「夏枯れ」はどうやらメディアの世界でも起きているようでニュースネタがないせいか、いつまでたっても「統一教会」ばかり。安倍さんの事件がなければ自民党はずっとこの先もズブズブの関係を持っていただろうし、それに誰も文句を言うこともなかったでしょう。違法ではないけれど世間の理解を得るのが難しかったということなのですが、そんなことは何処の世界にもあるわけでそれをそれほど掘り下げても価値はないと思います。とすれば無数の日本のメディアもそろそろ淘汰されてもよいのではないか、と思います。もっと質がよくて読みたくなる内容を報じてもらいたいものです。
では今週のつぶやきをお送りします。
終わったミーム株ブーム
もう一つの夏枯れはマネーの世界でも同じ。そんな中、アメリカ市場で今週、最も話題になったのがミーム株の代表選手、Bed Bath & Beyond株(ティック:bbby)。同社は北米で住宅雑貨を圧縮展示して販売している小売り大手ですが、今期、在庫が積み上がり、財務状況が悪化。社長も交替しましたが、今年の初夏の時点で同社の余命は1年か、という悲観論も出ていました。株価が5㌦前後だった時、新社長が個人で確か2-3000万円分の同社の株を買い、「(同社を)信じている」と訴えていました。
その後、世の中でミーム株ブームが再び到来、同社の株も8月に入り瞬く間に垂直上昇となり、8月16日に30㌦を超えます。つまり2週間で6倍です。ところが同社の大株主であるゲームストップの会長が既に全株売却と報じられ、足元をすくわれた状態となり、3日後の19日金曜日の昼頃で11㌦と前日比40%安、ピークから63%下落となっています。ちなみにアナリストが提示している平均的な妥当株価は3-3.50㌦。前回のミーム株ブームの時はあらゆる理論を無視し、買い上がったのですが、今回はあっさりと白旗となったようです。
こういう値動きの荒い銘柄は北米に限らず東京市場にもあり、株自慢達が買えた、売りぬいた、売り損ねた、参加しそびれた…といった内容で株式掲示板にコメントが無数に上がってくるほど人気があります。これらの銘柄は私はギャンブルだと思っており、話題になる前に手掛け、当たれば一日で売り抜ける勇気がないとほぼアウトです。株式を怖いと思う人は一定年齢の方でバブル崩壊、手持ち株の塩漬けを経験した方ばかりではありません。若い方が株式市場をリアルゲーム感覚でプレイしてGame Overになっている方もいるわけでいかにイージーマネーに人が群がるか、そして株式市場がどれだけ荒らされているのか、と思うと至極残念です。
モノが売れない?人もいない?
正直、何かがすっきりしないのです。お金を持っている人は旅行だ、豪勢な食事だという威勢の良い声も聞こえてくるのですが、ほとんどの普通の方は物価高で相当シビアな生活になっているように感じるのです。スーパーに行ってもバーゲン価格の商品だけがすっぽり売り切れで他社の同製品は山のように残っています。金曜日に久々にいった比較的高級なチェーンレストランも席はかなり空いていました。ただ、レストランの客がいないのではなく、サーバーがいないので埋められないという気がします。
人はどこに消えたのか、いろいろな声が聞こえてきます。アメリカではトランプ政権の時代に移民を絞り込んだため、今年7月までの過去1年間の新移民は過去30年で最低で年平均の1/3しか入国しなかったとされます。更に大学生はアルバイト先を選び、学生アルバイトのメッカだったレストランや単純労働は「たるいからいや!」。もちろんコロナによる影響もあります。とすれば人手不足はある程度は人為政策的でもあり、当然の帰着でもあるわけです。人がいないからサービスできず、企業の業績も上がらない、その上に物価高です。フードコートのような場所は安価で素早く食べられる為、お勤めの方や学生のランチ場所として重宝されてきたのですが、いまや1500円も払わないとそんなところですら食べ物は買えません。
では私が最も恐れていることは何か、といえば世界経済が近年経験したことのないような困難な状況に陥っている中で世界の中央銀行がどんどん金利を上げて世の中からマネーの流動性を奪い取っている点です。物価高対応のための利上げをしている今の政策に私はひょっとして間違っているのではないか、という気がするのです。かつてはその考え方で正しかったのですが、今、我々が陥っている状況は過去が参考にならない非常にひねくれた経済環境にあります。このクラック(裂け目)は必ずどこかで大きな問題を引き起こす気がしてなりません。
デジタル教科書
日本でデジタル教科書がついにお目見えになりそうです。第一弾は英語の教科書とのこと。私は後々教育現場で相当の議論を巻き起こすと思います。それはデジタル教科書は紙の教科書とくらべ、効果があるのか、ないのか、であります。北米では教科書のデジタル化が進んでいるとされます。が、そこには別のからくりがあります。教科書は貸与であって、学期末に学校に返さなくてはいけないのです。日本は教科書は自分のものとして書き込みやラインマーカーで好き勝手に使えますが、こちらはそれが許されません。
とすれば教科書は大事に使わざるを得ず、書き込みもしません。ならば確かにデジタルでもいい、という理論になります。ではデジタル教科書は効果があるのでしょうか?当地のある日本語の先生が言っていたのは言語は「書いてなんぼ。指先で覚える部分もある」と。ただ、それが日本人の英語能力を「書く」と「読む」に特化させた理由でもあります。デジタル教科書は英語ならネィティブの先生の発音を聞くことができるので日本人教師の下手な発音から解放されます。少なくとも「聞く」については向上しそうです。
塾の経営ではずっと前からオンライン型で一人一台のデジタル教材を使った教育をしています。算数でも理科でもポイントポイントで動画が入り、出来ない部分の繰り返し学習も可能です。よって、クラス全員が違う理解度と能力であってもカスタマイズした教育が出来るのが最大の優れた点です。では私の水晶玉に見える将来の教育界はどんな姿でしょうか?先生は教えるのではなく管理者としての業務が主流になるのです。だからこそ、先生達がデジタル教科書にやけくそになって反対するだろうなぁ、という点で相当の議論が巻き起こるとみているのです。
後記
東国原さんが12月の宮崎県知事選に立候補すると表明しました。現職の河野知事が「なぜ、いまさら」と言っているようです。双方の政策もあるのでしょうが、河野さんも3期12年もやっているのです。すると政策に刺激が無くなるんです。地方の県でも12年もやられるとマンネリ化します。ましてや大都市圏の東京都では小池さんのパワーがすっかり落ちて「チャイナファースト」と揶揄されるほどパンダ外交ですっかり方向性を失っています。地方にも刺激が必要です。その点では私は東国原氏の意気込みは買いたいところです。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年8月20日の記事より転載させていただきました。