国際規範は国家を死から守れるのか

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国際関係研究は、アナーキー(無政府状態)において、国家がいかにして生き残るかを重視した学問ですので、どのようにして「死」に至るかは、ほとんど無視してきました。しかしながら、世界から姿を消してしまった国家は、決して少なくありません。日本人になじみ深いハワイ王朝はアメリカに併合されて消滅しました。このように国家は死ぬことがあるのです。

それでは、どのようにして国家は死に至るのでしょうか。国家の死とは、何を意味するのでしょうか。死にやすい国家とは、どのようなものでしょうか。

これらの疑問に答えたのが、政治学者のタニシャ・ファザール氏(ミネソタ大学)です。

彼女が執筆した労作『国家の死―政治と征服の地理、占領、そして併合―』(プリンストン大学出版局、2007年)は、国家の死を分析した珍しい著作です。ここでいう「国家の死亡」とは「他国に対する対外政策のコントロールを公式に喪失したこと」(同書、1ページ)を意味します。

この定義に従えば、日本も太平洋戦争に敗れてアメリカに占領されていた間は、主権を喪失した国家として死んでいたことになります。

戦争による領土再配分の減少と規範

ファザール氏は、国家の死について、大標本による定量的な統計分析と定性的な事例研究を行い、主に2つのことを発見しました。

1つは、第二次世界大戦が終了した1945年以後、国家の死が激減したことです。これは彼女によれば、国際社会に「征服に反対する規範(norm against conquest) 」が定着したことに起因します。この規範は、マーク・ザッカー氏(ブリティッシュ・コロンビア大学)による有名な論文で使用された概念である「領土保全規範(territorial integrity norm)」とほぼ同じ意味です。

ここでいう「規範」とは正しい行動を定めた標準のようなものです。そして「領土保全規範」とは、国連憲章第2条第4項の次の規定に代表されるものです。すなわち、「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」という規定です。

ザッカー氏によれば、こうした国際規範が国家の征服行動の正当でないものに変えました。主権国家からなる国際システムの誕生を促した1648年のウェストファリア条約締結から第二次世界大戦が終了する1945年まで、国家間戦争は119件も起こっており、その内の93件は「領土戦争」でした。

ところが、この領土戦争の形態は1945年を境にして変わります。それ以前では、80%の領土戦争が領土の再配分を伴っていたところ、それ以後では、この数値が30%まで下がったのです。これは第二次世界大戦後、国家の主権が及ぶ範囲を定める国境が、戦争により変更されにくくなったことを示しています。

彼は、この原因を「領土保全規範」に見出しました。そして、この規範の源泉は、他国の法的な領土主権を侵害しないリベラルな民主主義の拡大する信念と、領土の暴力による修正が引き起こす人道的苦難への恐怖に求められると、ザッカー氏は主張しました。こうして国家間の国境が持つ規範的地位は、地球規模の政治秩序において強化されたとみなされたのです。

緩衝国と国家の死

「領土保全規範」の知見は、その後、他国から領土を侵犯されやすい国家とそうでない国家を明らかにする研究に発展しました。ファザール氏はザッカー氏の画期的な「発見」をさらに発展させて、国境を越えた外部からの侵略により死に至りやすい国家の条件を明らかにしました。すなわち、「緩衝国(buffer state)」が死に至りやすいのです。

緩衝国とは、ライバル関係にある国家に挟まれて存在する国家のことを指します。彼女の計算によれば、近代国家が誕生した1816年以後に死に至った国家の内、約40%は「緩衝国」が占めています。残念ながら、国家が位置する地理は変えることができません。対立するライバル国に挟まれた地理的状況に存在する緩衝国は、死の危険に隣り合わせなのです。

ライバル関係にある国家は、緩衝国を収奪することにより、相手に対して優位に立ちたいインセンティヴをもちます。

第1に、緩衝国をコントロールできれば、これを大きな戦略的アドバンテージに転換できます。ライバル国との戦争になった場合、緩衝国を自らの統制下においた国家は戦局を有利にすすめることができるからです。

第2に、それぞれのライバル国は敵が緩衝国を乗っ取ることにより、戦争で勝利する能力において、受け入れがたい劣勢を強いられることや、それをテコにした譲歩を引き出されることを恐れます。もちろん、ライバル国は緩衝国に対して相互に抑制的に対応した方が、双方の得になるかもしれません。しかしながら、一方の国家が緩衝国を征服して領土を拡張してしまったら、他方の国家は圧倒的な不利益を被ります。この最悪の事態を避けたいがために、ライバル国が緩衝国に対して互いに抑制を効かせるのは難しいのです(同書、第3章)。

