拡張主義はロシアという国家の本性か

プーチン大統領が自らをピョートル大帝に模したことが話題だ。17世紀末から18世紀初頭にかけて、ロシアの拡張主義的政策を主導したピョートル大帝への参照は、プーチン大統領の野心を明らかにしたものだと受け止められている。

プーチン大統領が思い描く結末は「帝国の復興」
ウラジーミル・プーチン大統領の胸の内を読むのは一筋縄ではいかない。だが時に、ロシアの指導者はわかりやすくしてくれる。 - (1/2)

それは、全くその通りである。ロシア・ウクライナ戦争中だから話題になっただけで、以前から自明視できた点だ。

会見するプーチン大統領 クレムリン公式HPより

だが本当の論点は、むしろプーチン大統領をこえた地点にある。拡張主義は、ロシアという国家の本能的な性質か否か、が大きな論点だ。冷戦時代には、「ソ連」は共産主義という特殊なイデオロギーを掲げていたがゆえに拡張主義をとっている、という見方もあった。これは共産主義体制の崩壊に伴う冷戦の終焉によって、ロシアは拡張主義をとることをやめる、という楽観論につながっていった。

これに対して、「ロシアは拡張主義をとる本性を持つ」、という洞察を提示する論者も多々存在している。まさにピョートル大帝の時代に「ヨーロッパ」にロシアが参入してきた時代からの長い歴史的スパンで見るならば、ロシアが「ソ連」などをこえて拡張主義的政策をとる性質を持つ国家であることは明らかだ、と考える論者たちである。

その代表例は、誰も攻めてこない北極圏を後背地で持ちながら、大海へのアクセスを持たないという制約を持つ国家であるロシアは、必然的に海を求めて拡張政策をとる、と洞察した「地政学者」のハルフォード・マッキンダーだろう。

私などは、小学校の時分に倉前盛通氏の『悪の論理―地政学とは何か』(1980年)を読んだときからマッキンダー地政学の世界観にはなじんでいるので、「ロシアは標準モードでは拡張主義をとらないのだ、ロシアが拡張主義をとるのはあくまでもNATOを率いるアメリカに追い詰められて切羽詰まったときだけなのだ」、という反米主義者の方々の主張には、どうもなじめない。

今にして思えば、1979年のソ連のアフガニスタン侵攻を見て、印象が深まっていた時代だったのだろう。岡崎久彦氏の『戦略的思考とは何か』が出版されたのも1980年代初めだった。岡崎氏は、ヘンリー・キッシンジャー氏に大きな影響を受けた人物だが、岡崎氏が監訳したキッシンジャー『外交』という書物の中には、次のような一節がある。

ロシア史の矛盾は、十字軍的な傾向とぬぐい切れない不安感との、絶えざる相克に起因している。この相克は究極的には、帝国が領土を拡張しない限り分裂してしまうとの恐怖を生み出した。ポーランドの分割に際してロシアが第一の立役者となったのも、一方では安全上の理由があったにせよ、他方では、一八世紀的な勢力拡大の意図によるものだった。

そして一世紀後には、征服はそれ自体が目的になるのである。1869年に、汎スラブ主義の将校ロスチラフ・アンドレイエビッチ・ファデイエフは、強い影響力を持った「東方問題についての所論」なる論文において、ロシアは従来からの征服の成果を守るために西方への進出を続けなければならないと書いている。

「ドニエプル川からビスツラ川までのロシアの歴史的進出(すなわちポーランドの分割)は、ロシアに属さない、ヨーロッパの領域への侵入であり、ヨーロッパに対する宣戦布告を意味した。・・・」ファデイエフのこの分析は、ジョージ・ケナンが、ソ連邦の行動の根源について書いた研究論文において、東西分割線の反対側から行った分析とあまり違わなかった。

この論文においてケナンは、ソ連邦が勢力の拡張に成功しなければ、ソ連邦は分裂し、崩壊するであろうと予告している。(194-195頁)

こうした歴史的・地政学的視点に立ったロシア論からしてみると、「NATO東方拡大がロシアを追い詰めて、切羽詰まったプーチン大統領がやむに已まれず冒険的な行動に出た」といった見方は、茶番でしかない。

むしろソ連の崩壊に伴って、ロシアの「勢力圏」から解放されたが、「力の空白」の状態のままに留め置かれていたがゆえにNATOへの加入を懇願した東欧諸国を無視することは、遅かれ早かれ再び拡張主義を取り始めるだろうロシアの脅威を考えれば、かえって地域を不安定にする怠慢だ、という洞察が、NATOの東方拡大を裏付けていた。

プーチン以前の民主派であったはずのエリツィン大統領の時代においてすら、モルドバにおける沿ドニエストル共和国を作り上げたロシアの対外行動、分離独立運動を起こしたコーカサスのチェチェン共和国に対する苛烈な軍事行動があった。

1990年代の段階で、ロシアの拡張主義を警戒したことが、全くの取り越し苦労であったとは言えない。プーチン大統領は、第二次チェチェン紛争、ジョージアの南オセチア紛争、ウクライナのクリミア併合と東部紛争と、旧ソ連地域における「勢力圏」の確保にいっそう積極的な政策をとり、さらには中東のシリアや、アフリカのリビア、中央アフリカ共和国、マリなどでも、軍事介入を行ってきた。その流れの中で、2022年のウクライナ侵略戦争も起こっている。

これはプーチン大統領の個人的性癖にもよるところも大きいのだろうが、プーチン大統領はロシアの国力を復活させたがゆえにさらなる積極的な対外行動に出ただけで、要するに大統領が誰であろうと、ロシアは本質的に拡張主義をとる国家なのだ、と総括することもできる。

日本は島国であるがゆえに、対外的な拡張主義で領土が拡大するという意識が乏しい。他国の拡張主義で領土が縮小するという意識も乏しいのは、幸せなことである。しかしユーラシア大陸の中央に位置するロシアは、領土について全く異なる考え方を持っている。

拡張主義と国益の相関関係についても、日本人とは全く異なる考え方を持っている。未だに日本人の多くが、「西側」と「ロシア」が対立している、という言い方から脱することができないのも、気になる。対立しているのは、「ヨーロッパ」と「ロシア」である。アメリカを含めた欧米圏を意識するのであれば、「西洋文明」としてのThe Westと「ユーラシア主義」の中心としてのRussiaである。

いずれにせよ、短絡的な動機と、近視眼的な歴史観だけで、ロシア擁護の言説を展開するのは、危険な火遊びである。反米主義の方々は、自らが関わっているのが危険な火遊びでないかどうか、よくよく注意してみてほしい。