福島原発処理水の海洋放出を当事者目線で一考せよ

東北大震災から11年が経った。東日本に人が住めなくなるとの懸念すらあった福島原発事故は、当時の関係者の努力で辛うじてチェルノブイリ級の最悪の事態は免れた。しかし炉心冷却のため大量に注入し続ける冷却水や流れ込む地下水が放射能汚染され漏れ出し、その回収処理水のタンクは設置場所が無くなり満杯となるため、国は処理水を順次海洋放出する方針を固めた。

しかし震災と原発事故と避難の被害のみならず、心無い風評デマにまでも苦しめられてきた被災地住民や福島県民の想いを考えれば、処理水放出は避けられずとも「その方法」を一考すべきだ。放射線医療にも多少携わった医療職また福島県人子弟として一言したい。

東京電力 処理水ポータルサイトより

処理水(トリチウム水)とは

処理水とは、溶融した核燃料その他の混合物の塊「デブリ」を冷却するために炉心に注入した冷却水や敷地に流れ込み放射能汚染された地下水を、放射性多核種除去設備ALPSで処理し、放射性物質を除去した放射性汚染水である。ほとんどの放射性物質は取り除けるとされるが、唯一トリチウム(三重水素)は化学的性質が水素と同じため、除去も濃縮もできない。

トリチウムの半減期は12.3年なので、放射能の減衰を待つなら処理水は数十年保管し続けなければならない。しかしこの10年で処理水は130万トンを超え、保管場所の物理的限界に達しつつある。今後の地震や津波等の災害での破損流出リスクも否定できない。

トリチウム水は危険なのか

化学的にはトリチウムは生体内では「ただの水素」として振る舞う。そのため人体に取り込まれても数日で排出されるとされ、放出する放射線であるベータ線(電子線)は紙一枚で遮蔽できるので内部被ばくも無いとされる。

医学やバイオテクノロジーの研究では、トリチウムで物質をマーク(標識)することがある。筆者は先端バイオ創薬ベンチャー役員経験があるが、製薬会社の元主任研究員だった社長は「居眠りして気が付いたらトリチウム水が顔にべったり、なんとこともあったよ、あはは」と笑っていた。もちろん健在だった。

水や食料が一生全てトリチウム汚染されるのでなければ、遠く離れた海にトリチウム水が放出されても海産物にごくわずかに取り込まれ食べても「問題は無い」。

人体の放射能と環境放射能

ほとんど知られていない(?)が、我々人体、すべての地球上の生命体は「放射能を帯びている」。人間の場合は平均的な体重50~60Kg程度の成人で5000~6000Bq(ベクレル)つまり1Kgあたり100Bq程度の放射能がある。

この放射能の多くは、水や食物に含まれる放射性カリウムすなわち必須元素の同位体に由来する。生きて食べる限り、すべての生命体は「放射能を帯びざるを得ない」。通常問題が無いのは「影響ない」からである。

我々が暮らす環境にも放射能は満ち溢れている。多くは大地つまり地球内部からの放射線と、宇宙から常時降り注ぎときに太陽の活動により増大する宇宙線である。飛行機内では地上の10倍の宇宙線を浴び、レントゲンやCTなど医療で浴びる放射線は自然放射能の100倍から1000倍である。

処理水(トリチウム水)放出の予定と問題

国は処理水放出に際して放射能レベルが国の基準の1/40、WHO飲料水ガイドラインの1/7程度に海水で薄めて放出するとしている。国の基準は年間1mSv(ミリシーベルト)=60000Bq/L、WHO基準値は10000Bq/L、レントゲン10枚分ほどの被ばく量であり放出時には1500Bq/L程度に希釈される。

この薄めた処理水を海底パイプラインで原発沖1Kmほどのところで放出するとしている。東京電力のシミュレーションでは、日常的に海に出る漁師が海水を浴び地元海産物を毎日食べても、被ばく限度(1mSv/年)の最大1/2000程度しか被ばく量は増加しないとしている。原発から半径10Km内は今も操業禁止であり、直接自分が処理水を飲んだりかぶることはないから「実質問題は無い」。

