6月23日〜26日まで東京文化会館で行われた東京バレエ団『ドン・キホーテ』の初日を鑑賞。
キトリ/ドゥルシネア姫・上野水香さん。バジル・柄本弾さん。エスパーダ・秋元康臣さん。パワーの塊のようなウラジーミル・ワシーリエフの版は、展開がスピーディで、活気に溢れた名作バレエの魅力を一層際立てる演出になっている。
上野水香さん登場の初日の回は超満員で、プリマが舞台に現れた瞬間に大きな拍手が湧いた。2004年の東京バレエ団のデビューもこの作品で、陽気でお転婆なヒロインはご自身のキャラクターに合っていると取材で語ってくれた。
キトリは全幕ほぼ出づっぱりの上、テクニック的にも高度な技の連続。3月の『白鳥の湖』のオデット/オディールでは、キャリアの頂点を思わせる完成度の高い演技を見せてくれたが、正反対のような性格のドンキも素晴らしい。バレエ少女たちが憧れるスターとしての輝かしさをふりまきながら、芯の部分ではクラシックバレエへのストイックな取り組みを感じさせた。演技面でも、新鮮な発見が多かった。
キトリの恋人役バジルを踊った柄本弾さんもカンパニーの大スターだが、上野さんと柄本さんの「芝居」の絡みが爽やかでとてもいいのだ。
床屋のバジルはギターを持って、ときどき楽器を宙に投げたり後ろに回したりして軽妙に踊る粋な若者なのだが、浮気っぽくてふざけて他の女の子にもちょっかいを出す。キトリの父ロレンツォは金持ちのガマーシュと娘を結婚させたがるが、二枚目のギター弾きより安心できる相手だからだろう。
キトリとバジルは二人とも自由で「ときどき恋人で、ときどき友達」のような関係に見えた。上野さんの演技が、大人の芸なのだ。技術に加えてこの「大人の女性の芸」を見せてくれるバレリーナは、日本ではそれほど多くない。踊こなしてきたドンキだからこそ出る味わいなのか、ただ振付をこなしているだけでは出ない余裕があった。バジルとキトリのリフトなどはどの版でも冷や冷やするほどハイリスクなのだが、柄本さんは軽々と上野さんを持ち上げていた。
老いた騎士ドン・キホーテ役のブラウリオ・アルバレスのシリアスな演技は、舞台全体に素晴らしい奥行きを与えた。皆から笑われる老騎士を道化のように演じるダンサーもいるが、このドン・キホーテは指先から眼差しのひとつひとつが遠い幻影を追っていて、目の前で起こるカラフルな若者たちの祝宴とは別の場所にいるようだった。
今年、ブラウリオがマーラーの交響曲に振り付けたダンスを観たが、この人はとても深いところで芸術を感じている。東京バレエ団のドンキといえば木村和夫さんの名演技が即座に思い浮かぶが、新しいドンキもかなりの名役者なのだ。
エスパーダ秋元康臣さんは切れ味が良く、ロシアで本格的に学ばれた人のエスパーダだなと感心した。ボリショイ・ダンサーを彷彿させるフォームで、雄々しくてステップが力強い。ハイセンスでクールさも秘めているのは、ご本人のキャラクターもあるのだろう。メルセデス伝田陽美さんとの絡みも最高だった。
キューピッド足立真里亜さんが夢のようなシエネ(回転)で魅了する場面では、東京バレエ学校の可愛いダンサーたちも大活躍をする。あの天使たちの可愛らしさを見ていると、深刻ぶった「芸術」が何様かと思えるほど、バレエのキラキラした魅力にほうっとしてしまう。
終盤では、キトリのイタリアンフェッテ、グランフェッテと大技が続き、主役も群舞も畳みかけるように見せ場をアピールする。大人になってバレエを初めて観る人は、「これはまるでCGではないか」と思うという。そういう変わった見方もあるのか、と思っていたが、色彩と祝祭感に溢れた魔法のステージは、やはりこの世のものではない、まるで別世界のパノラマではないかと感じられた。
指揮は井田勝大さん。東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団。音楽が時折分厚い雲のようなメランコリーをまとっていたり、エキゾティックな歌いまわしがブラームスの曲を彷彿させたりする瞬間があり、音楽単独でも大変な充実度だった。
井田さんは主役ダンサーによって指揮を変えるので、トリプル・キャストではそれぞれの魅力を引き出すサウンドになっていたと思う。日本のみならず、世界のバレエ界にとって貴重な指揮者である。
梅雨を晴らすような晴れやかな初日公演で、5月7日に亡くなられたバレエ団の団長の飯田宗孝さんも、全員の熱演を空から見守っているように思えた。