21世紀のペンテコステを控えて:イエスの教会の姿からかけ離れたキリスト教会

6月5日はペンテコステの日だ。キリスト教の祝祭日だ。ギリシャ語で「50番目」という意味がある。通称、「聖霊降臨祭」とか「五旬節」と呼ばれる。

カトリック国のオーストリアでは、4日の土曜日、日の聖霊降臨祭、そして6日の月曜日(独Pfingstmontag、振替休日)まで3連休となる。新型コロナウイルスのパンデミックで活動を抑えられてきたが、コロナ規制がほぼ全面解除されたこともあって家族連れで遠出する国民が多い。

岸田文雄首相、フランシスコ教皇に謁見訪問 2022年5月4日 首相官邸HPより

聖書によるペンテコステの様子

ところで、新約聖書「使徒行伝」第2章には聖霊降臨(ペンテコステ)の様子が記述されている。イエスは十字架後、復活し、40日間、ばらばらになった弟子たちを探し出し、福音を伝えた後、昇天。

その10日後、激しい風のような音がすると、聖霊が天から炎が舌のようなかたちでイエスの弟子たちのうえに降臨、すると弟子たちは聖霊に満たされ、学んだことのない異言などを語りだす。集まっていた人々はイエスの弟子たちの語る福音に感動して洗礼を受ける人々がでてきた。

「五旬祭の日が来て、かれらがみな一緒に集まっていると、突然、天から激しい風が吹いてくるような音が聞こえ、彼らが座っていた家にみち、火のような舌が現れ、分かれて、おのおのの上にとどまった。すると、彼らはみな、聖霊に満たされ、霊がいわせるままに、いろいろの国の言葉で話し始めた」(使徒行伝2・1-4)。

イエス復活後、50日目の出来事だ。ちなみに、ペンテコステはカトリック教会やプロテスタント教会などの西方教会と、正教会などの東方教会では祝日が異なる。復活祭(イースター)と同様、移動祝日だ。聖霊降臨によってキリスト教の宣教活動が始まったといわれる。キリスト教会ではクリスマス、復活祭、そして聖霊降臨祭を3大祝日と受け取っている。

興味深い点は、ペテロを含む多くのイエスの弟子たちは当時の社会ではインテリア層ではなく、律法を学んだことすらない無学な人間が多かった。それだけではない。

イエスの真意が理解できなかった弟子たち

生前のイエスに出会い、その言葉を聞き、イエスの奇跡を見てきたペテロでさえも、民衆に「あの人もイエスと一緒にいた弟子だ」と訴えられると、3度も「知らない」と否定してしまった。その弟子たちがこの聖霊降臨の日を期して死をも恐れない宣教師となっていく、という話が記述されているのだ。聖霊を受けた後、弱いペテロが逆さ十字架すら恐れない人間となっていったわけだ。

イエスに出会い、その教えを聞いたにもかかわらず、イエスの真意が理解できなかった弟子たちが、イエス復活後50日目、火のような舌が現れ、弟子たちの上に降りると、弟子たちが変わったのだ。何かが生じたのだ。ペテロが極刑をも恐れない人間に激変することは通常考えられないことだ。主人公が目を覚ますと毒虫に変わっていたフランツ・カフカの小説「変身」どころの話ではない。

「ヨハネによる福音書」第14章25.26節にはその謎にヒントを与えている。

「これらのことは、あなたがたと一緒にいた時、すでに語ったことである。しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたし(イエス)が話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう」

この聖句で重要な箇所は、「あなたたちの心に私(イエス)が話したことをことごとく思い起こさせるだろう」という部分だろう。これは聖霊の役割を説明する箇所だ。イエスが生きている時、誰もがその語った内容を理解できなかった。だから、聖霊はイエスが語った内容を思い出させ、その真意を解くというわけだ。

ちなみに、ローマ教皇フランシスコは3日、ペンテコステでの聖霊の役割について「多様性と調和、団結は上からくる火だ。団結の実現は、主に地球の実ではなく、天国の実だ。それは主に私たちのコミットメント、努力、合意の結果ではなく、聖霊の行動の結果であり、聖霊が私たちを完全な交わりの道に導くために、信頼をもって心を開かなければらない。団結は恵みであり、団結は贈り物だ」と述べている(バチカンニュース2022年6月3日)。

イエスの教会の姿から大きくかけ離れてしまったキリスト教会

カトリック教会では2000年前降臨した聖霊は現在も働いていると考えている。すなわち、21世紀にもペンテコステが生じ、聖霊が降臨してさまざまな活動をしているというのだ。

それは「信仰告白」としては立派だが、キリスト教会の現状は聖霊に満たされたイエスの教会の姿からは残念ながら大きくかけ離れてしまっている。イエスの教えを説く聖職者の未成年者への性的虐待事件が多発し、バチカン内の不正財政問題など多くの難問に直面し、初期キリスト教会時代の燃えるような信仰の炎を失っている。

21世紀にペンテコステがあるとすれば、33歳で十字架で亡くなったイエスの生涯の真相、十字架救済の限界、再臨の問題などを明確に解明し、イエスが語りたくても語れなかった内容を私たちに明らかにするのではないか。もし、既に明らかにされた内容だとすれば、「ヨハネによる福音書」が述べているように、私たちはそれを必死に思い起こさなければならない。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年6月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。