沖縄復帰50周年、本気で沖縄の負担を減らすなら日米地位協定の見直しは必須だ

田原総一朗です。

2022年5月15日、沖縄県が本土復帰50周年を迎えた。沖縄は太平洋戦争末期に米軍が上陸、集中攻撃に遭い、県民の4分の1近くが亡くなられた。大変な犠牲を強いられた土地である。しかも、敗戦後27年もの間、アメリカに直接統治されていたのだ。

1972年、沖縄が、返還に当たって、「県内の米軍基地をせめて本土並みにしてほしい」というのが県民の要望だった。これまでの沖縄が受けた傷や負担を思えば、当然すぎる願いであろう。

ところが、終戦から77年、沖縄返還から50年もの月日が経つのに、今もなお、その願いはいささかも叶っていない。国土面積のたった0.6%にすぎない沖縄に、在日米軍基地の約70%が集中しているのだ。

その基地のなかでも、最も危険だと言われ、実際にたびたび事故を起こしているのが、密集した住宅地にある普天間飛行場だ。「せめて普天間の移設を」というのが県民の悲願だった。

橋本内閣のときにやっと移設されることになったのだが、なんと移転先は同じ沖縄の名護市辺野古だった。しかも海を埋め立てるという。県民の大部分は大反対であり、怒り心頭だった。ところ2009年に政権が変わり、民主党最初の首相鳩山由紀夫氏が、普天間移設は「最低でも県外」と言い出した。鳩山氏は沖縄県民の願いにこたえようとしたのである。

ただし、鳩山氏は日米地位協定の内容を詳しく知らずに発言したと思われる。日米地位協定は、言ってみれば、アメリカの占領政策の延長だ。日米合同委員会なるものが設置されており、完全に米軍主導だ。この委員会での決定事項は、日本の総理大臣といえども覆せない。

つまり、ほんとうに普天間を県外に移設し、沖縄の基地を減らしたいなら、日米地位協定の見直しが大前提なのだが、鳩山氏はその点を見逃し、「最低でも県外」と発言し、沖縄県民に大きな期待を抱かせたのだった。当時、外務省や防衛相の幹部は、鳩山氏に日米地位協定の話を説明したという。結局、鳩山氏は総理を辞任してしまった。

2018年、安倍晋三首相は憲法改正を主張し始めた。僕は、憲法改正の責任者である国会議員に取材した。だが、憲法改正をする覚悟があるとは思えなかった。僕は安倍首相に、「憲法改正を本気で考えている議員はいない。その前に日米地位協定を改正すべきだ。改正しない限り、普天間問題は決着しない」と話した。

当時、安倍首相とトランプ大統領との関係は大変よかった。だからこそこの時期に、「日米地位協定を改正すべきです」と強く言った。すると安倍さんは「やります」と力強く言い切った。歴代の首相で「日米地位協定を改正する」と言ったのは、安倍首相が初めてだった。その後、僕は何度も安倍首相と話し合ったが、道半ばで辞任してしまった。

後任の菅首相も、「大事な問題だ、やらなければいけない」と語っていた。だが目前のコロナ対策に追われ、「感染が一段落したら沖縄だ」と言っていたが、辞任。歴代首相は決して沖縄を忘れていたわけではない。「なんとかしなければ」と言いながら、さまざまな問題で先送りになったり、また自ら辞任せざるを得なくなったりした。かつて小渕恵三首相も本気で沖縄をなんとかしようと、沖縄サミット開催を決めながら病に倒れた。

僕は岸田首相に非常に期待している。沖縄復帰50周年式典でも、「沖縄の基地負担軽減に全力で取り組む」と強調した。本気でやるなら、日米地位協定の見直しは不可欠だ。沖縄県民の悲願、「基地負担が本土並み」になる、その時こそ、沖縄の本当の復帰と言えるだろう。


編集部より:このブログは「田原総一朗 公式ブログ」2022年5月27日の記事を転載させていただきました。転載を快諾いただいた田原氏、田原事務所に心より感謝いたします。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「田原総一朗 公式ブログ」をご覧ください。