近隣国からの征服という悲劇に見舞われた緩衝国は、歴史上、少なくありません。

大英帝国とロシア帝国に挟まれたアフガニスタンは、19世紀の終わりころ、イギリスの「保護国」にされてしまいました。同じころ、南米のブラジルとアルゼンチンの間に存在していたパラグアイは、戦争により、その領土のかなりの部分を両国に併合されました。フランスとドイツの中間に位置するベルギーは、第二次世界大戦の緒戦において、ドイツに国土を蹂躙されました。

このように緩衝国は、国家として死亡しやすいのです。

中立と緩衝国

それでは緩衝国は、どうすれば生き残ることができるのでしょうか。既存の研究では、緩衝国が中立を保つことが生存のカギを握っていると見られてきました。緩衝国が中立を宣言すれば、ライバル国が自国を犠牲にして緩衝国を乗っ取るであろうと恐れる必要は減るからです。

しかしながら、中立は必ずしも緩衝国を死から救うわけではありません。中立の宣言は、それが説得力を持つ場合にのみ効果を発揮します。ベルギーは19世紀の独立から数十年間は中立を保つ緩衝国であり続けました。しかしながら、ベルギーは普仏戦争や第一次世界大戦、第二次世界大戦で戦場になることから逃れられませんでした。緩衝国の運命は、その国自身の行動よりも、周辺のライバル国の行動に大きく左右されてしまうのです。

こうした厳しい立場におかれた緩衝国にとって、第二次世界大戦後に国家の死が激減したことは、良いニュースでした。近代国家が誕生した1816年以後、207か国の内、66か国が死んでいます。

国家の死亡原因の75%以上は、暴力すなわち征服や占領によるものでした(同書3ページ)。その内訳を時期で区切ってみると、第二次世界大戦前が55件と圧倒的に多く、その後は11件に過ぎません。しかも、死んだ国家には、第二次世界大戦の戦後処理で連合国に占領された日本やドイツ、崩壊したソ連やユーゴスラビアといった事例を含んでおり、暴力により死んだ国家は南ヴェトナムやクウェートだけであり、ここに緩衝国は含まれていないのです(同書、23、27-28ページ)。

もちろん、緩衝国の国境が全く侵犯されなかったわけではありません。冷戦期、ソ連は、東西陣営に挟まれた緩衝国ハンガリーにおける反政府デモを鎮圧するために、軍事介入しています。こうした悲劇的な出来事は起こりましたが、第二次世界大戦前に比べると、紛争や戦争のデータは、緩衝国が国家として生き残りやすくなったことを示しています。

規範、国際構造と国家の死亡

なぜ第二次世界大戦後、国家は暴力によって死亡しにくくなったのでしょうか。ファザール氏は、成文法である国連憲章から構成される「征服に反対する規範」が、強制的な領土の変更を大幅に減少させたのだと主張します。

国家の指導者は、もはや他国を征服したり併合したりする行為を正当なものとみなさなくなったということです。その結果、暴力的な国家の死亡は事実上、世界から消えつつあるという結論に彼女は至りました。そして、この理論が正しければ、世界は緩衝国にとって生き残りやすい状態に変わったことを意味します。

こうした研究成果から、ファザール氏は緩衝国の生き残り戦略について、いくつかの助言を自著で述べています。

第1に、緩衝国は国家としての承認を模索するべきです。国際的に強く正当性を認められた緩衝国は、周辺のライバル国が武力を行使する際のコストを上昇させます。主権国家として正当性をもつ緩衝国を征服しようすれば、現状打破国は規範を破った汚名を着せられます。野心的な指導者といえども、自国の評判を落とすコストを支払いたくないでしょう。その結果、緩衝国は生き残りやすくなります。

第2に、緩衝国は「征服に反対する規範」を支持すべきです。そうすれば、この規範を維持しようとする国連などの国際機関やリベラルな価値を信奉する民主主義国は、この規範に違反して征服しようする行為から緩衝国を守ろうとすると同時に、侵略を企てた国家に懲罰をくわえるでしょう。こうして緩衝国は生き残りやすくなると考えられるのです。

