基地問題のアイロニー:重要度が増した沖縄の役割

法的枠組みを替えた占領状態

沖縄に米軍基地が集中している現状に対し相反する感情を抱く。

ひとつが安心感である。現在、中国の海洋進出、台湾への軍事的圧力が強まっている現状がある。その中で、日本の安全保障に直結する台湾有事の前衛地として沖縄が機能することの戦略的役割は大きい。

また、沖縄に米軍が集中していることは沖縄または日本への外部からの攻撃が自動的にアメリカによる大量報復を誘引するトリップワイアーとしての仕掛けとなっており日本の抑止力高めている。沖縄の役割、機能がもたらす安全保障上の担保が安心感を感じる要因である。

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一方で、上記の現状は屈辱的でもある。それは沖縄に多大な負担を賭けたうえで敗戦したという事実、形を変えた占領状態が今でも続いているという現実を絶えず筆者に想起させるからである。

そもそも沖縄に米軍基地が続々と集結するに至って経緯は沖縄戦にまで遡る。太平洋大戦中、沖縄は激戦地の一つとなり、約9万4000人の住民を含めた20万人の命が散っていった。そこから沖縄は日本本土とともに占領され、日本は占領期の時代に入った。

しかし、本土と沖縄はふたつの条約により、戦後全く違う道を歩むことになった。ひとつがサンフランシスコ平和条約である。ここで日本の独立が共産主義陣営以外から正式に認められ、日本は戦後国際社会への復帰が認められた。同時に同条約第3条で沖縄が独立後もアメリカの統治の下にあることが確認された。これにより、1972年まで本土は高度経済成長の道を突き進みながらも、方や沖縄はアメリカの軍事施政下で占領の対象となり続けた。

さらに、サンフランシスコ条約の後に吉田茂が日本代表として一人で締結した日米安保条約も沖縄の運命を大きく左右した。この条約は今でも日本に引き続き米軍が駐留することを定めた基地条約である。今では安保条約にアメリカによる日本の防衛義務が定められているが、改正前のその点に関しては曖昧であり、占領終了後も米軍基地が維持されるのことへの法的根拠を与えることが条約締結の最大の意義であった。

うがった見方をすれば沖縄のみならず日本全土に米軍基地が置かれている現状は法的枠組みを替えた占領状態の継続とも言える。

ちょうど日米安保条約が締結された時は朝鮮戦争が勃発した頃であり、米ソ冷戦のゴングが鳴り始めたときとタイミングを同じとする。

しかし、この時日本は敗戦の傷から立ち直れずにおり、経済的に未熟で、アメリカが要請する拙速な防衛への投資をする用意はなかった。それゆえ、アメリカが占領が終わってからも独り立ちできずにいる日本の安全保障を形式的であっても守ってもらう必要性があった。

そこで吉田茂のみならず、昭和天皇も含めた当時の日本のエリートの働きかけの甲斐もあり、安保条約という名の基地条約が結ばれ、本土がアメリカの拡大抑止を担保する代わりに、沖縄が軍事要塞化される流れが確立された。

なぜ北海道に基地は無かったのか?

沖縄が中国の脅威に対抗するために必要だという主張は比較的最近でてきたものである。戦後長い間、中国は内戦、文化大革命などによって国内が混沌とした状態であり、国は貧しく本格的な台湾侵攻を可能とする気力もなく、それを可能とする海軍力も整備できずにいた。

また、アメリカ、日本を含めた西側の最大の脅威はソ連であり、それゆえ、当時の時代状況を考えれば北海道に米軍基地が集結していたと考えてもおかしくない。だが、上記の経緯があったせいで、アメリカの占領下にあった沖縄に基地が集中してしまう状況が生まれ、その現状が固定化されてしまっている。

皮肉にも冷戦中以上に現代が沖縄の戦略的重要性が最も高まっている時代である。日本は近年南西諸島での防衛を強化しており、台湾有事があれば沖縄から出動するであろう米軍との緊密化を図っている。

しかし、戦後に沖縄が辿った経緯を知る身として、だから沖縄への負担を今以上に強めようという言論とは一線を画したい。これまで一貫して日本の安全保障上の負担を一身に背負ってきた沖縄の境遇に我々本土の人々は真剣に同情し、負担を代わりに背負うような形で連帯を示したことがあるか?

沖縄県民の心をしっかりと本土につなぎとめておくことは中国からの直接的、間接的な侵攻を防ぐために必要であり、日本の安全保障上の課題でもある。

今年度は沖縄の返還から50年を迎える。これを機に政府はただ「辺野古が唯一の選択肢」であるというポジショントークに固執せず、よりドラスティックな措置を講じることで、沖縄県民の不満を取り除いていくことが求められる。