ガクチカってなんだ?昭和的な就活と企業の在り方再考

日経ビジネスに「コロナ世代の採用戦線、『ガクチカ』に限界 就活生1000人調査」という記事があります。正直、ガクチカという言葉を知らなかったので何のことやら、と思って読み進めると「学生の時に力を入れたこと」の略で就職活動の面接の際に面接官が一番よく聞く質問の一つのようです。

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当然、学生の答えは千差万別、更に主観一杯のその回答に面接官が客観的判断をどう下すのか私は知りません。しかし、企業側のボトムラインは「今年の新入社員は〇人採用する」という大目標を死守すること、そして当然、なるべく質の高い学生を確保することであります。経営陣に了解を得た採用人数目標に対して「内定辞退」が一定数出ますのでそれを見込んで目標枠プラスアルファ、あとは内定者に辞退されないよう一定の紐づけで正式入社まで一定の関係を作るという人事部の涙ぐましい努力となり、晴れて入社式で予定通りの人数が入社すれば人事部長はほっと一息、という感じではないかと思います。

では、質の高い学生をどうやって選択するのか、これはOBを含めた人海作戦もあるでしょうし、会社の仕事の一部を携わるお試し(インターンシップ)などを通じて資質を見る方法もあります。ですが、多くはアプリ登録、エントリーシートというごく普通の入り口から入るケースが大半だと思います。

アプリ、エントリーシートというのは本気でその会社に入りたい、あるいはその会社や業界を熟知して申し込む学生は何人いるのか、と思います。確かに私の就活の際も企業内容はチェックしましたが、かなりいい加減で面接でも口から出まかせもいいところでした。会社の事業など経験もしたことがない学生が短時間で理解し、知る由もありません。また溢れる企業情報は表層の一番格好いいところばかりで社業の10分の1ぐらいだったりするのです。故にその会社に入社しても「行きたい部署と違った」とネガになってしまう学生が後を絶たないことになります。

日本の就活は採用する側もされる側もお見合いという一対一の深い関係より合コン的なものでお互いが表層の探り合いです。学生の姿勢と人事担当者の息が合えば決まるし、ダメな人は何社受けてもダメ、ということになります。学生の本質的能力と企業側の本質的な採用基準は今の就活方式ではぴったりくる確率は低く、滑ってしまうはずですが、それでも会社は4月一括採用を変える気はあまりないようです。

先日、当地の大学で教鞭をとる方と話をしていて、日本の就職になぜ、国が関与しないのか、というのです。彼の発想はこうです。企業は大学の特定研究部門持つ能力には理系、文系にかかわらず、常に興味がある。その部門(一般大学ならゼミか?)の学生がその企業に一定期間その研究成果や能力を提供するためにインターンシップをする。その際、国がそのインターンの費用をマッチング負担するというものです。つまり、インターンの費用が学生一人に30万円かかるなら企業は国に15万円を負担してもらう仕組みを作るというのです。そうすれば学生はよりインターンに興味を持ち、企業はより能力の高い学生を集めやすく、国は高い教育と若手のスキルの向上に役立つ、という説明です。

私はこれで学生は大学とは勉強して一定の学業的成果を生むことが必要なところだと理解するだろうと思ったのです。つまり「ガクチカ」なんていう主観的で「一生懸命やりました」的でアピールの良しあしで決まるような採用は少なくなるだろうな、と。

言わんとしていることは就職には客観的事実に基づく採用を進めることだと思うのです。北米は大学入学でも企業入社でもボランティア活動や社会奉仕にどれだけ尽力したかは大きなポイントになります。ただ、これも騙されやすく、ボランティアやっていれば何でもよいわけではないのです。なので、ボランティアの長をしていたとか、一定の役割を担っていたかが判断の基準となるかと思います。

一方、特に日本の企業はあまり枠にはまらない学生は採用したがらない傾向があります。「組織の中で浮くような人は入社後うまくいかない」ことを経験則で知っているからです。すると企業はごく中庸な人を採用する傾向が強まり、企業活動も凡庸になりやすくならないでしょうか?

企業は枠にはまらないような人材でもその才能を最大限発揮させることができる仕組みを作らねば地球全体でビジネスする日本の企業が発展するのは厳しくなるというのが私の見方です。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年6月5日の記事より転載させていただきました。