本稿は、5月20日発行の論壇紙「時事評論 石川」第817号の巻頭論文「人間不在の防衛論議 ウクライナ及びウクライナ人が日本及び日本人に教へること」(ママ)に触発されて書いている。
この「人間不在の防衛論議」とは、昭和54年の「中央公論」10月号に掲載された福田恆存の論文(及び、それらを収めた新潮社版単行本)のタイトルだが、『福田恒存全集 第七巻』(文藝春秋)や、『福田恆存評論集 第十巻』(麗澤大学出版会・同書の「福」は、しめすへん)では、「防衛論の進め方についての疑問」と改題された。
福田論文は、昭和54年の「文藝春秋」7月号に掲載された、森嶋通夫「新『新軍備計画論』」VS 関嘉彦「非武装で平和は守れない」の論争(「大論争――戦争と平和」・第41回文藝春秋読者賞)から始まる。
以下、福田論文を紹介するが、原文の歴史的仮名遣いはママとし、正漢字(旧字体)を当用漢字(新字体)に変えた。
福田は上記論争を踏まえ、昭和54年に、こう書いた。
要するに、森嶋氏の言ひたい事は、もし敵が攻めて来たら、自衛隊、及び日本国民は無抵抗主義に徹し、無条件降服するに限るといふ、その一事に盡きる。
それから43年が経過したが、日本のテレビでは、いまも公然と無抵抗主義が唱えられている。なぜなのか。
福田の慧眼に学ぼう。できれば以下の「ここ一二年」を「ここ数ヶ月」と、「ソ連」を「ロシア」と読み替えていただきたい。
ここ一二年、日本人が、といふより日本の新聞がソ連に警戒心を見せ始めたからといつて、それは飽くまで現象的な変化に過ぎず、本質的な防衛意識、国家意識とは無縁のものであり、ソ連の出方によつては、再び稀薄なものになる事は受合ってもいい。国防の必要は確かに現実の問題である、したがつて、その程度と方法は現象によつて左右されるのが当然であらう、が、その在り方の問題は国家意識、国家観、詰り国家と個人との関係といふ人間存在の根源に繋るものである。(中略)論理的にのみならず、現実論としても無抵抗主義は戦後の日本に根強く生きてきたのであり、森嶋氏が論争に破れても、それはなほ生き残るであらう
事実、令和4年6月のいまも、無抵抗主義は生き残っている。たとえ露宇戦争が終わり、令和の時代が終わっても、残念ながら、なお生き残っていくのであろう。
問題は無抵抗主義だけではない。福田はこうも書いた。
防衛について論ずる専門家でも、兵力、装備、軍事費について論ずる人は多いが、それ等とは次元を異にする最も本質的な問題である軍の国家的、社会的地位について、その歪みを匡(ただ)さうとする人は少い。
加えて、日米同盟の信頼性に関する福田の指摘は、いまも輝く。
(前略)相手が西欧にせよ日本にせよ、いよいよ助けると決意するには、その国が助けるに値するかどうかといふ判断によると同時に、いや、それ以上に、助けに駆けつけるだけの効果があるかどうかといふ戦況の判断による。(中略)アメリカにとつての日本の戦略的価値の重要性を言ふ人は多いが、それは単に平時の現在における地政学的位置によつて固定的に計り得るものではなく、戦争が始つてから後の戦ひ方によつて流動し変化する。
ならば、日本の場合はどうか。福田のペン先は鋭い。
相互の安全保障を乗り逃げするために、金で事を済まそうといふのは、(中略)賄賂であり売春である。またもしアメリカ人を傭兵と考へるなら、人身売買といふ事になる。
余談ながら、過日出演した「ABEMA PRIME」のスタジオにも、金で事を済まそうという輩が複数いた。昔も今も防衛論議のレベルは変わっていない。
最大の問題は、以下である。
日米関係、防衛問題について私と立場を同じくする人々が、なぜ憲法を素通りして済ませられるのか、その点が私にはまだ充分に納得ゆかぬのである。(中略)あの非論理的、非現実的な憲法前文と第九条とは(中略)法と政治に対する不信感を国民に植え付ける。いづれにしても、このやうな偽善を偽善と感ずるコンシァンス(意識・良心)を持たず、何の後ろめたさもなく自我を主張するかと思ふと、何の誇りもなく相手に屈従する国民は、個人の場合と同様、国際間においても、どの国からも舐められ、突放され、最後には袋叩きにあふであらう。
そのとおりではないだろうか。
以上の論考を、福田はこう締めた。
日本国憲法は手抜き工事の建造物であり、(中略)砂上の楼閣であり、虚像である。(中略)虚像への適応を強ひれば、ソフテストウェア(ママ)である心はコンシァンス(良心・自覚)への求心力を失ひ、人格の輪郭から外へ泌み出し、空のコップのやうな透明人間になつてしまふ。それはもはや人格とは言ひ難い、人格の崩壊であり、精神の頽廃である。どこの国が攻めて来なくとも、なしくずしの防衛論は日本といふ国と国民個々の人格といふフィクションをなしくずしに廃坑化し、(中略)日本国民の洗脳に寄与する事となろう。
前述のとおり、以上が発表されたのは昭和54年。それから平成、令和へと43年が過ぎた。いったい日本は、いつまで「なしくずしの防衛論」を続けるのであろうか。