旧統一教会問題で、私がなんとも理不尽だと思うのは、正々堂々と濃厚な関係を続けてきた中曽根康弘・弘文・康隆三代や鳩山由紀夫元首相に比して、非常に抑制的な接触に留めていたにもかかわらず安倍晋三元首相ばかりが批判されていることである。
2015年の「世界平和統一家庭連合」(家庭連合)への名称変更の時改名を祝う「出帆記念大会」が9月12日に千葉県の幕張メッセで1万人以上の信者を集めて開催された際、国会議員の祝電は60通以上あったが、読み上げられたのは、鳩山邦夫、亀井静香両氏の名前のみである。
その亀井氏が毎日新聞の座談会で、「晋三も政治家だから殺されるのは本望だろうが、ああいうとばっちりみたいな死に方は可哀想だね。犯人に旧統一教会に対する恨みがあり、晋三がその団体と深い関係にあるとの誤解から銃撃されてしまった」といっているのは、安倍元首相が犯人のこの団体への恨みを張らず標的にふさわしくないのを知ればこその同情だろう。
そのあたりは、「安倍さんはなぜリベラルに憎まれたのか-地球儀を俯瞰した世界最高の政治家」でも縷々書いた。
中曽根康弘と鳩山由紀夫こそもっとも密接な繋がり
それでは、平成以降における政治家のなかで、もっとも旧統一教会との関係が重要だったのが誰かといえば、中曽根康弘元首相である。
なぜ平成以降について語るのが妥当かと言えば、このころに、統一教会の政治目標が変わったからである。冷戦の終結にともない、岸信介氏(1987年死去)や安倍晋太郎氏(1990年死去)らと結びつけた「反共」という目標は民主主義の勝利というかたちでいちおう達成されていたからだ。
そこで統一教会は、南北平和統一に目標を切り替え、1991年に文鮮明教祖は、北朝鮮を訪問して金日成主席と協力関係になる。そのために、資金が必要になったからかどうか知らないが、合同結婚式とか霊感商法とかが社会問題化したのである。また、1990年には、金丸信を団長に社会党の田辺誠を副団長、武村正義を事務局長などとする金丸訪朝団が平壌を訪れていた。
「しんぶん赤旗」(2022年7月24日)によれば、「歌手や有名スポーツ選手らの参加で話題になった92年の集団結婚には中曽根康弘元首相がソウルの式典に祝辞を贈りました。実は2年前の総選挙で中曽根氏はリクルート疑惑の関連で自民党籍離脱というピンチに陥っており、協会は数十人の信者を無償で運動員として派遣していました」とある。
1992年には、「入管法で入国資格のない文鮮明が法務大臣特別許可という超法規措置で入国を果たしました。このとき法務大臣(筆者註:竹下派の田原隆)にあっせんしたのは金丸信自民党副総裁(筆者註:経世会会長。そのときの会長代理は小沢一郎氏で、竹下氏とともにとともに「金竹小体制」で自民党を壟断していた)。入国目的は「北東アジアの平和を考える国会議員の会との意見交換」とされ、同会の連絡電話は勝共連合が母体のスパイ防止法制定促進国民会議の事務所に置かれていました」とある。
そして、このとき、中曽根元首相は文鮮明教祖と会談し、「あの人(文鮮明氏)は統一教会、あるいは昔の勝共というような関係で、むしろ共産圏の中へくさびを入れていくと。そして自由世界の空気、光を入れていくと。そういうような一貫した方針でやられたんではないかと思いますね」とTBSのインタビューに答えている。
さらに、2004年3月に国際勝共連合と世界平和連合が共催して「救国救世全国総決起大会」を開催し、中曽根康弘元首相が講演し、鳩山由紀夫民主党前代表(当時)はじめ17名の国会議員が来賓として壇上に呼び上げられたが、自民8人、民主党9人だった。
鳩山も挨拶に立ち、その中で両連合の会長でもあった統一教会の小山田秀生会長(当時)にエールを送ったのである(アエラ2004年5月3日)。
前川氏は旧統一会議の危険性など認識していなかったのではないか
