「青春って、すごく密」仙台育英監督が示した政治の要諦

NHKより

母校が見せてくれた、念願の「白河」越え

ようやく「白河の関」越えとなった、第104回全国高校野球大会。念願の初優勝を果たした宮城・仙台育英学園高校は筆者の母校でもあり、それだけに今回の栄冠は卒業生としても、また東北(秋田県)の出身者としてもひときわ嬉しいものでした。

高校野球 仙台育英が初優勝 東北勢優勝は春夏通じ初(NHK)

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母校の優勝や各校選手たちの活躍も印象的でしたが、それ以上に胸が熱くなったのは仙台育英野球部を率いた須江航(すえ・わたる)監督にまつわるエピソードや語録の数々でした。

「100年開かなかった扉が開いた」須江航監督インタビュー(河北新報)

「100年開かなかった扉が開いた」 仙台育英・須江航監督インタビュー | 河北新報オンライン
 東北勢として初めて甲子園大会を制した仙台育英(宮城)の須江航監督が時折、涙を浮かべながら優勝監督インタビューに答えた。 熱い思い感じた ―初優勝おめでとうございます。 「宮城の皆さん、東北の皆さん、…

「オレンジ色の腕時計は「ともに戦う」決意の証し 仙台育英・須江監督」(朝日新聞)

オレンジ色の腕時計は「ともに戦う」決意の証し 仙台育英・須江監督:朝日新聞デジタル
 仙台育英は、みちのくの悲願まで、あと1勝に迫った。須江航監督(39)は、左腕にオレンジ色の腕時計をつけて試合に臨んでいる。 第104回全国高校野球選手権大会の初戦となった2回戦の鳥取商戦から準決勝ま…

さまざまなエピソードの中でも特に多くの共感を呼んでいるのが、優勝後の「青春って、すごく密なので」という言葉です。新型コロナにとって密は忌むべき言葉ですが、それ以上に濃密あるいは親密など、密集・密接・密閉の「三密」とは違った意味も併せ持ちます。

かつて一緒に仕事をした中国籍の知人と会話した際にも「あの感覚は、大陸の人たちもすごく分かる。国とか関係ない」との事でした。元をただせば青春の語源は中国の陰陽五行思想に由来し、四季をそれぞれ「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」と表します。それだけに感ずるところがあったのでしょう。

老若男女や国境に関わらず、また政治の場においても。須江監督の言葉は与野党それぞれの立場にある人にとって、鑑とするべき示唆に富んでいます。

なぜ、監督の言葉は共感を呼んだのか

さまざまな見方が出来ますが、大きくは3つの要素があったと私は見ています。

  1. 「背負っている人たち」の多さと、その自覚
  2. 「他責」が見られなかった
  3. 「誰もが抱いている想い」を明解に「言語化」してくれた

今回の須江監督のインタビューは、実に多くの人たちの想いを背負っていました。たとえば結びでは、自校や対戦相手のみならず、全国の高校生たちに想いを寄せてくれました。令和2年度の文部科学省「学校基本調査」によると、1年生から3年生までの全国高校生の人数はおよそ330万人。さらには一人一人に親兄弟や親類、また縁者でなくとも学びを支えてくれる人たちがいます。更には、今回の白河越えは東北に北海道、すべての白河以北の人々が待ち望んでいた大業でもありました。

背負っている人の数や期待に思いを致したならば、おのずと言動にも重みが備わります。与党のように「パパ活」や「深夜のクラブ活動」に勤しむこともないでしょう。この「思いを致す」、参院選のさなか凶弾に倒れた故・安倍元総理が折に触れて使っていた言い回しでした。安倍さんの前には、あまり用いられていなかったと覚えています。もしも自民はじめ与党の皆さんが本気で安倍元総理の遺志を継ごうというならば、一人でも多くの国民に対し「思いを致す」、これを実践いただきたいと願います。

そして2つ目、監督インタビューでは「他責」が見られなかった。これも私の琴線に触れました。コロナ発生から二転三転する政府の対応策やスポーツ庁、高野連に対しても、内心は恨み節を言いたくなる場面があったことでしょう。けれども全国の球児たちは黙々と練習に励み、同級生や先輩後輩、指導陣や親御さんたちも「努力が報われる日」を願い続けてくれた。これも大きいと思います。

翻って、政治の世界。すべての野党とは言いませんが、政府や与党に対する発言はおよそ大半が「他責のオンパレード」です。政府が悪い、自民が悪い、官僚が悪い。ならば、そういうあなた方はどうなのか。なぜ野党が有権者の支持を広げることが出来ないのか、一番の原因はこの「他責」にほかなりません。

人のことをとやかく言う前に、なぜ自分たちは支持を集めることができないのか。何が足りないのか、欠けているのか。そうした内省なくして野党の支持拡大はありえない、私はそう断言します。

そして3つ目の「想いの言語化」、じつはこれこそが政治家に求められる要素だと私はつよく思います。

私たち有権者は、自分たちが願う政治や目指す方向を漠然とは思っていても、実際にそれを言語化するのは本当に難しい。日々そう痛感します。だからこそ政治家の皆さんにはそれを何とか形にし、示してほしい。私たちに代わって議論してほしい。だから代議士と呼ぶのです。政治に対する期待と失望の繰り返しは、こうした言語化の如何によるところが少なくないと私は思います。

「ちがう、そうじゃない!」あるいは「そこじゃない!」けれど、どうすれば良いのかうまく言葉にできない。そうした想いを形にしてくれないのがもどかしいのです。

須江監督の「青春って、すごく密なので」という一言には、おそらく誰もが経験したであろうかつての青春を想起させ、また現在進行形の学生の方々にはこれ以上ない最高の代弁であったと思います。

私も時おり議員や選挙候補者の方に伝えることですが、誤解を恐れずにいうと「あなたが言いたい事」は二の次で構わない。一番肝心なのは、有権者や聴衆が「あなたから聞きたい事」、それを掘り当てるしかないのです。官僚を徹夜させ濡れ手に粟で用意した作文や、商業臭のする広告代理店の売り文句でなく、自身の体験や経験から絞り出すしかない。

今回の優勝インタビューの言葉は、決してどこかから持ってきたり、したり顔で披露されたものではない。厳しい思いや風雪にさらされた分だけ研ぎ澄まされ、岩から沁み出すようにあふれ出た一言だと私は思います。

球児たちの熱い夏も終わり、永田町では間もなく第210回となる臨時国会が予定されています。

ふたたび議事堂に集う衆参議員の方々には、須江監督の言葉や球児たち、そして330万人の高校生たちに思いを致し、恥じることのない建設的な論戦を願います。