選挙棄権者をゼロにする方法 --- 田中 奏歌

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さて、7月の参議院選挙まであと1ケ月となった。

思えば40年ほど前、まだ学生の頃、今ほどではないが選挙の投票率が低いことはすでに問題になっていた。

当時は、選挙を棄権する人は現在の政治に批判的なサイレントマジョリティとしてとらえるべき、と思っていて、学生ながら与党はこういった実は不満を持っているサイレントマジョリティを無視して政治をするべきではない、などとこれからの国政に危機感を持ったものである。

ところが最近、息子と雑談をしていて、目からうろこの意見をもらった。息子とて実際にできるとは思わないのだが、なるほどと思ったので、参議院選挙を前に、これについてちょっとお遊びでまじめに考えてみた(息子の意見を軸に検討してみたが、息子の意見と同一ではないかもしれないので息子の手前いちおう断っておく)。

しごくあたりまえのまじめな結論は最後に書かせていただいたが、おふざけが嫌いな人は、この投稿はお目汚しになってしまうことをお詫びしたい。あくまでちょっとだけ真面目なお遊びと思っておつきあいください。

息子によれば、選挙棄権者の票はすべて選挙前の与党の得票としてカウントすればいい、というものであった。棄権者は現状を変える必要がない、と思っているから選挙に行かないと考えるべきで、これは棄権者が現在の政権を支持していると考えるべきであり、この見えない現与党支持者の票をきちんと選挙結果に反映すべきである、というのである。

息子の認識のほうが本来のサイレントマジョリティという言葉の使われ方としては正しいようではあるが、選挙棄権者というもの言わぬ大衆についての理解が当時の私と180度違っており、なるほどと思った。考えれば、その意見はあながち間違ってはいないように思う。

若干の寄り道はあったものの日本のような政権交代の少ない国家の場合、この意見は一考に値するかも、と不謹慎にも考えてしまったので、少し深堀りしてみた。

・・・ということで、選挙を棄権するということはどういうことだろうか。簡単に言うと下記の3つおよびその折衷、または④であろう。

① 現政権に満足しており、自分が投票しなくてもどうせ与党が勝つのであえて投票に行く必要を感じない。

② 今の政治に満足はしていないが、誰に入れてもどこが政権を取っても現在の政策が変わるとは思えないのであえて投票には行く必要を感じない。

③ 単に興味がない、面倒くさいから行かない。

④ 選挙に行くつもりであったが、急病などやむにやまれず投票できなかった。

①②③は異なるように見えるが、よく考えると、現状に満足な人も、不満足な人も、めんどくさい人も、「少なくとも現在の状況を大きく変えようとは考えてはいない」という点では一致しているといえるだろう。

誰かが変えてくれればいいと思っているかもしれないが、自分では変えようとは思っていないので選挙に行かない。つまり棄権するということは、「これまでの政権の政治運営をいいとは思っていなかったとしても、自分が変えることを望んではいない」ということの消極的な表明だと考えられる。つまり、「棄権者のほとんどは、現政権の運営を追認した」とみて差し支えなかろう。ならば、その棄権者の意思表示をきちんと選挙結果に反映すべきであり、そうして国民の意思を政治に反映することは実は大事ではないだろうか。

そこで、実際に棄権票を選挙前の与党の票とすることの課題を考えてみた。

まず、法律上の問題である。

実施に当たっては法律を作ればいいので、そこに大きな問題はないと思うが、一番の懸念は、これは「選挙の義務」化と同義になる可能性があり、「選挙の義務」を憲法上認めていいかということである。

いちおう憲法を見てみると、憲法15条で選挙について書いてあり、公務員の選定・罷免が権利ではあっても義務であるとは素直には読めない。とはいえ、義務化が許されないとは書いていない。とすれば、仮にこの制度変更を義務化であるとみなしたとしても、統治の正当性の確保や民主主義を守るという観点から、解釈改憲で合憲と言い切れなくはない。これで、憲法問題はクリアできる。

法的課題よりも大きなものに、棄権者の票が反映されるべき選挙前の政権をどこにするかという問題がある。これはいくつかのパターンに分けて考えればなんとかなるのではないか。

まず、与党とは何か、であるがこれは内閣を構成する政党と考えればいい。閣外支援はあったとしても、行政権のあるところに人員を送っていなければ、考慮しないでもいいだろう。

次に、今の自民党と公明党のような複数政党の連立与党の場合であるが、これは簡単で、改選前の議席数または得票数、もしくはその選挙での政権与党の得票に準じて棄権者の票を分ければいい。

さらに、政権政党が分裂して選挙となった場合、選挙時に分裂の政党の構成がどうなるかが明確になっている場合には、分裂時の分裂者の議席数、もしくはその選挙での分裂後の政党の得票に準じて票を分ければいい。

