今こそ安倍晋三氏の「反共」の理念が必要だ

池田 信夫

安倍晋三氏は、日本には珍しい「グランドデザイン」をもつ政治家だった。この暗殺事件のきっかけになった(と犯人が供述している)2021年9月12日のビデオメッセージを見ると、彼が単なるあいさつ以上の話をしていることがわかる。

「自由で開かれたインド太平洋」の意味

彼は、コロナをきっかけに「全体主義国家と民主主義国家の優位性が比較される異常事態」になっているという。これは中国のような全体主義のほうが感染症をコントロールできるという、一時いわれていた議論を踏まえたものだろう。

彼がここで強調しているのは「台湾海峡の平和と安定」である。1950年に朝鮮半島で起こったような事態が、これから台湾で起こらない保証はない。そのとき必要なのは、全体主義と戦う「自由で開かれたインド太平洋」の結束だという。これは中国の封じ込め戦略である。

ニクソン政権以降、アメリカは中国が経済発展すれば民主化すると信じて融和政策を続けてきた。中国の経済は「開かれた太平洋」でグローバル化したが、政治はさらに強大な全体主義になった。その誤りを改め、中国を包囲する政治・経済圏にインドを入れようというのが、安倍氏の提唱したQUADの理念である。それは日米豪印の国際勝共連合なのだ。

ユーラシア専制国家との制度間競争

反共という言葉は、安倍氏の世代(私と同じ)には、いかがわしい語感しかない。これには戦前の右翼やナチスのイメージがあり、戦後それを主張したのはA級戦犯容疑者、岸信介だったからだ。岸の孫として生まれた安倍氏にとっては、その理念を擁護することが一族の名誉を守ることだったが、反共は冷戦の終了とともに無意味なスローガンになった。

しかしいま反共は、別の意味をもち始めている。社会主義と区別して共産主義と呼ばれたのは、暴力革命による独裁だった。アーレントも指摘したように、ナチズムとボルシェヴィズムは対立する思想ではなく、国家が危機に瀕したとき、超越的に決定する「主権者」を求める点で共通しており、まとめて全体主義と呼んだほうがいい。

この意味での共産主義=全体主義は、中国をみれば明らかなように死んでいない。習近平の独裁政権は、皇帝を中心とする儒教思想と同じだ。一時は民主国家になるようにみえたロシアも、ツァーリズムに回帰している。このようなユーラシア専制国家こそ、現在の最大の脅威なのだ。

共産主義では経済が発展しないので資本主義に勝てない、というのが従来の常識だったが、中国はその常識を破った。ロシアはその属国として発展するかもしれない。国連のロシア非難決議に賛成しなかった国(中国やインドを含む)の人口は、賛成した国より多いのだ。


国連のロシア非難決議案に賛成した国と反対・棄権した国の人口

全体主義国家と共存することはあきらめ、封じ込めるしかないというのが安倍氏のビジョンだった。この意味では反共という言葉にも意味がある。中国やロシアとの「新たな冷戦」の時代に入った今は、彼が守ろうとした反共の旗印が生きる時代になったのかもしれない。