戦後の国際法を基づくリベラル国際秩序に内包された「征服に反対する規範」もしくは「領土保全規範」は、暴力による国家の死を減らすとともに、緩衝国が生存しやすい状況を提供したのかもしれません。

しかしながら、このような結論をくだすのには、わたしはまだ早いと思います。なぜならば、国家の死亡が減少したことは、別の要因でも説明できるからです。国際システムの構造は国家の生死と無関係ではなさそうです。国家は第二次世界大戦前には死亡しやすく、その後は死亡しにくくなったことは、多極システムと二極システムに同期しています。

リアリストが主張するように、多極システムでは戦争が起こりやすく、二極システムでは戦争が起こりにくいのであれば、国家の死の多寡は規範に関係なく、国際構造に根本的原因を見いだすことができます。

パラグアイは「三国戦争」の結果、死を迎えました。この戦争の名称が表わす通り、当時の南アメリカはブラジル、アルゼンチン、ウルグアイから構成される三極システムでした。パラグアイは、これら三国による戦争の犠牲者でした。ベルギーをおそった悲劇は、やはりヨーロッパにおける多極システムで起こった戦争の帰結でした。

他方、ソ連のハンガリーへの軍事介入は、二極システムで起こりました。ソ連はワルシャワ条約機構が維持できれば、アメリカとのバランス・オブ・パワーは保てますので、莫大な代償を払ってハンガリーを占領する必要はありません。ハンガリーを自国の同盟に引き留められれば、それで十分でした。要するに、国家の生死は国際システム・レベルのパワー分布に左右されるということです。

既成事実化と領土保全規範

ザッカー氏やファザール氏は、領土に関する国際規範が国家の暴力による国境変更を減少させたと主張しますが、そもそも、彼らの理論は正しいのでしょうか。最近の研究は、第二次世界大戦後、国家が征服の仕方を巧妙に変えただけであり、国境の不可侵性は担保されていないことを明らかにしています。

ダン・アルトマン氏(ジョージア州立大学)は、領土保全規範が国際連盟の設立により萌芽し始めた第一次世界大戦後の領土の征服や割譲に関するデータ(1918-2016年)をより詳細に調べた結果、既成事実化の事例が84件もあることを見つけました。その中には、1954年に韓国が竹島を「征服」した事例も含まれています。そして、こうした小規模な領土の征服は、2014年のロシアによるウクライナのクリミア半島併合がそうだったように、多くのケースで戦争に至っていません。

国土の占拠が戦争にスカレートしたのは84件中27件であり、その確率は32%にすぎないので、既成事実化による征服は目立たないのです。現代世界において、現状打破国は既成事実化による小規模な領土の占領をかなりの高い割合で首尾よく成功させているのです。

ロシアによるウクライナでの力による現状変更は、明確な領土保全規範に反する行為です。これを戦後70年近く守られてきた国際規範を棄損する出来事と解釈するのか、それともバランス・オブ・パワーの観点から、何十回も行われてきた征服の1つの事例をとらえるのかでは、自ずと対応策が変わってきます。前者の立場をとるファザール氏は、領土保全に関する国際規範は死守すべきだと以下のように強く主張しています。

「ロシアによるウクライナ戦争は、ロシアとウクライナだけにとどまる問題ではない。領土征服を禁止する規範が先細りになっていけば、世界は領土紛争というパンドラの箱を開けることになり、数百万の市民が無差別攻撃に標的にされる恐れがある…領土征服を禁止する規範を維持するために、国際社会はロシアに圧力をかけ続けるべきだろう…(領土保全規範に)違反する行動を処罰しなければならない…(この)規範が希薄化していけば…武力による国の死滅という残酷な時代へ時代は回帰していく…国際社会がロシアのウクライナ侵略と征服を許せば、各国はより頻繁に国境線を武力で変更しようと試みるようになり、戦争が起き、帝国が復活し、消滅の危機に瀕する国が増えるかもしれない」

こうした言説は、ロシア・ウクライナ戦争をめぐる我が国の論壇やメディアでもよく聞かれます。「法に基づく国際秩序を守らなければ、潜在的な現状打破国を勢いづかせることになる」とか「国連憲章に違反したロシアを処罰しなければ、侵略した者が得をすることになるので、世界が不安定化する」といったロジックにもとづいて、侵略という蛮行を働いたロシアを成敗するべきという主張です。こうした議論を擁護する人たちは、ファザール氏の危機感を共有しています。

