今日、生まれて初めてジャズの生演奏を聴きに行った。ジャズとブルースの町シカゴに6年間以上住んでいても、一度も生演奏など聴きに行ったことがなかったが、人生初の体験となった。演奏を聴きながら、うれしくて目が潤んできた。
大阪道頓堀のGarthというバーで行われた生演奏に行ったには理由がある。私が大阪府立病院で救急医として勤務していた時に受け持っていた患者さん(当時、中学生)がバンドを率いて演奏会をしたので出かけたものだ。交通事故で重篤な状態となったが、一命を取りとめて、1年がかりで救急病棟から整形外科に移り、計2年間の入院の後、音楽を学んだのだ。トランペットの演奏と作曲をしていていることはウエブで知っていたが、東京に住んでいた時にはなかなか演奏を聴く機会がなかったし、このコロナ感染流行下では演奏の機会もなかった。
7年間の医師生活で記憶に残っている患者さんの大半は、亡くなられた方だ。その時々の苦しむ姿、亡くなった場面など今でも鮮明に記憶を辿ることができる。無事に退院の運びとなった患者さんで、最も記憶に強く残っているのがこの患者さんだ。
演奏の前後と合間をぬって合計1時間近く昔話をした。当時、毎日報告していたご両親の話も出た。お父様は3年前に亡くなられたとのことだった。しかし、闘病生活日記が残されていいたそうで、そこには「死の覚悟」が綴られていたそうだ。「死の覚悟」は伝えられる側も、伝える側にも厳しいものだ。40年近く前に、3度も「覚悟」を伝えた患者さんが、目の前で演奏しているのは医師として感無量だ。
彼が演奏の合間で「今日は命の恩人が来ているので緊張している」と話をした時には、こぼれそうになる涙を必死でこらえていた。当時の私は、今でもその気持ちは変わりないが、目の前の患者さんを救うことに必死な日々を送っていた。医学部を卒業して1年も経たない医師が中学1-2年生の患者さんの命綱を握って、助けなければと覚悟を持って治療にあたっていたのだ。大阪府立病院だけでなく、小豆島の内海病院。市立堺病院での濃厚な臨床医としての鍛錬が今の私の原点になっている。
彼の姿を見つつ、少々くたびれてきた今の生活を反省していた。必死で頑張っても報われないことは多いが、頑張って報われることに意義があることを示したい。
一 至誠に悖(もと)るなかりしか
二 言行に恥づるなかりしか
三 気力に欠くるなかりしか
四 努力に憾(うら)みなかりしか
五 不精に亘(わた)るなかりしか
編集部より:この記事は、医学者、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のこれでいいのか日本の医療」2022年7月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。