それ以外の場合に備え、選挙で棄権者票をどういう基準で配分するかを上記のように法律で順位付けをしたうえで、選挙前に与党に選挙時の配分を決めることを義務付けておくと混乱は減るだろう。

ややこしいのは、事前の世論調査などで与野党の人気が拮抗して政権交代がありそうな場合(現政権が強烈にダメダメで政治が混乱している場合)である。この場合、それでも棄権票を現政権の支持票と言えるのか、という疑問が残る。しかし、ではあるものの、理屈で言えば、世論調査の結果がどんなに現与党に批判的でも、選挙に行かないということは、国民は政権交代が起こってほしくはないと考えている、だからそれでいいのだ、と言えなくはない。

難しいのは、④の行きたくともいけなかった人の場合であるが、これを解決するには、選挙の期間を1日とせず、期日前投票のように期日後投票を認め、急用などで選挙に行けなかった人の対応をすることであろう。ここまですれば、それでも棄権する人は④ではないと考えて無視していいと思う(まぁ、今のように投票締切直後に当確が出るような状況では、視聴率を取りにくくなるような変更はマスコミが許さないだろうが・・・)。

期日後投票をやりたくないのであれば、棄権票の全部を特定政党の票とするのではなく、何らかの理屈をつけて(実際にはエイヤでもいいとは思うが、たとえば政府の行う公的な世論調査で事前に棄権の理由を調べるなどして)棄権票の70~90%を有効票とする手もあるだろう。

ちょっと悩ましいのは、棄権者の票の多くが現政権与党に流れるとなると、当然の結果として与党議員が増えることになり、そのあおりを食らって既存野党や無所属の当選者が減ることになる。特に無所属の人についてはなんとか防ぎたいが、この制度改革の考え方からすればやむを得ないことであろう。

まぁ、ほかにも考えるべきことはあるだろうが、こうやって考えるとなんとか実施できそうにも思えてきた。

・・・ということでまじめにふざけてみたが、はてさて、こんな制度を導入したら、今後まず絶対に政権交代はおこらないだろう。おこるとしたら、すでに政治がどうしようもないところまで混乱しており、犠牲者が出る段階であろう。

絶対に政権交代しないとなると、政治は必ず腐敗する。国民の支持をなくしたらとってかわられるかもしれない、という恐怖感があるからこそ、国民の幸せを考えた政治がなされる。

実際には、現政権を支持している人でも、政権交代が起こりえないという点で、ここで述べた改正がいいと思う人よりもよろしくないと思う人のほうが多そうな気がする。結局は、制度化しないほうが国民の利益にかないそうである。

とはいえ、投票率が低いということは恥ずかしいことである。

実際の得票を変更することは無理としても、「棄権は現政権の追認と理解されかねない」という考え方をもっと周知できれば、棄権者を少しでも減らせられるのではないだろうか。

少なくとも、野党は選挙の前に、こういう考え方を大きな声で訴え、「そのままでは、自民党は多くの人が自民党を支持したと考えて政治をするけど、それでもいいのですか?いやなら選挙に行こうよ」と訴える、という作戦はなりたつだろう。

・・・と、ここまで書いたが、正直言って、野党やマスコミがこの作戦を実行すると、投票率は上がるものの無関心な投票者が適当に変な政党に投票してしまい、政治の混乱を招くだろうことは目に見えるようである。そこまでではなくとも、目先の利益にとらわれたりマスコミに扇動されたりしてポピュリズムの席巻となるのが悲しくもわが国民である。

そんなことはないとおっしゃる方は、今になって冷静に評価され国民に理解されはじめている菅前総理の支持率が、昨年マスコミによってどうなったか、を考えれば反論できないはずである。

棄権者が多いことは恥ずかしいことであるけれども、考えない投票者を増やして国・地域が危うくなるような投票率の向上策は本当はよくないのだろう。

単に「選挙に行こう!」と広報してきちんと考えない投票者を増やすより、関心のある人だけの投票で満足することが実は正しいのではないか。その場合、国・地域を考えた人の投票結果を尊重して政治を行うのはやむを得ないことで、そのほうが、国民の幸せにつながるような気もしてきた。

衆愚政治にならず投票率を向上するために我々にできることは、選挙の意義を訴えるだけでなく各政党の政策をきちんと広報し、政治に真剣に興味を持った投票者を増やすことくらいしかないのだろうか。

選挙前のお耳汚しにおつきあいいただき、ありがとうございました。

田中 奏歌
某企業にて、数年間の海外駐在や医薬関係業界団体副事務局長としての出向を含め、経理・総務関係を中心に勤務。出身企業退職後は関係会社のガバナンスアドバイザーを経て現在は隠居生活。