中国も北朝鮮も喜ぶ共産・社民の「防衛力強化反対」

共産・社民の「防衛力強化反対」と立憲の曖昧性

今回のロシアによる国際法違反のウクライナ侵略により、日本国民は大きな衝撃を受け、日本の安全保障に対する危機感が顕在化した。世論調査を見ても多くの日本国民は、中国や北朝鮮の核兵器を含む軍備増強を懸念し、「台湾有事」や「尖閣有事」さらには「日本有事」を心配しており、これを抑止するための防衛力の強化に賛成しているのが現状である。このため、外交安全保障は今回の参議院選の重要な争点の一つにもなっている。

ところが、共産党と社民党は、軍事対軍事の悪循環に陥ると主張して、防衛力の強化に強く反対し、憲法9条による「平和外交」が何よりも重要であると主張している。

立憲民主党も、防衛力の強化には曖昧である。立憲幹部の中には、自民党の「敵基地攻撃能力(反撃能力)」保有や防衛予算2パーセントの主張を、ウクライナ危機に便乗した「火事場泥棒である」などと口汚く批判する幹部もいる。このような危機感が欠如した共産・社民・立憲の主張は直近の国民世論と大きく乖離していると言えよう。選挙で決着がつくであろう。

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憲法9条の「平和外交」は万能か?

共産・社民が防衛力の強化に反対する理由として、異口同音に主張されることは、憲法9条に基づく「平和外交」である。共産も社民も軍事力ではなく平和外交によって紛争を予防し解決すべきであると主張する。筆者も「平和外交」の重要性は十分に認識している。

しかし、国の安全と国民の生命・財産を軍事力ではなく平和外交だけで保全することは極めて困難である。このことは第二次世界大戦におけるナチス・ドイツによるポーランド侵略、朝鮮戦争における北朝鮮による韓国侵略、中国によるチベット侵略、ソ連によるアフガニスタン侵略、イラクによるクウェート侵略、そして、今回のロシアによるウクライナ侵略など、古今東西まさに枚挙に暇がない。

アダム・スミスの安全保障論

これらの歴史的事実は、「平和外交」が決して万能ではないことを証明している。18世紀英国の偉大な経済学者アダム・スミス(1723年~1790年)も、「政治権力の第一の義務は、他国の侵略から社会を守ることであり、この義務は軍事力によってのみ遂行される」(アダム・スミス著「国富論」下巻世界の大思想15巻水田洋訳149頁。昭和44年河出書房新社)と述べ、軍事力の重要性を認めている。

アダム・スミスのいう「軍事力」とは、現代の国際社会でいう「抑止力」であり、その本質は「反撃能力」である。上記の侵略を受けた諸国は、いずれも、その当時侵略を抑止するに足りる「抑止力(反撃能力)」を保有していなかったために侵略を誘発したことは明白である(2022年3月15日「ウクライナ侵略の教訓:抑止力なき国は侵略される」参照)。

ところが、「抑止力(反撃能力)」を認めず、ひたすら憲法9条の「平和外交」を絶対視する共産・社民の主張によれば、上記の侵略を受けた国、すなわち、ポーランドも、韓国も、チベットも、アフガニスタンも、クウェートも、ウクライナも、すべて、侵略を抑止するに足りる「抑止力(反撃能力)」を保有していなかったためではなく、積極的な平和外交をしなかったために侵略を受けたことになり、侵略はこれらの国の自己責任になりかねず、きわめて不当な結論になる。

「平和外交」だけでは侵略を抑止できないことは明白である。これは世界の歴史が証明している事実だからである。

中国も北朝鮮も喜ぶ共産・社民の「防衛力強化反対」

以上に述べた通り、他国からの侵略を抑止するためには、侵略を抑止するに足りる「抑止力(反撃能力)」の保有が必要不可欠であることが明白である。しかし、共産・社民はひたすら憲法9条に基づく「平和外交」を主張し、軍事対軍事の悪循環になると称して、防衛力の強化を認めず、「抑止力(反撃能力)」の向上にも強く反対している。

このような、「防衛力強化」「抑止力強化」に強く反対する共産・社民の安全保障政策を喜ぶのが中国や北朝鮮、ロシアであることだけは確実である。なぜなら、共産・社民の「防衛力強化反対」のおかげで、日本の中国、北朝鮮、ロシアに対する「抑止力(反撃能力)」が脆弱になり、日本を侵略しても強力に反撃される恐れが少なくなり、「尖閣」「沖縄」を含めそれだけ侵略が容易となるからである。