変わりつつある組織のトップのありかた:御山の大将に固執する日本

私はあるビジネス系NPOの会長をやっています。そのNPOが主催するゴルフイベントが8月にあるのですが、ゴルフをやらない私に「会長なんだからゴルフの後の食事会に来るべきだ」という声があるので出席してもらえないか、と担当者から連絡をいただきました。即答でお断りしました。

NPOの会長のみならず、議会の議長、会社によっては取締役会でもトップに採決の絶対権限はありません。同じ一票を持つだけです。役職により一票の重みが違ったら大変です。会長は3倍、社長は2倍、専務は1.5倍、平取は1倍…なんてことがあればいわゆる民主主義の平等感は全くありません。

日本では「代表」取締役という非常に不可解な仕組みがあります。これが世の中の混乱を作っています。会社法で「取締役は、株式会社を代表する。ただし、他に代表取締役その他株式会社を代表する者を定めた場合は、この限りでない」とあることで代表取締役は特別の権限があるように見せることを可能にしているのです。私から見ればその肩書は「箔付け」以外の何物でもありません。例えばカナダにはそのような制度がないのです。

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ではもう一つ。組織のトップは顔役として常に顔を出すべきなのか、であります。

先日、トヨタが新型クラウンの発表会をして、豊田社長がプレゼンをしました。これは同社のこの車への意気込みを表している姿勢ですが、最近は新車発表会に必ずしもトップがプレゼンするわけではありません。その車にふさわしい会社の代表者がプレゼンする時代になったのです。これは組織における顔は一つではなく、多くの才能あふれる人材で成り立っているのだ、という証でもあるのです。

「いつでもどこでも社長さん」は古い組織論です。かつては何かあれば「社長、お願いします」でした。ところがこのところ、不祥事に於いてもその規模によっては社長ではなく、担当トップが記者会見することも増えました。特に技術的、専門的要素が高いものは社長よりその責任者の説明がよりわかりやすかったりするのです。

では組織のトップはお飾りでしょうか?私も長く社長をやっていますが、社長の在り方が変わってきていると感じています。昔は決定権を持ち、判断力を備え、常に交渉を進めることを社長業だと思っていました。今は違います。組織の中で人材を発掘し、それぞれの才能を見出し、引き出し、押し出すのです。つまり、「トップは縁の下の力持ち」が良いと考え始めています。

先のNPO組織についてもかつては会長が常にイベントに先立ち、挨拶をし、全体を仕切るという振る舞いが横行していました。私がその団体の会長になってからほとんど挨拶に立ちません。それどころか、イベントに出席しても皆さんと同じように普通に楽しんでおり、会が終了するまで私の名前すら呼ばれることはありません。

その代わり、数多い理事に平等に担当イベントを振り、その人が責任をもってイベント開催チームを作り、それを成功に導くための支援をするのです。逆に私が担当者であるイベントもあり、今、その準備に追われており、何人かの理事の助けを得ている最中です。

そのような体制に変わってどうなったでしょうか?明らかに組織の活性化が進んだのです。昔はやらされ感が台頭していました。今では各自が責任感をもって陣頭指揮を執り、傍で見ていてもたくましさすら感じるのです。

私はいろいろな他のNPO団体を知っています。その中にはトップを中心にイエスマンで固めたような組織もあります。組織の向かうべき道が不明確ながらもなんとなく団体が維持されているようなところもあります。

私はなぜ、このような方策で臨むのでしょうか?それはリーダーシップの養成をするのがトップの任務だと考え始めているからです。私は若い頃、カリスマ性ある創業家の企業で秘書をしていました。そのトップは私に嘆くのです。「うちの会社は役員以下優秀な人材ばかりで俺に事実の報告は上手にするが、判断する能力を誰も持っていない」と。今だから言えますが、それはトップの色が強すぎて、下が顔色をうかがう組織になってしまったのが理由です。私の学んだ帝王学の一つです。

となれば企業のトップでも同じなのです。カリスマ性が高い企業は確かに目立つし、伸び盛りのところもあるけれど先々失速しやすい傾向も見て取れるのです。アメリカでカリスマCEOが早い時期にトップから降りるケースはよくあります。アマゾンはその一つでしょう。マイクロソフトもそう。ではアップルのティムクック氏はどうかといえば彼は自身を目立つポジションに置かず、組織を上手に動かすタイプの方です。ウォーレンバフェット氏は自分で投資先の銘柄を指示しているわけではありません。伸びる組織ほど持てる人材を上手に活かしているのです。

日本は御山の大将に固執するケースが往々にして見られます。権力は快感なのです。部下を叱責できるからです。しかし、叱責する事態が生じたことが大将としての失敗なのです。権力の美酒に驕るのではなく部下とプロジェクトを育てる、これが今後のリーダーのあるべき姿だと考えています。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年7月18日の記事より転載させていただきました。

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会社経営者
ブルーツリーマネージメント社 社長 
カナダで不動産ビジネスをして25年、不動産や起業実務を踏まえた上で世界の中の日本を考え、書き綴っています。ブログは365日切れ目なく経済、マネー、社会、政治など様々なトピックをズバッと斬っています。分かりやすいブログを目指しています。