういう妥結をしたいのかいまいちよくわからないが)はこのような私の感覚からすると非常に違和感がある。

これを認めると、「北方領土の回復には戦争しかない」といっていた元議員よりも罪深いこととなる。この維新を除名された元議員は、普段の素行不良は別として、「戦争したい」とまでいったわけではない。しかし「大国と妥結せよ」という意見は、この元議員の意見をさらに進めて、「侵攻をした国はやり得だ」「やりたい国はやればいい」という意見にほかならない。

繰り返すが、私がロシアを非難するのは、不満があろうとも大国の武力による現状変更をゆるさない、この1点に尽きる。よって、私はロシアに対する国際社会の制裁はウクライナの停戦があっても可能な限り続けるべきだと思う。

田中 奏歌
某企業にて、数年間の海外駐在や医薬関係業界団体副事務局長としての出向を含め、経理・総務関係を中心に勤務。出身企業退職後は関係会社のガバナンスアドバイザーを経て2021年4月より隠居生活。