しかしながら、緩衝国を含む国家の生死がバランス・オブ・パワーによって、その多くが決まるのであれば、「征服に反対する規範」や「領土保全規範」の国家行動に与える影響は、見せかけ上のものにすぎません。

さらに、そもそも国際連盟規約や国際連合憲章が制定された後でも、国家による領土の征服が既成事実化により行われてきたのであれば、ロシア・ウクライナ戦争がどのような結末になろうとも、将来に征服行為が減ることは見込めません。

領土に関する国際規範が「幻想」だとするならば、これを守る口実だけで、多大な犠牲を払って戦争を行うことは賢明ではないでしょう。核武装国ロシアを敗北させる戦争には、そのこと自体に価値があることは疑いないのですが、その反面、核使用へのエスカレーション・リスクが高いだけに、慎重に行動すべきでしょう。

リベラル価値と国際規範

リベラル民主主義国は、他国の主権と領土を尊重する規範を共有してので、われわれは、それを守るべきであるとの反論もあるでしょう。はたして、自由民主主義国は国境の不可侵性を尊重して、他国を征服しない「平和勢力」なのでしょうか。

21世紀の戦争のデータは、この仮説を否定するのに十分でしょう。世界で最も発展した民主主義国であるといわれるアメリカは、他国の正当な領土を軍事力で占領しています。2003年、アメリカのブッシュ政権はイラクに軍事侵攻して首都バクダッドを制圧しました。2011年、オバマ政権は国連安保理決議にもとづく「人道的介入」の名のもとに、リビアに軍事介入しました。その結果、リビアは「破綻国家」となってしまい、人道的危機は悪化しました。アラン・クーパーマン氏(テキサス大学)は、これを「大失策」と批判しています。

つまり、国家がリベラル民主主義だから国際規範を尊重するわけではないということです。むしろ、ジョン・ミアシャイマー氏(シカゴ大学)が喝破するように、これらはアメリカのみ大国として存在する単極構造の「瞬間」において、自らの姿に世界を変革することを望むワシントンの外交エリートの野心が、それをとめるパワーのある別の大国が存在しなかったために、暴走してしまった出来事と説明できるのです。

アメリカが「領土保全規範」を破った事例をあげたのは、ロシアのウクライナ侵略を相対化するためでもなければ、反米主義を擁護するためでもありません。国家の政治体制と征服には、因果関係が認められないことを例証するためです。

スティーヴン・ウォルト氏(ハーバード大学)がいうように、「全てのタイプの政府は残虐なことを行う」のが、残念ながら、世界の現実なのでしょう。そうであれば、もし、われわれが民主主義勢力は「善」であり、権威主義的勢力は「悪」であるとするステレオ・タイプで国際関係や戦争を見てしまうと、過ちをおかしてしまうことになりかねません。

戦略家のハル・ブランズ氏(ジョンズ・ホプキンス大学)は「最近の出来事はアメリカの影響の弱い世界では、専制主義的収奪がより当たり前になることを思い出させた。ウクライナ戦争は悪が絶えないことを思い出させた。そうすることで、アメリカのパワーの美徳も例証してきたのだ」と主張していますが、これは極めて根拠が弱いといわざるを得ません。間違った理論は間違った処方箋をだしがちです。

ファザール氏の画期的な研究は、ウクライナのような緩衝国家がライバル国からの征服を受けやすいことを明らかにしました。そして、彼女は「征服に反対する規範」に緩衝国の生き残り戦略を見いだしました。しかしながら、ロシアのウクライナ侵略は、この国際規範がウクライナを守れるほど強力でないことを例証してしまいました。

他方、スティーヴン・ヴァン・エヴェラ氏(マサチューセッツ工科大学)らのリアリストは、ウクライナの中立が、その生存にとって重要だと主張していました。ミアシャイマ―氏やウォルト氏は、ヨーロッパにおいてアメリカがNATO東方拡大するのは過ちであり、あえて抑制的な行動をとるべきだと継続して主張していました。それがウクライナの国益はもちろんのこと、アメリカやロシアの国益にもなったはずだというのが、かれらの主張でした。

厳しい戦略環境に身を置かざるを得ない緩衝国の最適な生き残り戦略とは何か。これは国際関係研究に与えられた大きな課題だと、わたしは思います。


編集部より:この記事は「野口和彦(県女)のブログへようこそ」2022年6月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は「野口和彦(県女)のブログへようこそ」をご覧ください。