あなたは今、幸せですか?:日本人が不安を抱えやすいのはしようがない事実

先日、当地の大学の先生から秋に学生向けのイベントを開催するに際して知恵を貸してほしいと相談されました。イベントは日本の出汁をテーマにした日本食探求でとても面白そうな内容です。そのイベントに合わせてある10数分の短編映画を流すので見て欲しいと。

これをみてウーンと唸ってしまったのです。北海道の昆布と鹿児島の鰹節をテーマにしており、映画の構成は面白いのです。しかし、全編、これは白黒映画か、と思わせるほど色がないのです。つまり、苦労とか高齢者の労働者とか、いかにもその仕事が世間から乖離した特殊で陽の当たらない仕事のような印象を植え付けるのです。多分、この作品の監督はそうやってできた出汁を日本人は重宝に感じながら食卓に欠かせないものにしていると訴えたかったのでしょう。

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ネットフリックスなどで日本映画と海外の映画を比べると日本映画は全般的に暗いトーンが多い気がします。フランス映画のような人の心理の奥底を追求するような暗さでもない、もっと根に持った魂を映し出す作品が目立ち、それが妙に陰鬱にさせるのです。それゆえに日本のホラー映画が一流なのは人の持つ怨念の表現が上手だからでしょう。

根暗はしょうがない事実…

以前、日本人はセロトニンが少ないのでどうしても不安を抱えたりや心配症になりやすいと申し上げたことがあります。「老後には2千万円必要」の話でもそこまで反応しなくてもよいのに、と思うほどの大バッシングとなりました。2千万円の貯蓄がないと老後が危ないという発言そのものと2千万円の貯蓄がないという受け手の反応という不安の増幅現象が起きたとも言えます。

「あなたは今、幸せですか?」と唐突に聞かれたらどう答えますか?私は素直に幸せです、と答えます。第三者は「そりゃそうだろう、お前は経営者だし、好き勝手なこと言えるし…」とおっしゃるかもしれません。私はそんなことは幸せ尺度で微塵たりとも考えたことはないです。

時給1000円の仕事をしていても6畳一間のアパートでも幸せだと思います。理由は「健康に生きているから」です。何を食べてもうまいと思うし、いろいろな人と会えば新たな刺激があります。運動していれば爽快になります。幸せのお膳立てとなる衣食住と社会との共存、これがあれば全然満足なのです。

意外と思うかもしれませんが、普段からうまいものはにあまりありついていません。家に帰ってさて、何を食するかとすっからかんの冷蔵庫を開けて「キャベツと冷凍のひき肉しかない…。そうだ、これでお好み焼きができるぞ!」と意気揚々、作って食べているときは幸せです。

私は確かに北米にきて性格が変わったと思います。それは自分を人と比較しないことにしたのです。つまり、自分は自分、他人は他人なんです。なぜ、海外で気がついたと思いますか?理由は周りが「非日本人」だからです。私は白人になれない、英語もペラペラしゃべれない、カラダも小さい、地元のこともよくわからない新参者となればそもそも誰かと比べること自体がナンセンスなのです。故に他人は他人、自分は自分という考え方が備わったと思います。

ある意味、自分のライバルは自分以外いないのです。例えば「あの人の会社、年商10億円あるそうだよ」「あのラーメン屋、1日100万円売るらしいよ」「彼、株で〇億円、儲けたらしい」「彼女の家は十〇億円する豪邸らしい」といった話は井戸端でよく聞こえてくる話ですが、それと自分を比較しても無意味だと悟ったのです。

例え10億円積まれても自分らしさがなく、自由と想像力がなく、単に生かされているだけならそれはブロイラーの鶏と変わらないのです。

HSP(ハイ センシティブ パーソン)という言葉をご存知でしょうか?「繊細さん」ともいいます。以前からある定義ですが、たぶん、何らかのきっかけがあれば日本で話題になると思います。「感受性が強く敏感な人」とされ、心理的なバリアが弱く、低いため何かあればすぐに「凹む」し、そこから自分自身でネガティブなことを考え続け、そのループから抜けられなくなるのです。挙句の果てに「私はどうせダメな人間」と勝手に自己評価をしてしまうのです。概ね5人に1人が当てはまるとされます。セロトニンとの関係もあるのかもしれません。

このような方は例えば仕事や生活環境を変えることすら拒みます。友人も同じ人とのみ延々と繋がります。食べるものも同じでよいのです。私の知っている何人かの知人はレストランでメニューすら見ず「いつものあれ」を食べる方がかなり多いのです。私もその点ではその口かもしれません。

我々は「おもてなし」ができるプライドがあります。この言葉を逆転させると相手を傷つけない細心の注意を払っているとも言えます。多くの接客はお客様に絶対に失礼のない対応をすることをモットーとしています。理由は不始末があれば客が切れる、クレームする、粗暴になるなどHSPのセンサーに触れてしまうからかもしれません。

根暗はしょうがない事実、だとすればそれを受け入れるしかないのが我々の宿命かもしれません。祭りがあれば一時を忘れ、コンサートでは盛り上がるという非日常を積み重ねながら明るく楽しい幸せな日々を送ることを自己啓発として片隅に置き、忘れないようにしておくことが大事かもしれませんね。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年8月14日の記事より転載させていただきました。