モディ首相の「My Friend, Abe San」:安倍さんへの最大級の賛辞

安倍元首相が「演説中に撃たれて深刻な状況」との報が流れると、直ぐに知人4人からLINEが入った。「無事を祈ります」と書いてきた2人は、筆者の安倍シンパぶりを知る台湾人、他方、日本人2人のLINEには「日本の平和ボケ」や「日本でこんなことが起きるなんて」などとある。筆者は、前者には「そうですね」と、後者には「何か言う気になれない、心配で」としか返信できなかった。

だのに、日本人の1人からは「警察の職務怠慢だ」だの「心肺停止なら再起不能だ」だの「あってはいけないことが起きた」だのと入れて来る。筆者は「テロを100%防ぐのは無理」、「その種の社会面記事のような話をする心境になれない」と返信し、夕方に訃報が入った後は、「今は安倍亡き後のことを考えたい」と入れて、やり取りを辞した。

その晩から翌朝にかけても、TVニュースは現場の映像や犯人像などを伝えるばかり、とても見る気になれない。が、ネットでは安倍さんの治績を、腰を据えて振り返る番組があり、産経の阿比留記者の話を櫻井よしこ氏や花田紀凱氏の涙にもらい泣きしながら見た。また「WILL増刊号」で白川司氏が紹介した第1次・第2次安倍政権での治績の多さとトランプ氏のお悔やみには感動を新たにした。

2019年 G20サミットでトランプ大統領、モディ首相、安倍晋三元首相 首相官邸HP

筆者がここで、安倍元首相が日本の国益のために行動してきた数多の事柄を、報道などを見ながら述べるのは烏滸がましかろう。インドのモディ首相が、ここ15年来の安倍さんとの交流やその治績を「My Friend, Abe San」と題して、ネットに上げている。世界最大の民主主義国を率いる人物によるAbe Sanに対する最大級の感謝と賛辞、そして哀悼の言葉に溢れている。その拙訳を紹介して、偉大な安倍晋三氏を追悼したい。(文中の*やリンクは筆者)

My Friend, Abe San

Narendra Modi 2022年7月8日19:27 IST

Shinzo Abe-日本の優れたリーダーであり、世界的な政治家として聳え立つ、日印友好の偉大な擁護者(champion)-はもう私たちの前にはいないのです。日本と世界は偉大な先見性を持つ人(visionary)を失いました。そして、私も親愛なる友人を失いました。

私が彼に初めて会ったのは、2007年、グジャラート州首相として来日した時でした。爾来、私たちの友情は、肩書の虚飾(trappings of office)や公的な儀礼の枠(shackles of official protocol)を超えたものとなりました。京都の東寺訪問、新幹線の旅、アーメダバードのサバルマティ・アシュラム*訪問、カシのガンガー・アラティ**、東京での入念な茶会など、私たちの記憶に残る交流は数限りない。そして山梨の富士山麓のひっそり閑たる(nestled)ご実家にお招き戴いたこの上ない光栄(singular honour)を、私はずっと大切に思っています。
*グジャラート州にあるガンジー「塩の行進」の発地 **ヒンズー教の儀式

2007年から2012年まで、そして2020年以降、彼が総理大臣でなくなっても、私たちの絆(personal bond)は変わらず強いままでした。Abe Sanとの会合は毎回、知的な刺激に満ちていました。彼はいつも新しいアイデアと、統治、経済、文化、外交、その他さまざまなテーマについての貴重な洞察に溢れていました。彼の助言は、私がグジャラート州の経済を選択する際の着想を与えてくれました。そして、グジャラート州と日本との活発なパートナーシップを築く上で、彼のサポートは非常に大きなものでした。

その後、インドと日本の戦略的パートナーシップに前例のない変化をもたらすために、彼と一緒に仕事ができたことは私の特権(privilege)でした。狭い範囲での二国間の経済関係だったものが、Abe Sanのお陰で広範で包括的な関係になり、国家活動のあらゆる分野をカバーするだけでなく、両国とこの地域の安全保障にとって極めて重要な存在になったのです。

彼にとって日印関係は、両国の人々や世界のために最も重要な関係の一つでした。彼は、自国にとって最も困難なインドとの民生用原子力協定を断固として推進し、インドの高速鉄道*に最も寛大な条件を提示することに断固とした態度を示しました。独立国インドの歩みの中で最も重要なマイルストーンの如く、彼は新生インドが成長を加速させる際に日本が傍らにいることを保証しました。彼の日印関係への貢献は、栄誉あるパドマ・ヴィブーシャンが2021年に授与されたことで高く評価されました。
*グジャラート州の工業都市アーメダバードとマハラシュトラ州の商都ムンバイとを結ぶ

Abe Sanは、世界で起きている複雑で多重な変遷に対する深い洞察力、政治、社会、経済、国際関係への影響を見抜く時代の先端を行くビジョン、なすべき選択を知る知恵、慣行に立ち向かって明確で大胆な決断を下す能力、そして日本国民と世界を彼と共に前進させる(carry)稀有な能力を持っていました。彼の遠大な政策-アベノミクス-は日本経済を活性化し、国民のイノベーションと起業家精神の再点火につながりました。

彼の最も偉大な贈り物(greatest gifts)であり、最も永続的な遺産(enduring legacy)であり、世界が常に恩義を感じるのは、時代の潮流の変化と嵐の到来を認識した彼の先見性と、それに対応するリーダーシップでありましょう。2007年のインド議会での演説では、インド太平洋地域が現代の政治的、戦略的、経済的現実として出現し、今世紀の世界を形成する地域となる土台を、他の誰よりも前に築きました。

そして、主権と領土の尊重、国際法とルールの遵守、平等の精神に基づく国際関係の平和的運営、より深い経済的関与による繁栄の共有など、自らが深く愛する価値に基づいて、安定と安全、平和と繁栄の未来のための枠組みとアーキテクチャを、彼は正面から構築したのでした。

クワッド、ASEAN主導のフォーラム、インド太平洋海洋イニシアティブ、アフリカを含むインド太平洋地域における日印開発協力、災害に強いインフラストラクチャー連合なども、すべて彼の貢献によるものでした。国内での躊躇や海外の懐疑的な態度を克服し、ファンファーレ抜きの静けさの内に、彼はインド太平洋地域全体における防衛、接続性、インフラ、持続可能性を含む日本の戦略的関与を変革しました。そのお陰で、この地域はその運命に対してより楽観的になり、世界はその未来に対してより自信を深めることができています。

今年5月に日本を訪問した際、日印協会の会長に就任したばかりのAbe Sanにお会いする機会がありました。エネルギッシュで、人を惹きつけ、カリスマ性があり、とても機知に富んだいつもの彼でした。日印友好をさらに強化するための革新的なアイデアを持っていらした。その日、彼に別れを告げた時、それが私たちの最後の面会になるとは、少しも想像していませんでした。

私は常日ごろ、彼の温かさと知恵、優雅さと寛大さ、友情と指導に恩義を感じているので、心から彼を惜しんでいます。

インドの私たちは、彼が寛大な心(open heart)で私たちを包んでくれたように、彼の死を私たちの仲間として悼みます。彼は、自分が最も好きなこと、つまり人々にインスピレーションを与えることをして亡くなりました。彼の人生は悲劇的に短くなったかもしれませんが、彼の遺産は永遠に続くでしょう。

インドの人々を代表して、また私自身を代表して、日本の人々、特に安倍昭恵夫人とそのご家族に心から哀悼の意を表します。

オム・シャンティ(Om Shanti)

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