ちなみに海外、隣国中韓の原発も、放射性物質を微量に含む排水を大量に放出している。

問題は、福島原発沖は「常磐前」と呼ばれる食通垂涎の高品質な海産物の好漁場であることだ。事故後にやむなく操業停止したが、試験操業で水揚げ海産物の放射能を測定し、ようやく細々ながら出荷再開した。サーフィン等のサーフスポーツも盛んな地域である。折角汚染と風評が解消され漁業や観光スポーツ等の復興が本格的になるというときに、わずか1Km沖に実質無害とはいえ放射能を含むと明白な処理水を放出することは、どうなのか。問題は物理的なことではない。

当事者と第三者の心理、風評デマ

原発立地区域ではようやく一部で避難指示解除され、住民の帰還が始まった。高齢化や生活就業拠点が既に無いため帰還しない住民が多いことを予測し、移住者呼び込みの取り組みも始まっている。そこに海岸直近で処理水を放出することは、まさに水を差す行為だ。福島県での調査でも「合意は進んでいない」という意見が大半だ。物理的科学的に無害でも、甚大な被害を受けた当事者心理として受け入れ難いのは当然だ。

さらに事故から10年近く続いた風評デマ被害を忘れることはできない。東京や近郊から九州沖縄に自主避難した例すらある。筆者の祖の地である会津地方の名産にして皇室献上品「身知らず柿」が100円ショップで無造作に転がされているのを見たときは愕然とした。

ようやく福島県産品が普通に店頭に並ぶようになり、東北沿岸の水産品が生産者の努力もありネットショップで好評なときに、「無害とはいえ放射能を垂れ流す」ことはどうなのか。「無害とわかってはいるが、やはり避けたい」人から「放射<脳>」とまで揶揄された反知性主義者まで、「福島や産品を忌避する」という行動を再び起こさせかねない。

足りない「智慧と想い」

福島地元メディアの報道からは、尽きない政府と東京電力への不信や疑念が見て取れる。一方で東京の政府や政権与党、東京電力には「当事者、被害者への想い(やり)」が全く足りない、他人事と筆者は感じる。原発10Km内は操業禁止、立ち入り禁止区域だから放出して良いではないかという論理は、被害苦しみを受けた者には通用しない。原発が事故を起こした、今も放射能は漏れている、起きてしまったことは仕方がないと忍辱もしようが、処理水の放出はコントロールできる、他の方法もあるはずだ。

処理水だけでなく、瓦礫や除染で発生した大量の放射性廃棄物や汚染土の問題も深刻だ。日本には核廃棄物の最終処分場が無い。「仕方ない」と除染土受け入れを決めた地区もある。問題は「思いやりある対話と補償が無い」ことではないか。

筆者が為政者あるいは責任者なら、処理水を薄めてタンカーに詰み、鳥島沖あたりのはるか彼方のEEZ内に十分時間をかけて放出する。深海で漁場もなければ問題は科学的に皆無だ。処理水放出決定に中韓が抗議してきたようだが、彼らは日本海に向けて処理水を排出している。我が国離島を虎視眈々と狙う国に対し良い「蚊よけ」になるだろう。政府政権と東京電力は、想いも智慧も足りない。

一方で電力不足ひっ迫が言われる中、老朽火力発電所を再稼働しCO2を大量に排出し続けることは国際的非難も高まりかねない。これまで通りの電力を求めるなら「CO2対策」としての原発は否定し得ない、再生可能エネルギーだけでは足らないからだ。原発は事故前に電力の1/3を賄っていた、その分節電すれば原発は要らないが、節電を「のど元過ぎて忘れた」から電力が不足し化石燃料を燃やしCO2を出しまくっている。それで良いのか。

「東北電力」女川原発は震源至近にも関わらず、緊急停止に成功し津波もかぶらず、一時は近隣住民の避難所になった。「まさかの事態」をも想定した東北人ならではの厳しい姿勢ゆえのことだ。

原発が、核エネルギーが悪いのではない。それを正しく使えない愚かな人間が悪いのだ。その上で、人間の心の機微をよく考え想い、処理水排出の方法は、よく考えるべきだ。