NATO東方拡大をめぐる八幡・篠田論争の論点整理

アゴラ編集部

八幡和郎さんと篠田英朗さんの論争が続いています。アゴラは言論の広場なので論争は歓迎しますが、人格攻撃になると泥沼化するので、論点を簡単に整理しておきます。

NATO本部(ブリュッセル)

レッテル貼りはやめて論争は中身で

今回の論争は、八幡さんの「クリントンが戦争覚悟でNATO拡大と開き直り」という記事から始まりました。そこで彼がウクライナ問題の原因を西側に求めたのに対して、篠田さんが「八幡和郎氏の印象操作術に首を傾げる」という記事で、八幡さんを「親露派」として批判したものです。

それに対して、けさの八幡さんの記事は「私が篠田氏と論争しないわけ」と題して、篠田さんのレッテル貼りを批判しています。ここで危惧するのは、昔の呉座・八幡論争です。最初は個々の史実をめぐる論争でしたが、途中から「在野の歴史家」とか「たかが助教」とかいう人格攻撃が始まり、場外乱闘になってしまった。今回も互いの文体について言いたいことはあるでしょうが、「言い方が悪い」とか「素人が何をいうか」という議論は生産的ではないので、内容に限定してください。

この問題については、専門家の中でも意見が一致しているとはいいがたい。代表的なNATO批判は、篠田さんも敬意を表しているミアシャイマーの議論で、少数派ですが一定の説得力があります。NATOが戦争を防ぐという目的を達成するのに失敗した、という批判は正しい。これは非常に複雑な問題ですが、観念的な議論では話が空転するので、ここでは二つの具体的な事実をあげましょう。

ブカレスト宣言は勇み足だったのか

一つは2008年のブカレスト宣言です。これについてミアシャイマーは「ウクライナを加盟させると宣言したことがプーチンを怒らせた」と批判していますが、ダールダー元NATO大使は逆に「このときウクライナを加盟させなかったのが失敗だった」と主張しています。

この宣言(NATOの公式文書)で両国が加盟すると明言したのに、その発表後にドイツとフランスが反対して、その宣言がくつがえされる異例の展開でした。このため今もこの宣言が有効だと思っている人がいますが、ウクライナはその準備段階(MAP)の資格も与えられていません。

アメリカのブッシュ大統領が加盟を宣言したのに対して、プーチン大統領が激怒し、そのためドイツのメルケル首相とフランスのサルコジ大統領は加盟を拒否しました。これがプーチンに混乱したメッセージを送り、彼は「NATOの足並みは乱れている」と思ったのではないでしょうか。

他方で安倍元首相が「この段階(ブカレスト宣言)でウクライナが中立の道を選ぶことで(ロシアの)侵攻を止めることができなかったのか」と語っているのはおもしろい。この点では彼は「親露派」に近い。

「マイダン革命」はアメリカが仕掛けたのか

もう一つは、2014年のウクライナのマイダン革命の評価です。これは親露派のヤヌコーヴィチ政権が反政府デモで倒れた事件ですが、これをプーチンは「ファシストのクーデタ」と断じてクリミアを攻撃し、併合しました。その後、東部のドンバス地方も攻撃しましたが、2015年のミンスク合意でウクライナと停戦しました。

これについては「アメリカの謀略だ」という見方もあります。当時のオバマ政権のヌーランド国務次官補が駐ウクライナのアメリカ大使に親米派の政権人事を命じた2014年1月の電話が盗聴され、今もYouTubeで公開されています。これは国務省も本物だと認め、ここで彼女が「首相に適任だ」と評価したヤツェニュクが首相に指名されました。

おもしろいのは、ヌーランドが電話で「Fuck the EU!」と言っていることです。これは政権打倒に協力しなかったEUを批判したものと思われますが、タカ派のアメリカとハト派のEUの姿勢の違いが出ています。この電話を盗聴したのはロシアの諜報機関といわれ、プーチンもこういうNATOの分裂を知っていたでしょう。

もちろんこれだけで「マイダン革命はアメリカの謀略だ」ということはできませんが、親露派の政権が倒れ、アメリカの望む親米派の政権ができたことは事実です。このように「民主勢力」を支援して反米政権を倒すのはアメリカの常套手段ですが、イラクでもアフガニスタンでも失敗しました。

NATOはプーチンの侵略を「誘惑」した?

その後もアメリカはウクライナに軍事顧問団を派遣し、ジャベリンなどの最新兵器を供与し、黒海でウクライナ海軍と共同演習をしましたが、ドイツはシュレーダー元首相がガスプロムの取締役になるなど、親露派の傾向を強めました。こういう情勢をみてプーチンは

  • アメリカはウクライナ軍を強化してドンバス地方を奪還するつもりだ
  • だがEUはパイプラインなどの既得権を守るためロシアとは戦えない
  • したがってウクライナを侵略してもNATOは反撃しない

と考えたのではないでしょうか。これはその情勢認識が正しければ、論理的には正しい判断でした。もちろん今回の侵略が国際法違反であることは明白ですが、プーチンに「キエフが3日で陥落する」と誤解させた責任は、西側にもあると思います。NATOがロシアを刺激したというより、その矛盾した態度がプーチンを「誘惑」したのかもしれない。

これは「ネオナチの陰謀」ではなく、「軍産複合体」やユダヤ金融資本が原因だという証拠もありません。クリントンは、アメリカ的デモクラシーを東欧にも拡大しようとしたオルブライト国務長官のような理想主義が最大の要因だったと述べています。

以上は荒っぽい論点の提示ですが、具体的な事実認識については、八幡さんと篠田さんの見解はそれほど違わないと思います。むしろそういう問題に優先順位をどうつけるかという価値観の違いでしょう。建設的な論争を望みたいと思います。