ジョン・F・ケネディの影に隠れた大統領(前編)

ジョン・F・ケネディ アメリカ合衆国第35代大統領

いまだに根強いケネディ人気

筆者はジョン・F・ケネディ大統領に対して勝手に親近感を抱いている。まず、筆者とケネディは名前、ミドルネーム、名字の頭文字のイニシャルが同じJFKであり、誕生日も時差を考慮すれば同じ日になる(筆者:日本時間5月30日、ケネディ:米国時間5月29日)。

しかし共通点はそれだけにとどまる。大富豪の息子のケネディと違い筆者は公務員家庭の中所得階級に属し、ケネディのような無粋の女好きではない。それらの点では全く違った境遇を経験しており、人格も異なる。

ケネディは他の大統領と違い共通項が比較的多いこともあって、大統領マニアとして最も時間をかけて調べた大統領の一人でもある。

ケネディの大統領としての職務は暗殺という悲劇的な結末が災いして3年にも満たない短いものであった。それにもかかわらず、彼の任期、それだけではなく彼の人生そのものが未だに調査、叙述の対象となっている。それだけ、人間的に魅力があることの証左であろう。「あなたがあなたの国のために何ができるかを問うてほしい。」という彼が就任演説で述べた名文句は多くのアメリカの若者を触発し、彼の若々しさは新たな時代にアメリカが突入したことを物語り、今でもその新鮮さは色あせない。

大統領就任演説(1961年)

一方、ケネディは魅力的なだけではなく、実際の政治家としての評価も高い傾向がある。全米の歴史家たちから意見を集めてCSPANが公表しているアメリカ大統領ランキングによるとケネディは2020-2021年版では8位に位置づけられている。

All Presidents | C-SPAN Survey on Presidents 2021

特にキューバに配備されたミサイルの撤去をめぐりソ連と核戦争の間際までエスカレートしたキューバミサイル危機でのケネディの冷静な対応は人類を滅亡の危機から救ったことで賞賛を浴びている。この時のケネディの立ち振る舞いは危機管理のお手本とされ、それについて何冊もの本が出版されており、映画化もされている。

神格化されたケネディの実像とは?

だが、大学で20世紀のアメリカ史を少しかじっていた筆者としては、あまりにもケネディが神格化されすぎていると考える。

神格化の要因としては、暗殺という劇的な終わり方、その後のベトナム戦争への泥沼化が歴史の「if」を呼び起こし、ケネディが戦争を回避したのではないかという希望を多くのアメリカ人に植え付けたことがあげられる。

歴史家のシュレンジャーやケネディのスピーチライターであったソレンソンなどといったケネディに心底傾倒したケネディ政権のOBたちがケネディを称賛し持ち上げ続けたことが、ケネディの歴史的解釈を固めたことも神格化の背景として考えられる。

そもそもキューバミサイル危機は1961年にアメリカがキューバを侵攻したピッグス湾事件が発端であり、この事件を機に、政権転覆を恐れたキューバの指導者のカストロがソ連書記長のフルシチョフに防衛してもらうことを望んだことがミサイル配備につながった。

キューバで革命が起こった当初、カストロ政権が反米ではなく、当時の中国やインドのように社会主義国家であっても米ソのどちらにも与しない第三世界の一員になる可能性は十分にあった。しかし、反共産主義でしか世界を見れていなかったケネディを含めたアメリカ外交エリートのパラノイア的思考がキューバを反米に、共産主義陣営に押し込んだことを考慮すれば、キューバ危機というのは単なるケネディのオウンゴールに過ぎないとの見方もできる。

内政の方を見ても目立った実績があまり見当たらない。人種隔離の撤廃などを視野に入れた包括的な公民権法が法案化されることをアメリカ国民に訴えったことは評価できるが、結局それは人種隔離の継続を望む南部民主党の抵抗によって妨害され、同じく肝いりの法案であった減税法案も拒否権を行使された(暗殺されたテキサス州ダラスでの演説で減税についてのスピーチが行われる予定だった)。

ケネディが魅力的な人物であることに疑いようがないが、彼について研究していくと過大評価されている感が否めない。

だが、ここ数年でケネディが成し遂げられなかった政策、特に公民権法について関心を寄せていると、一人の人物に関心が湧いてきた。それだけではなくその人物はあまりにも過小評価されているとも感じる部分がある。

その人物とはケネディの副大統領であったリンドン・B・ジョンソンである。

(次回に続く)