その中曽根康弘氏の孫の中曽根康隆代議士は、東京新聞(8月20日)のアンケートに「2021年9月、前橋と高崎の両市にある教会2カ所であった「中曽根康隆衆院議員を励ます会」の会合に出席し、関係者を前にあいさつした。また、20年1月19日、前橋市であった関連団体主催のイベント「孝情ファミリー大新年会IN群馬」に秘書が代理出席し、祝電を送った」と回答している。
また、昨年の夏に撮られたGoogleのストリートビューには、高崎市内の旧統一教会(関連団体でなく教会そのもの)の事務所に中曽根康隆氏のポスターが貼られているのが写っていており話題になった。
そこで、疑問なのは、中曽根弘文参議院議員夫人の兄であり、康隆氏の伯父にあたる、前川喜平氏が宗務課長として、海外で名称変更しているにもかかわらず名称変更の届け出受理をしないように指導するという合法性すら疑われることまでするほど危険だと考えていたにもかかわらず、妹の義父である中曽根元首相にイベントに出席しないように意見するとか、甥の康隆氏に関係を持たないように忠告しなかったのかということだ。
妹の婚家の問題に口など出せないという人もいるだろうが、前川喜平氏は、文科省のなかで中曽根元首相との縁戚関係をフルに活かした政治力でのし上がってきた人である。
たとえば、1994年に村山内閣は、質問主意書で統一教会を反社会性を判断する立場にないという答弁をしているが、そのときの文部大臣は中曽根派の与謝野馨さんで、秘書官は前川喜平さん。派閥の親分の息子の夫人の兄という立場から、普通の秘書官より強い立場にあり、文部省と日教組の歴史的和解の立役者といわれたころだ。
しかも、中曽根弘文夫妻と前川氏は、極めて仲の良い関係にあることは、加計学園問題のときもさんざん報道されているし、個人的な私の体験から言っても間違いない。というのは、私がパリに駐在していたころ、中曽根弘文氏は通商産業政務次官として夫妻でパリに出張してきた。閣僚クラスと会食したいということで、私は個人的にも交流があったキュリアン科学大臣とのディナーをセットした。
ところが、直前になって、大使館に出向していた前川喜平氏一家と夕食をしたいので、一時間以内で切り上げて欲しいという指示が来て、フランス側に詫びをいれつつ、三つ星レストランで45分でフルコース出させるという曲芸をお願いする羽目になった。そして、さんざん妹夫婦のこともその席で話題になった。公務に優先してまで、妹夫婦との語らいを優先する麗しい家族愛に日本人らしからぬとある意味で感心したのである。
そういう関係だから、元首相の講演についても、直接は無理で義弟の中曽根弘文氏を通じて、止めた方がいいということはできたはずだ。
どうしてそうしなかったかといえば、おそらく、前川氏は安倍元首相暗殺事件が起きるまでは、旧統一教会が政治家が付き合ってはいけないほど危険な存在だとは認識していなかったのでないか。
そうでなかったら、誰よりも旧統一教会の実情を知る立場にあり、可愛い甥の政治生命を危うくしかねない深入りを止めたはずだと推測したら飛躍だろうか。
ちなみに、群馬一区という選挙区は、2017年に現職(比例)の細田派尾身朝子に対して、中曽根康隆氏と上野宏史氏も公認争いに加わり、尾身朝子氏が公認され、中曽根氏は北関東比例区、上野氏は南関東比例区で全員が当選した。
ところが2021年の選挙では、中曽根氏が全国8位の党員獲得の実績などを背景に強引に尾身氏を比例に追いやり、公認をとって当選している。
いったい、全国8位という党員獲得がどうして出来たのか知らないが、なりふりかまわず、旧統一教会の力も借りたことは、上記の活動歴からも推察できる。
それは、当然、前川喜平氏も承知していたはずで、なぜ止めなかったのか残念であるし、身内にも止めなかったことを、国内外での統一教会の力に配慮してより控えめなかたちでだけで接点をもったことを理由に殺された安倍元首相に対して誹謗をするのは、いささか納得できないものがある。
さらに付け加えれば、上野氏は経済産業官僚だが、養父は建築技官のドンだった上野公成元官房副長官。同じ建築技官で菅義偉側近として知られた和泉洋人首相補佐官に対して前川喜平氏が非常に攻撃的だったことにもなにか違和感があることも申し添える。